「適度な距離感」のある人間関係が、心地いい
人生の転換期を迎えるたびに、「あの人に会っておこう」という気になる。
イタリアへの大学院進学を決めた手前、自分はこれから二年間(何事もなければ)日本を離れる。なので家族含め、当分会えなくなる人が出てくる。「誰とキャッチアップしよう」という思いに駆られながら過ごした、ここ数ヶ月。
結果、時間が適わなくて会えずにいた人も。またリアルで会って話せるのは何年後かになるか。けれど、それで良いんだと自分は静かに納得する気持ちでもいた。
ふと、人との距離感について考える。
大学までは、ある程度仲の良い個々の付き合い・グループがあって、授業や課外活動など、日々頻繁に顔を合わせながら、関係を深めていく。
大学を卒業して以来は、ちりぢりに。場所もライフスタイルも異なってくる中で、自然と距離は開いてくる。そのため、ある程度意欲を持って連絡したり、「会おう」と声かけないと、互いに音沙汰はしばらく途絶える。
けれど、それでいいのだと、自分は思う。いつも会わなくていい。しばらく連絡がない状態が、何ヶ月でも何年続いてもいいと思う。頻繁に顔を合わせる必要も、ない。
「あの人とは、二年後になっても会いそう」
「今はあの人と会うタイミングじゃない気がする」
なんとなしに、そう感じたりするから。
逆に「常に会っていないといけない」「毎週/毎月のように連絡を取りつづけていないと、友人として距離が開きそうで不安」みたいなことが、自分はあまり好きではない。
「会っていないと、その人との関係が切れてしまいそう」と、不安感に駆られるだけでコンタクトを維持しようとするのは、何か違う気がする。単純に、疲れる気がして。それくらいならば、そもそも会う必要がないのでは、と思う。
人との仲の証左は、連絡を緻密に取り合う頻度よりも、何年かにでも一回会ったときの感動や、会話の深さによって押し図られてもいいのではないか。
お互いに自身の人生を歩む過程で、何を見てきて、何を感じたのか。適度な距離感があるからこそ、自立した冒険譚が互いに語られ、相互の刺激となる。
たとえ一年に一回会えただけでも、自分にとってはその出会いが貴重だったと思えるし、価値があることと思う。人生残り何十年かで、限られた回数の中で会えたのだとすれば、なおさら。逆に、一年の間に何度も連絡を取りつづけていても、どこか「そんなに意味あるかな」と思ったりもする(たまたま同じ趣味や興味の勉強などに芽生えていて、日々研鑽しあったり、意見を交換しあったりていう日々が送れるなら全然いいと思うけど)。
自分の道を歩んでいると、ふとしたところで「そういえばあの人の話を聞いてみたいな」と思うときがくる。そういうときが、その人と再会を果たす一番良いタイミングなんじゃないかと思う。
逆に、特にそう思えなければ、無理しなくていい。適度な距離感を保ちつづけることで、また出会うべきタイミングが生まれるのだという気がする。
それが、自分にとって心地よいと感じる。
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