同性婚の法律化は無理

男同士(あるいは女同士)では、アパートもマンションも借りることが出来ない、などと大家が言い出したら、それは大批判をすればいいし、訴追できるようにしたら良い。
オレはドールとしか一緒に居られないんだ。
オレはイヌとしか、ネコがいれば十分、あるいはカワウソとしか…、云々かんぬん。
別に問題はないよ。自由にしたら良い。
ただ、「●●だから、彼奴はダメ」というのは、LGBTどうのこうの言う前に、そう言う奴がダメなんだ、ということだ。そういうことで実害を与えられたら訴えるだけの道筋は作るべきだろう。
だが、婚姻となると話しはまた別だ。 やはり子孫を残す可能性があると言うことで、それなりの配慮は国を維持していくためには必要である。人がいなければ国は成り立たない。移民を入れれば良いという問題でもない。脈々と続く歴史、伝統は、この地で生まれ育たないと、継承することは難しい、というかできない(例えば、角田研究。生まれたときから日本語環境になければ、虫の声は、声ではなく、雑音にしか聞こえないか、もしくは聞こえない。つまり日本人と外国人の感性は丸っきり違うので、それに基づいた文化も伝えることがほぼできない)。
それでも制度を変えようというなら、多数決の原理を採用させて頂く。
差別はダメでそれを解消することには賛成するが、婚姻制度を根本から変えようとする動きには断固反対する。
歴史、経験というのは、人間の愚かさを少しでも軽減する作用はあるのだ。ポットでの思想では人間は誤るのだ。
同性婚はしたい者がすれば良い。しかし。制度としてはあり得ない。
それに結婚と言うことは個人を縛ることでもある。
どうして自由が大好きな思想を持つ者達(違ったらごめん)が、制度的にも強制のある婚姻に拘るのか。理解に苦しむ。
例えば、浮気などしたら損害賠償を払わなければならなくなるが、ただ同棲しているだけなら、純粋に一緒に居たいといういう気持ちだけで繋がっているのだから、より高潔なのではないの?
何らかの制度で強制されなければ一緒に居られないなら、むしろ破局した方がいいのではないか。
婚姻関係をむずんでいる場合には、そう簡単にはいかない(子供の養育、親権なdの問題が山積みだから、逡巡する場合もあるし、妥協で婚姻を維持する場合もある。良い悪いではなく)のだから、より純粋だよね。
ならば婚姻ではなく、同棲であれば、より真摯な関係が成り立つのではないか。 信用できなくなったら、別れれば良いからだ。 結婚はそう簡単にはいかない。 社会的にもそう容易に破綻されても困るのである(だから、かなりの面で婚姻は配慮される。心的問題は難しくても、経済的には配慮される)。やはり社会の基盤(基本単位)であることは間違いないからだ。
それとも同性婚であることを、社会に認めさせたい、承認欲求があるのだろうか?
いやぁ、愛があれば社会に対して承認など求める必要なんてないでしょう? Love and peace!だよ。
実際そのようにしてきたのだろうから、今更承認など不必要でしょう。
筆者は、婚姻に関しては否定するが、自由にやったら良いと思う。
事において差別されるのであれば、それには反対するよ。
余談だけど、おかまさん(まさか差別用語じゃないよね)は面白い人が多い。人生、苦労しているのか、しっかりした考えを持った人も多い。 嫌いじゃないけど、結婚まではいかないかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?