人の根源的な欲求と事業

Written on Feb 5, 2021

人の根源的な欲求ってなんだろう?

Clubhouseを見ていると、人と繋がりたい、話したい、触れ合いたいというのはあると思う。そして、その裏にはIdentityが絡んでいる。これは人が社会の生き物だと言われる所以で、それは人は一人では生きていけないということに起因しているのではないか。

一人で狩猟して、農耕して、電気やガスまでを作り出すことはできない。そこには社会というチームワーク、助け合いが存在している。持ちつ持たれつである。

では一人では生きたいけないから他の人と繋がりたい、話したい、触れ合いたい思うのか?ここには理論の飛躍がありそう。

おそらく、普段から一人では生きていけないことを実感していると、他の人という存在が潜在的に心に残る。その中で、触れ合う機会も必然的にある。それは学校や職場、コーヒーショップなど普段の生活の中で。もちろん全ての触れ合いや関わりが幸せではないかもしれないが、その中でも気の合う人や信頼できる人などと話したり触れ合っていると元気が出るし、幸福を感じやすい。

この元気が出たり、幸福を感じたりが積み重なり、また、時に周りの人に精神的・物質的・身体的に助けてもらいその存在の大きさを実感する機会が重なり、人と繋がりたい、話したい、触れ合いたいという欲求に昇華されているのではないか。

そして人はその人との繋がりの中にIdentityを見出す生き物なのではないか。誰かが自分の存在を認識しているから自分は存在している。逆に自分はその中で生きているとも言える。もちろんIdentityという観点では、それ以外にも社会的な地位や名誉、資産、批判的存在の証明などもあるとは思う。でもこれらも人との繋がりの中に起因してそう。他者がいなければ地位も名誉も資産も無意味である。そういう意味で人との繋がりというのは根源的な欲求でありIdentityなのかもしれない。

コロナによる隔離により、そのIdentityを確認し、発展させていく場所がOnline上だけに制限されてしまった。これは人との繋がりという欲求にプラスして、存在そのものに危機感をもたらしたのかもしれない。技術が発展した今の世界では、オンライン上での存在がなければそれは人との繋がりにおいて大きな喪失をもたらす可能性があり、それはつまりその人のIdentityの一部喪失に他ならないのではないか。これは今までリアルでしか、または、よりリアルで活動していた人にはクリティカルである。

Why NowとTechnologyの発展

今回のClubhouseが盛り上がったのには、コロナによる隔離(why nowに繋がる)とAgoraや5G、Networkの強化といったTechnologicalな発展があると思う。

Why nowに関しては、結果として人の行動や習慣が変わってきているというのが大きい。これはもちろんTechnologyの発展とも相まっていて、技術が発展すると生活スタイルが変わって、そしてそれに慣れてくるとその頃にはまた新たな技術が発展していて、さらに新たな習慣が生まれてくる、生み出される余地があるということである。両者は車輪のようにつながっている。もちろんコロナやテロのようなマクロな予測不能要因もある。

人の習慣、価値観、行動は触れた情報によって大きく変わると言える。なぜなら人は触れた情報以上には思考できないから。そして、その触れる情報(コンテンツ)の種類や質は技術の発展とともに変化する。昔はWebsiteの記事くらいだったコンテンツが今やTikTok, YouTube, Clubhouse, Podcastなど動画や音声にまで広がっている。VR/ARも台頭してきている。また、技術の発展でこれらのタイプの情報が世界中のどこにいてもアクセスできて、しかもそれをリアルタイムでも消費できる世界になっている。このMedia Richnessの変化、アクセスの拡大、消費の仕方が変わることで、人の習慣や価値観は常に変化している。技術の発展→コンテンツの種類と質の変化(+ マクロな予測不能要因)→人の習慣や価値観の変化→新たな技術の発展(→以下同様)

今回のClubhouseの件を通して言えるのは、仮にそのプロダクトが人の満たされない欲求、Identity獲得の手助けとなるのであれば別にClubhouseじゃなくてもよかったということ。Clubhouseがうまくいったのはあくまで方法論、ネットワーク、運が良かったからなのではないか。

でもここからは多くのことが学べる。方法論は大事。他の音声プラットフォームは星の数ほどあったし、それはみんな同じWhy Nowの状況、技術の発展の状況という観点では同じ土俵にいたのだ。これらのWhy Nowと技術の発展、そして、それに伴う人の行動や習慣は同じ条件が与えられていたのだとすると、差別化される部分は方法論でしかない。何をやるか (What) は上記のFrameworkに合わせると同じようなものに行き着くことは多い。

もちろん人の習慣そのものを変えることで、Whatによる差別化を生み出すこともできるのかもしれない。でも、人の習慣を変えるためにはその習慣を変えるための何かしらのコンテンツをその人に与え続けなければならない。そのコンテンツ or Productはどうやって、何の技術で生み出して、どう広げていくのか。ここをクリアできれば、それはそれでClubhouseのような新たなプロダクト、事業を作り出せるのかもしれない。それはドミノのように最初の誰かを熱狂的に変えることができればMomentumが生まれてViralする可能性もある。いずれにせよ、そのドミノが倒れだすと競合も察知して追いかけてくるから、最終的には方法論による差別化も必要なのかもしれない。Communityなどもあると思う。

コロナは何を変えたんだろう?

コロナの影響でWork From Homeが余儀なくされ、基本的に家で作業するという隔離がなされた。良い面としては日常の通勤や移動が減ったことで可処分時間が増えたと言える。でも、その分、社会との繋がりを実感しづらくなったと言える。

これは逆にどこからでも働ける機会をもたらしたとも言えて、それは優秀であればどの国、どの地域からでも大企業、スタートアップなどに勤められることでもあり、逆にこれまでそういった企業で働いていた人が自由に旅したり故郷に帰ったりしながら仕事できるという機会ももたらしている。これはInternetやNetworkなどのインフラがしっかりしていることにも起因している。

そんな中で社会との繋がり、実生活での人との繋がりが減ったことは、他の人が何をしているのかが気になる、知りたいという欲求を今まで以上に強く駆り立てたとも言えるのではないか。逆に自分のIdentityを示す場所がオンラインに限定されたという変化ももたらした。

いつも支えてくださりありがとうございます!