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組織のリーダーがいかに「孤立」を避けるべきか

コミュニケーション学をやっていると、「組織行動論」なる分野に興味をそそらされます。どうやって人のモチベーションを上げられるか?目標を共有するために具体的なやり方はあるか?

組織内における人間の心理や言動を研究し、効果的な策略を練っていく。その中でも光るのが「リーダーシップ論」です。特に、リーダーとその側近や部下との関係がどう紡がれているのかは注目に値します。

昨今、ウクライナ情勢の報道が続きますが、BBC Newsが大統領プーチンとその側近たちの距離感にフォーカスした記事を出しました。

プーチン氏は最近、用意周到に準備された2つの場面で、取り巻きたちと会った。対面したのは側近中の側近だったが、常にかなりの距離を取って座っていた。プーチン氏がこれほど孤立して見えたのは、かつてないことだった。(2022年3月5日上記事より抜粋)

最近出回る写真でもよく見かけますが、なかなかの距離感ですね...。長年の腹心というショイグ国防相でさえ、遠く離れた位置で着席させられている模様です。

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もちろん、写真からだけでは実際の事情を完全には掴めません。ただウクライナ・ゼレンスキー大統領の支持率がうなぎ登りしたのと比較すると、ずいぶん対照的に映ります。

プーチン大統領にいたっては、精神状態を懸念する声すら上がり。米情報機関や有力議員の間から飛び交うほどに。真相がいかにせよ、少なくとも周囲から見て「尋常じゃない懸念」を生む指摘が及んだのは事実と言えそうです。

疑心暗鬼に陥った権力者が衰退していく...。古今東西の歴史で見られる事象ですが、改めてリーダーシップの担い手が「身近な他者との関係をどう紡いでいるか」に注目させられたようにも思います。

二つの「孤立」という観点から見ていきましょう。

1. 私生活面における孤立

権力者といえども、家族ってけっこう重要なファクターでは?という見方です。

一見「理性と力で果敢に決めている」ように見えるリーダーでも。割と身近な伴侶であり、親や兄弟姉妹、子どもに影響を受けている部分も少なくはないと。

例えば、第二次世界大戦期のベルギーにはレオポルド3世という国王がいました。(写真: wikipediaより)

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世界大恐慌が起こり(1929年)、ドイツでヒトラーが政権を取り(1933年)、不穏な空気感に包まれるヨーロッパ。

当時は、国民に長く愛された国王アルベール1世(レオポルド3世の父)が在位していました。...が、不幸にも山で遭難し亡くなってしまう(1934年)。息子のレオポルドが後を継ぎますが、その直後に王妃アステリッドを自身が運転する車で事故死させてしまいます(1935年)。

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レオポルド3世は、国民のカリスマである父を敬愛していました。かつ、アストリッドとは熱烈な恋愛結婚をするほどに愛しており。そんな大事な存在を、わずか一年余りで2人も失いました。

その上、弟のシャルルも平民との結婚問題で、ほぼ断絶状態に。暗澹な社会情勢の中、父も妻も弟も失い、ひとり取り残されたレオポルド3世は、すでに意気消沈でした。

結果、彼は側近の助言も聞かないまま「中立政策」を極度に貫くあまり、侵攻するドイツ軍に抵抗できず支配されました。戦後になっても「ベルギーを守ろうとしなかった国王」として、不人気を被り続けることに。

この暗い面と対照的なのが、彼の親友・イギリス国王ジョージ6世です。奇しくもベルギーとほぼ同時期に先王が崩御し、彼は国王に就任しています(1936年)。

映画「英国王のスピーチ」で有名ですね。2010年に公開され、アカデミー賞も受賞しました。吃音症を持つジョージ6世が、国民を鼓舞するためのスピーチを言語療法士の力を借りて励むさまを描いた物語です。

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ドイツ軍の激しい侵攻の中。頼りの父も亡くなり、王位継承の宣誓もボロボロ。まともに喋れない上、海軍士官の経験しかない自分が国王に向いてるはずがない。

そんな重責に駆られて、何もかも投げ出しそうになります...。が、その不安をしっかりと受け止め、聞いて和らげたのがエリザベス妃でした。さらに言語療法士のライオネルとも立場を超えた信頼関係を紡ぎ、親交を深めていく。

結果として、イギリスはドイツ軍の侵攻を阻止します。映画の終わるシーンも象徴的です。大英帝国全土に向けた鼓舞スピーチを終え、放送室を出るジョージ6世。そんな彼とともに、妃のエリザベス、娘のエリザベス王女、マーガレット王女が付き添い、ライオネルが見守ります。

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愛は世界を救う」と言いますが、大げさではないのかもしれません。励ましてくれる人が、悩みや葛藤を聞いてくれる人が、叱ってくれる人が、身近から消失してしまったレオポルド3世は、ベルギーを守れなかった。英国王ジョージ6世とて、エリザベス妃や友人ライオネルがいなければ、どんなストーリーを経ていたかは分かりません。

このように国を統括するようなリーダーでさえ、身近な人の影響は無視できません。すぐそばに、愛せる他者がいるか?愛されているか?国の舵取りを担う人を取り巻く「愛」が、思ったより行く末を影響させていく。

ことに、プーチンはどうなのか?私生活に関して、あまり大っぴらにしていない印象です。娘が2人いるみたいですが、2013年には奥さんと離婚している模様。2014年のクリミア占拠の直前と、直接に因果関係を結びつけられはとてもしないでしょうが、一要素として気になる面もありました。

2. 仕事場における孤立

力を持ったリーダーほど、周りにおそれられる。

「おそれられる」には二通りの漢字があります。「畏」と「恐」。「畏」れられても、「恐」れられるだけになってはいけない。この点にすごく敏感だったのが、中国で300年続いた唐王朝の始祖・李世民(=太宗)でした。

「太宗の勇ましい姿は厳粛であり、多くの臣下は太宗の前に出ると、皆その挙動をしくじってしまう。太宗はそのことを知っており、臣下が上奏するときはいつも必ず顔色をやわらげてその意見を聞き、政治の利害得失を知ろうとした。」
求諫篇(巻2・求諫第4)-

中国の皇帝といえば、すごく厳粛なイメージがありますね。少しでも家臣が反対の意見を言ったら、即座に処刑されるとか...。ところが、実際に威圧的な統治をした「秦」の始皇帝や、「隋」の煬帝らが立てた国家は、彼らの在位のわずか15年ほどですぐになくなりました

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臣下からすれば、「王に都合の悪いことを言ったら殺されてしまう。本当は伝えたほうがいいことなのだけど、黙っておこう...」となり。同じ陣営の人たちにも疑心暗鬼が生まれ、国家の衰退につながりました。

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李世民は、真逆でした。顔色をわざわざ和らげて、微笑みを大事にするような謙虚な皇帝なんて、なかなかいなさそうですね。が、結果として彼の建てた帝国は、約300年にわたって続くまでに。鎌倉の北条政子や、江戸幕府の徳川家康も彼の言行録を読んでいたというので、重みがあります。

「恐れ」のみの組織は15年で瓦解し、「畏れ」の組織は300年も存続する。

これに近いリーダーシップを発揮した人は、ローマ帝国にもいました。マルクス・アウレリウスという皇帝です。

君が宮廷生活の不平をこぼすのをこれ以上誰も聞かされることのないように、また君自身も君のこぼすのを聞かされることのないようにせよ。
他人の過ちが気に障る時は、即座に自らを反省し、自分も同じような過ちを犯していないか考えてみるといい。」- マルクス・アウレリウス『自省録』

ローマ帝国で最も良かった世紀と言われる「五賢帝時代」の皇帝。それがアウレリウスでした。彼が残した上記のメモから...(超トップダウンで強気に命令しまくるイメージの)皇帝とは思えないほど、非常に謙虚なマインドが伺えます。

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というのも、彼は「ストア派」という哲学の愛好者でした。シンプルに言うと「コントロールできない外部のことに、引っ張られすぎない」考え方です。嫌な人や出来事と出会しても、無理に変えようとしない。できないから。唯一変えられるのは、自身の思考や言動のみにある。

反対する臣下をも包み込むような姿勢は、唐の李世民と似ています。実際、シリアのカッシウス(部下)が帝国内で謀反を起こした際も、自身で直接説得しようとしていました。やむなくカッシウスは己の部下によって惨殺されてしまうのですが、

カッシウスの首がアントニヌス(アウレリウス)の元に送られてきた時、彼は喜ぶことも誇ることもせず、慈悲をかける機会を奪われたことを悲しんだ。自らの心でもって責め、命を助けるために、生きたまま捕えたいといっていたからである。
(ウルカキウス・ガリカヌス『アウィディウス・カッシウスの生涯』)

というように、とても寛容でした。そんなリーダーの姿勢が「畏れ」を生み、帝国の繁栄につながった...と見ても過言ではなさそうのは、残虐さという「恐れ」で知られた数々の暴君な皇帝が、不穏な統治期と合わさることからも言えそうです。

唐の李世民であり、ローマ帝国のマルクス・アウレリウス帝であり。互いに共通するのは、身近で支えてくれる「仕事場の仲間」を大切にした点でした。権力者の孤立は、客観性を見失って危険であると。

こんなリーダーシップの姿勢は「水」にも喩えられます。

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一体、最上の善は、水に譬えられる。水というものは、万物に優れた恵みをもたらすだけであって、勝ちを求めて他と争おうとせず、大衆の嫌がる低い地位に安住している。だからこそ、道に近い存在なのだ。

上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に居(お)る。故に道に幾(ちか)し。- 第八章 上善は水の如し『老子』

中国の老荘思想にある一行で、「水は上善の如し」があります。水は一番高いところにありながら、最も低いところに下りてくる(=謙虚さ)。それでいて人間や動植物にまで、あらゆる万物に恵みをあたえる(=善良さ)。硬い岩にぶつかっても、自分の形を変えて流れていく(=柔軟さ)

例えポジションが上であっても、周囲にいる人を大切にし、自ら自然と下りてくる。「恐れ」が「畏れ」に変わり、「水」のようにはたらき、調和されたリーダーシップを生んでいく。それが組織にとって、何よりも大きな力として作用します。

周囲の人間関係が、「リーダー」を部分的につくる。

総じて、リーダーは私生活面でも仕事場の面でも。身近にいる人間関係に大いに左右される側面がありそうです。ひとり強気に指揮を振るう姿がイメージされがちですが、どうしても人である以上は、周囲の人に影響を受ける。

アメリカの起業家ジム・ローンが唱えた考え方に「人は周りにいる5人の平均で決まる」という法則があります。

あなたは、もっとも多くの時間をともに過ごしている5人の平均である。

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価値観や考え方、話し方やしぐさ、収入や趣味まで。結局は、周囲にいる人たちの性質を足し合わせて、平均したものが自分であると。シンプルながら意を突いている理論として、人口に膾炙している法則ですね。

」では、伴侶や親、子ども。
仕事」では、信頼できる部下や同僚。

どちらの面でも、良い人に囲まれるほど、円の中心に立つ人の精神的な強さ・説得力を相乗効果で支えていく。としたら、どんな身の回りの人間関係をリーダーは構築するのか、といった視点もひとつに求められそうです。

普段の日常を生きるわたしたちにとっては、「権力者」というほどおおごとではありませんが...。現在でも歴史上でも。孤立したリーダーが招く不遇な物語から、身近な人をどう大事にしていくかは、少なくとも考えていけそうです。

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