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つよくなるために。

かれこれ3年が経ちました。僕がトレーニングを始めてから。

唐突な倒置法によるはじまり。
約2年9ヶ月ほどは家でのトレーニング。
半年ほど前からジムに通い始めました。

もともと体の線が細く、学生時代は毎日のように、
「ガリガリだな。」とから「もっと食え。」と言われ続けてきました。

特に中学時代は、体型が細く、内気、力のない自分に対して、雑言を浴びせる人もいた。
しかし、それに反抗できなかったのです。
彼らが怖くてなにも言えなかったのです。
そして、だんだんと自信をなくすようになり、人の顔色を伺いながら生活するようになりました。


学生時代は、「学校」が社会全体だと思い込んでおり、そこで生まれるヒエラルキーには抗えなかった。そして、その「学校」で目立つ人ばかりがもてはやされ、それ以外は蚊帳の外。
顔が整い、運動神経がよく、リーダーシップがある。
それでいてモテて成績も優秀な人たちが、学校という社会を牛耳っていた。
天は二物を与えずという言葉なんてこれっぽっちも信じていなかった。


一方、社会に出ると色んな人がいる。
まだたったの7ヶ月だが、仕事やプライベートを通して色んな方たちと出逢ってきた。
もちろん新人なので会社で怒られることもあります。
理不尽なことで自分が頭をさげなきゃいけないときもあります。

これらは自分の話。


冒頭に戻りますが、僕は半年前にジムに通い始めました。
トレーニングはかれこれ3年続いています。

それにより、少しずつ自分に変化が生まれました。


①筋肉がつく。という身体的な変化。
②より健康を意識するという意識の変化。
そして何より変化が大きいのは、①、②に伴う内面の変化

身体の変化に伴い、自分の内面にも「つよさ」(自信)を見出せるようになってきたのです。

変な話、街中で喧嘩をふっかけられようが、会社で怒られようが、友人から馬鹿にされようが気にならない。

自分からは何も起こさない。
でも、自分や大切な人の身に何かあった時に守れるだけの「つよさ」がついたのです。


本当につよい人は自己を誇示しないと聞いたことがある。
本当につよい人は内側から自信に満ち溢れていると聞いたことがある。

学生時代でいう「つよい」は権力や身体の大きさ、そして単純に喧嘩が強いという面でしか見出せなかった。だから僕は「よわい」人だったんだろう。

でも、この年齢になってわかる。

ひとえに「つよい」と言ったところで、たくさんの「つよい」があり、それは必ずしも力のつよさだけではないということ。

そして、そのつよさの使い方も大切だということ。

そして、内面の「つよさ」というのは、

自分の「よわい」ところを受け入れているということ。

自分の中の苦しみと正面から向き合える人のことをいうんじゃないかな。

そしてその「つよさ」を持っている人が「優しさ」に昇華することができる人に大きな安心感と信頼感を感じる。
何をしてもへこたれることがない。大きな、大きな芯を感じる。

特にこの数年、学校や会社以外のたくさんの人と会った。
本当に人それぞれバックボーンが異なるし、いろんな人がいることを感じた。
でも不思議と「つよく」、「優しい」と感じる人には、言語化できない共通の雰囲気を感じる。
そこに身体的な要素は関係ない。

自分は、内面のよわさを受け入れていたが、それを守る外壁がなかった。
それをトレーニングによる外見の身体的自信が外壁の役割をして守ってくれ、内面のよわさを醸成することができ、それにより多少の「つよさ」に変化し、「優しさ」に昇華しているところ
だ。


時に不必要なことを言ってしまう時もあるだろう。
時に不愉快になってしまうことを言ってしまう時もあるだろう。
その時は素直に「ごめんなさい」と言える人でありたい。

時に自分の大切なもの/人が危険にさらされるかもしれない。
大切な何かが失われそうになるかもしれない。
その時は全力で守る。指一本触れさせない。


自分のよわさをあぶり出し、向き合い、受け止める。
これからやってくる数々の苦しみから何度も立ち上がる。
そうして人はつよくなっていくんだ。
そうして僕はつよくなるんだ。


つよくなるために。

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