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ブッダガヤで少年詐欺師についていったらやっぱり失望した@インド2週目

インド人と関わっていると、勝手に失望させられてしまう。特にお金周りでは、モヤモヤしてしまう出来事ばかり。昨日ブッタガヤで「僕はただの学生さ。お金を求めたりしないよ!」と話しかけてくれた男の子にも、やっぱり裏切られてしまった。

カネなしではトモダチになれない

声をかけてきてくれた男の子。19歳。
聞く所によると、ビジネスを勉強しているらしく、英語もとても流暢。自分の村でボランティアをしているという好青年。結構離れたゲストハウスまで送ってくれて、最終的に観光案内もしてくれることに。「トモダチだよね?14時にゲストハウス前集合だよ、約束だよ」とのこと。

少し信じてみたかったが、このパターン、確実にカネ目的である。「トモダチ」と言い始めたら、後でお金を請求される場面、何度も出くわしたからだ。けど面白そうだし、近くを回るだけならいつでも逃げれるし、観光の足としていいかなと思い、乗ってみることにした。

連れて行ってもらうと、案の定、こんな話をし始める。

僕の村には、手押しポンプ(地下水を掘り出す的なもの)が足りなくてね。35,000ルピー(約52,000円)の手押しポンプを、外国の人に寄付してもらっているんだ。こないだは、デンマークの女の子が4つも寄付してくれたんだよ。

はいはい、と聞き流していったけど次第にエスカレートしていき、「君も寄付してくれるよね?1つ!」「え、だめなの?じゃあいくらくらい寄付してくれる?」という話になる。金払いの悪さを察したのか、だんだん無口に。

最後、少しだけ支払った。「使い道は君に任せるよ」と話した。少しでも「本当に」寄付に使ってくれたらいいなと思いながら。

彼は不快そうな顔をして帰っていった。「カネを渡したらトモダチ」理論がまた適用されてしまった。

「相場」は誰が決めている?

こんなことがある前から、お金の渡し方は、ずっとモヤモヤしている。
外国人だからってタクシー料金をふっかけられたり、店でお釣りをちゃんと渡されなかったり、チップをほぼ強要されたり。そんな時、やっぱり自分の心に上手く言えない引っかかりを感じる。

渡したい金額を渡したい人に渡す。それでもいいはず。
でも、自分の中では、やっぱり「不当だな、ずるいな」と思う気持ちが出てくる。「外国人だから」と不当な要求をされるのが嫌だ。使い道の分からないお金も渡したくない。だから、僕はやっぱりガイドブックを見ながら、タクシー料金の相場を確認してしまうし、お釣りは1ルピーでも間違っていたら求めたい。

ブッタガヤの日本人住職の話

事件の後、ブッタガヤでは、日本人の住職の清水さんという方に会った。
ブッタガヤには、仏心寺という日本のお寺もあり、清水さんは住職としてインドと日本を往復されている。

その前に行っていた瞑想の後に会った方が仏心寺の宿坊に泊まっているということで、住職と少し話させて頂くことになった。「インド人まじで疲れるんですよね」という話をした際、日本人の根本の思想としてこういう話を伺った。

日本人が、古来より仏教を通して大事にしているのは、「心」と「口」と「意」の一致で、思いやり(心)を持って人に接するから、嘘は嫌いだし丁寧な言葉(口)や行動(意)を心がける。インド人はそれを根本に持ってはいない。日本人が背景の違うインド人に不快に感じているのと同時に、インド人も日本人に対して不快に感じている。

要は、思想が全然違うということ。根本で大事にしてきたものが全く違う中で、合わせてほしいと考えるのでなく、違う考え方の人として接する。分かり合えない人がいるのは辛いけど、絶対に避けられない。

ちなみに、住職の話で、「四苦八苦」で表現される人間が必ず関わる8つの苦しみの一つに、「怨憎会苦(合わない人と会う苦しみ)」というのがあるらしい。インド人と日本人という問題に関わらず、この苦しみは避けられないものだ。

満足の着地点

結局、大事なのは、自分の中の「満足の着地点」を探す事だと思う。
相手がどうという話でなく、自分がどこで割り切るかということ。「嘘がだめだよね」ということすら通じない人が居る。そんな事実を受け止めて、持っている世界観が違う人達と一緒に生きてみる。

今感じているこの苦しみからどう解放されるのか、もう少しインドで考えてみたい。

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