【解説】奥野克巳『はじめての人類学』の要点だけを解説【人間らしさ PART2】
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◆人間らしさ PART2
◇紹介書籍
おはようございます、Kazukiです!
それでは今週もさっそく投稿の内容に入っていきましょう。
今週紹介していく書籍たちはコチラになります。
2023年6月30日に文藝春秋さんから発行されました、
市川沙央(いちかわ・さおう)先生の『ハンチバック』と、
2023年8月20日に発行されました、
奥野克巳(おくの・かつみ)先生の『はじめての人類学』になります!
本日は人類学について語ります。
◇紹介書籍概要
また今回の紹介書籍たちの概要につきましては、
いつもと同じように下記に詳細を載せておきますので、
もし紹介書籍たちについて気になった方がいましたら、
そちらの方はぜひ下記をご覧いただければと思います。
◇紹介書籍選出理由
そして、今週の投稿に、
本書『ハンチバック』と『はじめての人類学』を選んだ理由、
そちらにつきましてはパート1の投稿で簡単にですが解説しておりますので、
もし詳しく知りたいという方がいましたらぜひパート1の投稿をご覧ください。
◇投稿内容とその目的
そして、今週の投稿内容につきましては、
前回のパート1で市川先生の『ハンチバック』を完全要約していき、
このパート2で奥野先生の『はじめての人類学』を要点解説していき、
最後のパート3でその二冊を掛け合わせた考察をしていきます。
なので、今週のこの【人間らしさ】シリーズの投稿を、
パート1からパート3まで全部ご覧いただいた暁には、
第169回芥川賞受賞作『ハンチバック』の内容が概ね理解でき、
また「人類学」という学問について、ある程度の知見が持て、
芥川賞受賞作『ハンチバック』に秘められた人間らしさを人類学的に理解できる!
そんなシリーズになれば幸いだと思っております。
それでは、令和のこのコンプラがガチガチに固まった世の中で、
本当の人間らしさを見つけるための読書の旅へ一緒に出かけましょう!
◇「人類学」とは?
それではようやく本作『はじめての人類学』の内容に入っていきますが、
本作はそのタイトルどおり「人類学」という学問について、
本当にはじめて学んでいく方のため書籍になります。
ですが、そもそもの大前提として、
この「人類学」という学問は一体全体何について学ぶ学問なのでしょうか?
これがわからなければ前には進めませんので、
まずはこの基本の「き」となる疑問について抑えておきましょう。
この疑問について、筆者の奥野先生は次のように述べています。
つまり、人類学とは、
人間とは何かを明らかにする学問だということです。
私たち人間の本質に触れられる、
そんな学問とも捉えることができそうです。
さらに奥野先生は、そんな人類学を学ぶ上で、
絶対に外せない4人の最重要人物たちがいると述べています。
それが次の4人です。
ブロニスワフ・マリノフスキ(1884ー1942)
クロード・レヴィ=ストロース(1908ー2009)
フランツ・ボアズ(1858ー1942)
ティム・インゴルド(1948ー)
そして、今回のこのパート2では、
これらの人類学を学ぶ上で絶対に外せない4人それぞれの考え方について、
本書『はじめての人類学』の内容を参照していきながら解説していきますので、
最後までお付き合いいただければ幸いです。
◇マリノフスキ「生の全体」
それでは、まず最初に解説していくのは、
ブロニスワフ・マリノフスキという人物の考え方についてですが、
彼が人類学において果たした最も重要な功績というのは、
フィールドワークの精神と実践です。
というのも、このマリノフスキより前の人類学者たちは、
その当時の探検家や旅行者、宣教師などによって記録された二次資料に基づいて、
机の上で仕事をしていただけだったので、
実際に現地に訪れたことはありませんでした。
しかし、このマリノフスキは、
「それだけでは本当に知りたいことのすべてがわかるわけがない!」と考え、
実際に現地に赴き、現地の言葉を話し、現地の行事に参加し、
現地の人たちの生活に参加しながら彼らを観察する、
「参与観察」という方法を編み出しました。
要するに今風にいうと「エアプじゃない」ってことです。
ではその上で、マリノフスキは、
どのような人類学的な考え方をしていたのかというと、
それは「外部」である現地にこそ、
私たち人類がいかに生きるべきかの答えがあるのではないか、
という問いから始まり、
その問いの答えとしてマリノフスキがたどり着いた理論が、
「機能主義」というものです。
これは簡単に言うなれば、人間を理解するためには、
その人間を取り巻く社会のどこか一つの場面を切り取って、
人間というものを理解するのではなくて、
様々な要素が複雑につながり合って一つの統合体として、
人間というものは成立していると考える、
つまり「人間の生きている全体をまるごと理解する」という考え方になります。
これは、マリノフスキがフィールドワークによって、
現地の人の生活をその目で実際に確かめて、
自身で記録を取ったからこそ導き出せた考え方であり、
これまでの自室で一人閉じこもって机に向かって考える、
いわば「安楽椅子の人類学者」たちにはできない考え方でした。
◇レヴィ=ストロース「生の構造」
それではマリノフスキの解説はここまでにさせていただきまして、
次はクロード・レヴィ=ストロースという人物の考え方について、
本書の内容を参照しながら解説していきます。
このレヴィ=ストロースが人類学において示した考え方というのが、
「外部」には「外部」の完成された人間の精神があるというものです。
これだけでは何を言っているのかいまいちピンとこないと思うので、
もう少しわかりやすく解説していきます。
先のマリノフスキの説いた「機能主義」の根底にある考え方というのは、
あくまでも西洋近代社会が世界の中心であり、
「外部」である現地はその西洋近代社会の人間の在り方を模索する、
いわば一つの「ツール」のようなものだと考えられていました。
主役はあくまでも「西洋近代社会」です。
なので、マリノフスキがフィールドワークを行った時に、
その記録というのを自身のノートに認めていたのですが、
そこには現地の「外部」があくまでも西洋近代社会に従ずるツールかの如く、
現地の人に対する苛立ちや鬱憤、
侮辱や愛欲の言葉の数々というのが認められていたんですね。
そうなんです、実は陰でめちゃくちゃ言ってたんです。マリノフスキさん。
しかし、このレヴィ=ストロースの考え方はそれとは一線を画し、
先にも述べたように「外部」は「外部」ですでに完成された人間の精神があり、
それはただ西洋近代社会とはまた違った人間の精神が完成されているだけであり、
そこに対する「遅れている」だとか「野蛮」だとかいう指摘は、
甚だ見当違いであり、間違っていると考えるものだったのです。
つまり、今でいう「みんな違ってみんな良い」という考え方の、
人類学におけるパイオニアがこのレヴィ=ストロースだったわけなのです。
さらに、その考え方を理論的にアプローチするためにレヴィ=ストロースは、
「構造」こそが人類に備わった普遍的なものであると主張します。
それは後に「構造主義」という思想にまで発展しますが、
これは私たちが生活している社会や文化の背後には目に見えない構造があり、
人間の活動はその構造によって支えられているとする考え方です。
わかりやすい例で言うと、インドのカースト制度などがその最たる例でしょう。
そして、この「構造」という考え方が、
レヴィ=ストロースの人類学の思想の根幹であり、
「外部」には「外部」の完成された人間の精神があると唱えた所以でした。
◇ボアズ「生のあり方」
以上がレヴィ=ストロースの唱えた人類学の解説になりまして、
次はアメリカの人類学を大きく発展させた、
フランツ・ボアズという人物の人類学について、
本書の内容を参照していきながら解説していきます。
このボアズは今しがた述べたように、
アメリカの人類学においてとても大きな功績を残した人物でして、
その功績というのが、
文化が人間の生き方を規定するという文化観を人類学に持ち込んだことです。
つまり、私たち人間というのは、
生まれではなく育ちによってその生き方が決まり、
また人種ではなく文化によってその生き方が決まるという考え方です。
ではなぜボアズはこのような文化観を人類学に持ち込んだのかというと、
それにはボアズの出身地というのが大きく関わっています。
ボアズの出身地はドイツであり、
ボアズが生きていた頃の1858ー1942のドイツで何があったかというと、
それはドイツ国家やドイツ国民によるユダヤ人の排斥運動です。
そして、ボアズはその標的となるユダヤ人だったので、
その排斥運動の流れに巻き込まれて憂鬱とした日々を送っていましたが、
そんな折にボアズは北米西海岸に調査研究に行くことになり、
そのままアメリカのニューヨークで市民権を得て、移住をしたボアズは、
当初は移民研究にのめり込んでいきます。
しかし、ボアズはその移民研究を続けている中で、
ヨーロッパからアメリカへ移住をした自分を含めた多数の移民の体に、
なぜか頭の形状が均一化していく傾向があることに気が付きます。
つまり、「アメリカ」という文化が人間を作っているのではないか?という、
先に解説した文化が人間の生き方を規定するという文化観の発見でした。
そうして、このボアズの文化観というのは、
全ての文化には価値があり、そのすべてに敬意が払われるべきであるという、
「文化相対主義」という考え方を提唱するに至り、
それは後にナチス・ドイツに対抗する言説にまでなり得るほどに、
大きな力を持ちます。
◇インゴルド「生の流転」
そうしてボアズの人類学における考え方の解説もここまでにしまして、
いよいよ最後の最重要人物であるティム・インゴルドが唱えた、
人類学の考え方について本書の内容を参照して解説していきます。
このインゴルドが人類学に与えた一番の功績というのは、
現地の人の「人間性」について語るのではなく、
現地の人と一緒に「人間性」について語ることの大切さを示したことです。
というのも、
これまでに紹介したマリノフスキやレヴィ=ストロース、ボアズらは、
自身の人類学の考え方の中における現地の人の「人間性」について、
マリノフスキは西洋近代社会の人間性を探るツールとして、
レヴィ=ストロースはすでに完成されたひとつの精神として、
ボアズはその土地や社会に根ざす文化の中で形成されたものとして、
語っている様子というのが見られたかと思いますが、
これらの手法はインゴルドからすれば「間違った方法」だということです。
では、インゴルドが見出した手法というのが、
一体どのようなものだったのかというと、
それこそが先にも述べたように、
現地の人々と一緒に「人間性」について考えるということだったのです。
もちろん、インゴルドも先に登場した人類学者たちが行っている、
フィールドワークの精神というのはキチンと踏襲しており、
フィールドワークを行い、『外部』である現地との交流を図ることには、
全く否定的ではありません。
ですが、インゴルドからすれば、
人類学者がフィールドでするべきなのは、
現地の人々の語りをデータとして集めて、
そのデータを元にして現地の人々について語ることではありません。
むしろ、その現地の人々の知恵や技術と共に、
私たち人間はこれからどのように生きれば良いのかを考えること、
これが人類学者のあるべき姿だとインゴルドは述べています。
なので、インゴルドにとっての人類学というのは、
私たちが常日頃抱いている「生きづらさ」や「生きにくさ」といった、
人間にしか抱き得ない葛藤を解き明かすツールだということなのです。
それを証明するかのように奥野先生は本書の中で、
インゴルドの著書『人類学とは何か』という書籍から、
次の一節を引用しています。
◆おわりに
いかがでしたかね!
今回のこのパート2の投稿では、
2023年6月30日に文藝春秋さんから発行されました、
奥野克巳(おくの・かつみ)先生の『はじめての人類学』の、
要点解説をお届けしてきました!これが人類学です!
私自身、これまで人類学という学問を学んだことはないですし、
本作のタイトルのとおり『はじめての人類学』だったわけなのですが、
それでも人類学の全容というのは、
本作で大まかに捉えることができたかと思います。素晴らしい良書でした。
そして、次回のパート3では、
今回解説した「人類学」の知識を用いて、
パート1で要約した芥川賞受賞作『ハンチバック』におけるある一言について、
だいぶユニークなある考察をしていきますので、
そちらもお楽しみいただければと思います。
むき出しの人間性というものを芥川賞受賞作から学びましょう。
では、この投稿が面白いと感じた方は「スキ」。
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どちらもお忘れなきようこれからも応援してくれるととても嬉しいです。
それでは、また次回の投稿でお会いしましょう。またね👋
◇紹介書籍リンク
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