個人情報に匿名はない

 バカな大学生の表面的な感想なので、間違ってると思います。でも、言葉にせずにはいられなかった。

 いま、インターネットはその匿名性を失いつつある。

既に半ば確定しているだけでも、これまで申請することによって開示することができた情報

IPアドレスというインターネット上における住所ではなく、電話番号という現実世界における仮想的住所にすべく法律が作られようとしている。

インターネットのもつ大きな特徴でもある「匿名性」にメスが入れられようとしている中でメディアは報道の仕方を変える必要があるのではないか?それが今回の問いである。

今日テレビをつけると行われている報道のほとんどに不倫が関係してくるのではないだろうか。不倫相手を性のはけ口にしていた、多目的トイレで行為を行っていた、などそれは既に何度も放送された内容と遜色ないだろう。

しかし、その本質は誹謗中傷と変わらない

テレビの放送内容を誰が決めているかご存知だろうか。ニュースやバラエティー、旅番組などの多数の番組では台本が存在しており、番組内容のほとんどが番組収録前から判明しているということに大きな間違いはないだろう。

長時間、それも毎日放送されるニュース番組は多くのスタッフが台本に関わっていることに違いない。

ここで大事な当たり前を開示することにする「完全に私的判断を含まない、公共的情報開示は存在しない」という事実だ。

メディアの記事内容を完全に私的判断を含まずに放送することはできない。私が現在執筆中のこの記事も、独断と偏見という私的判断のオンパレードである。

話が逸れてしまったが、ニュースの記事にはそのニュースを担当した人の独断的判断が存在しているということだ。

しかし、私たちはその人が誰なのか知らない。

彼らは番組制作の裏側に存在していて、表側の出演者しか見ない私たちに彼らが何を担当しているのか理解することは難しい。

もしも、彼らが台本に用意した内容に誹謗中傷が含まれていれば、彼らはメディアという巨大なネットワークに匿名で誹謗中傷を行っていると表現できるのではないだろうか。

いや、必ずしも誹謗中傷であるとは限らない。それは当人の視点からすると公正な判断に基づいた、客観的視点なのかもしれない。しかし、私たちは完璧に中立的判断と私的判断を切り離すことができない。

これまで裏側の人間が名前を出す必要はなかった。しかし、匿名であっても個人の発言に重大な責任がのしかかるこれからの時代

テレビの台本という裏側の発言であっても、責任が求められるのではないだろうか。

私は今回の不倫騒動を見て、犯罪者だから、という理由で個人情報が溢れかえることに言い難い嫌悪感を感じる

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