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のら街日記(姫路・大阪・浜松)

姫路

はじまりはいつも突然に

13:00、洗濯が終わった、仕事はたくさんあるが、いま自分一人で動かせるものはなさそう。この時期、岩手県大船渡で復興まちづくり仲間が集っていることは知っているが、この時期の東北はハイシーズン。宿もレンタカーも危険過ぎる上に、電車の本数が少ない(新幹線は全席指定が多い)、ちょっと今からはデンジャラス。ということで、虫が湧いたような唐突さで西に向かう(一応、仕事は「プランナー」なのだが)。

旅のお供たち

14:48、東京発。のぞみ75号で姫路へ。姫路は3つの理由で見に行きたかった。1つは、大手前通りの整備。もう1つは脱炭素先行地域、そして最後は姫路城。ミーハーというなかれ、10年以上前に行った時は平成の大改修の真っ最中…リベンジツアーでも

見事な駅前だと思う

あるのだ。

着いてから考える

17:45、姫路着。直前に慌てて予約したこともあり、ホテルは姫路城とは反対の南口方面。19:00までチェックインはできないので、「ケ」の姫路を見られる機会と前向きにまちあるき。南口には市役所がある。だいたい地方都市ってのは市役所の周りによい飲み屋街があるものだ…とテクテク歩いてみるが、これは典型的な「1980年代、郊外移転型市役所」だな、なにもない(後で調べたらジャスト1980年の移転だった)。

よく考えれば、城側(北口)が旧以外地なのだから当たり前。ただし、それでもメインストリートは立派な街路樹で、南口まで伸びる外堀川の運河公園はなかなかの風情。インフラはかなりしっかりしている。建物はアレだが…。1戸だけポストモダン風?気になる建物あり。

後で調べたら有料老人ホームみたい

歩きながら考える

20:30、大浴場でサウナにも入りシャキッとしたところで北口に出直し、夜のフィールドワーク開始。駅構内から大手前通りを介して姫路城が見えるという、来訪者の心をくすぐらずにはいられないデザイン。駅直前でトランジットモール化された車道(バス・タクシーのみ通行可)がカーブすることで、「城」と「歩行者空間」、そして「バス」が景観構成要素となっているのには脱帽。明日また来るにもかかわらず、城の手前まで歩いて(歩かされて)夜景を撮ってしまう(撮らされてしまう)おそろしさ(すばらしさ)。

前回は城プリントの仮囲いだったからな…感無量

実は、大手前通りのデザインを手掛けたO藪さんに、お店情報を聞いていたのだが、駅直近の「のれん街」は賑わいすぎていてちょっとたじろぐ。ほこみち制度で道路占用をしているKOGANEは気になったのだがお休み。ということで、自分の「鼻」に頼るしかない。大手前通りを往復する間に周囲をウォッチしておき、ネオンの光りに誘われて横道へ。

魚町と呼ばれるストリートが姫路の繁華街のようだが、その大半がスナックビル。不思議なことに姫路の呼び込みのお兄ちゃんたちは大人しく、めったに声をかけてこない。そういえば、以前に来た際はそこそこお姉さんもいたが、それもあまり居ないし声がけもない。そんなに金がなさそうに見えるのか?。いずれにせよ、こちとら小腹を満たして地元の話を聴ける店を探しているのでお互いにお呼びでない感じ。

結局、魚町の入り口まで戻り、最初に店構えが気になった居酒屋に勇気を出して飛び込んでみる。かなりちゃんとしたお店、お値段もちゃんとしていそう(メニューに値段が書いていない)。軽目に頼みつつ、こっそり食べログで価格帯をチェック。ネットに頼って店を見つけたくないタイプだが、こういう使い方は役に立つかも。

メニューが外から見えない店は緊張するね

地元の情報を収集するはずが

軽く呑んで次の店を探そうかとおとなしく呑んでいると、やたら長身の外国人が一人で入ってくる。一見さんの日本人、もっと一見さんの外国人、必然的にカウンターで隣になるわけで…。さてどうしようかと飲み始めていると、向こう側で呑んでいる(だいぶ呑まれている)おとうさんたち二人が、いきなり外国人に徳利を差し出す。もちろん彼は対応に困っているのだが、おとうさんたちは全くもって英語話せないし、その先考えていないし…。

見かねてついうっかり的なクチバシを挟んでしまったのが運の尽き。とうさんたち(酔っぱらい)の通訳になる。僕もたいして話せるわけでもないのに…、ご飯もたべたいのに…。ついでに日本酒ごちそうになったしまぁいいか。おとうさんたちが彼を歓迎したい気持ちは彼に伝わったと思うし。僕もお店の人とコミュニケーションとるきっかけになったし。

おとうさんたちは30分ほどで退散したので、結果としてサシ飲みになる。彼はオランダ人で、アムステルダムの北側50kmほどにあるアルクマール(Alkmaar)という街に住んでいる25際の長距離トラックドライバー。2週間前に日本に入り、東京から西に主要都市を巡っていて、この後は山口、福岡、そして台湾に渡り、後はタイに行こうかどうか…という旅程らしい。たぶん人生で初めてタコを食べた、西京味噌漬けの焼き魚も口にあったみたい。

酔っぱらいのおとうさんたちからの一段落

23:00、閉店。姫路城の夜景を撮りに行くというので、店の前で別れる。ちょっとクールダウンしたいので、目についたバーに入ってみる。若い女性が店長っぽい、若い男性スタッフも2名居て、客は若者ばかり。クライゲライキ(Craigellachie)初めて呑む、バニラっぽい香りだが刺激的な味。横に居たスケートボーダーにしか見えないファッションをしたスケートボーダーのお兄さんが話しかけてくる。宮崎から姫路に来て3年くらいらしい、姫路の住みやすさを褒めつつ、地元食材の美味しさを熱く語る25歳。

地元の話はあまり聴けなかったけど、やはり一人旅・一人酒は楽しいということで、「まえ畑」さん、「コカドヤ」さん、Lammert、コウタありがとう。

姫路城リベンジ…からの再会

5/2 09:00、寝坊せず(寝不足)、朝イチで姫路城へ。コミュニティサイクル「姫ちゃり」を使ってみようかとも思ったけど、やはり歩いて行きたくなってしまう大手前通りの魔力。内堀の手前(つまり大手前通りの街かど)にも城壁の後が残っていたりして、歴史のある街ってやはりよいなぁ、などと思ってしまう郊外住宅地育ち。

以前に訪れた時、姫路城前の内堀に沿う道路は「片側5車線」というかなりダイナミック(乱暴)な道路だったが、今は片側3車線になって歩道が拡幅されている(と思う)。大手前通りと合わさって街なかのウォーカブル度合い(歩きたくなる)は日本でもトップなのではないか。もちろん、横を見るとだいぶ衰退した商店街がない訳ではないのだが…。

姫路城はやはりインバウンドが多く、言語も多様で何語かもわからない人も大勢。グループが多く一人旅は少ないようにも見える。名城の中でも圧倒的な美形っぷりを誇る城郭建築を見上げながら巡っていくと、背が高い外国人男性が…。昨晩のLammertにバッタリ。こんどは酔っ払っていないおとうさん(ボランティアガイド)と一緒だったのだが、行きがかり上、また一緒に姫路城を一回りすることに(ヒキは強い方だと自分でも思う)。

しかし身長差あるな、さすがオランダ人

朝食抜きだったので、帰り際に、ほこみち制度で道路占用しているらしい「まねきのえきそば」でかっこむ。姫路独特で、甘辛目の汁に中華の麺という自称「ミスマッチ」の組み合わせ。ちょっとおごって神戸牛入りにしたら、汁の甘辛がアップした上に値段も1000円超えにアップ。ともあれ、今日は姫路城と大手前通りは満喫したことにする。

ほこみち×えきそば

なお、脱炭素先行地域の取り組み状況はよくわからなかった。オフサイトPPAは目に見えないものだから仕方ないけど。城のライトアップ(石井幹子監修)はもうLED化されていたように見える。ボランティアガイドさんは全く情報を把握していない、そんな状況。

大阪

乗りながら考える

12:12、とりあえずJR線神戸線新快速が来たので乗る。今晩は浜松に着くまでにどこを寄っていくべきか。行きたいところは無限にあり、電車の中で色々と検索してみる。淡路島、舞子辺りで車を借りればすぐなのだがGWでカーシェアが全く空いていない…。神戸、意外に広いというか長い、フラワーロードだけでもと思ったが後がつまり過ぎそう。ここはやはり大阪にしよう。それも、今までに行ったことないエリアと、今しか見られない御堂筋の再整備の進行状況。

日本三文オペラの舞台、今昔

JR東西線に乗り換えて京橋駅へ。ここは、開高健の「日本三文オペラ」の舞台となったエリア。現在は若干密集型の住宅地という佇まいではあるが、地元では色々とあるのだろうな。なんか感じるものがある。ここに関して僕なぞが言えることはない。ただ歩いて街を見た、それだけ。それだけが貴重な経験。

そのまま南に歩いていくと街並みがあまりに極端に変わる。戦時中は砲兵工廠で不発弾が埋まっていた土地が、大阪ビジネスパークとして生まれ変わったエリア。これはこれで、なんか不自然さを感じるのは僕だけなのだろうか。スーパーブロックにちょっとイカツめなデザインの超高層ビル群を、ユニバーサルデザインな雰囲気とは異なる車椅子の人がゆっくり渡っていく(以前、再開発が進む梅田でも同じ様な風景を見た)。

豊かな欅四列植栽を進むとその先は大阪城ホール。アイドルの顔写真入りウチワを持つ女子の群れ。大阪城公園はパークマネジメント事業を導入、園内にはスタバをはじめ、おしゃれな商業施設が並び若者や子連れが集う。もちろん素晴らしい風景なのだけど、ここからまた城に登るモチベーションはない。JR大阪環状線に乗って南下。

コリアンタウン付近を彷徨いながら、考えることをやめる

ジャンジャン横丁まで行くか、ショートカットしてなんば辺りに向かうか。とりあえず分岐点の鶴橋まで行って降りてみる。その瞬間に第3の道が。だめだこの街は素通りできない。ビジュアルだけでなく、漂う香りに惹かれてしまい路地を分け入っていく。なんでこんなにファッション関係の店が多いのだ、あぁこれが噂のコリアンタウン(ではなく鶴橋商店街でした)。

ふと気がつくと、iPhoneも喉もからっぽになっていることに気づく。開店時間だかどうかよく判断できないバーに入ってみる。充電を打診すると心良くケーブルを貸してくれた。2杯ほど呑みながらおねえさんの話を聴く。どうやら娘37歳が普段は店主で、客は若い人がほとんどで90%は女性という女子部室的な店らしい。よかった、正式な開店時間前で。とりあえず心身と電脳製品が充電できたのでまた歩き出す。しかし複雑すぎて脳内地図が全く描けない、このエリア。

まだ腹を満たせていないが、店先に美味しそうなチヂミが積んであるのを発見。3枚1,000円のところを1枚350円に分割してもらい、スーパーのビニール袋に直接入れてもらい歩きながら食べる、美味い。電車が来たので半分だけ残してキャスターバッグに差し込んで駆け出す。改札を抜けて振り返るとチヂミが消えている、引き換えして探すも見つからず。誰だ、俺の食いかけチヂミ持ってったのは。

通天閣にいく途中にこの店があるのがいけない

素直に近鉄に乗り換えてなんば方面に向かえばよいものを、回り道でさらに南下して天王寺まで。天王寺の辺りは10年ぶりくらいか。あべのハルカスが竣工直前だったので2013年前後のはず。駅前には関西初のPark-PFI「てんしば」もオープンして賑わっている。東京でいうと代々木公園的な爽やか風景が広がっている。これはこれで、ちゃんと見たということで満足。

気持ちは既に、道路の反対側、あべのキューズタウンに向かってしまった。そう、ここは以前に居酒屋「明治屋」に詣でたところ。個店でありながら再開発の一テナントとして再出発した居酒屋、昔ながらの店構えをそっくり再現しながらそれがフェイクでなく生き延びている稀有な店。さっき鶴橋で呑んだが、これは30分だけでも詣でなければいかんのだ、ということで、作、富久福で2杯、アテはマグロ串カツ、みそ焼き、絶品だしまき。至福の時間と無情に過ぎ去る残り時間。既に16:30。

新世界・ジャンジャン横丁を通り、通天閣を見に。上りたいのではなく、免震レトロフィット改修をこの目で確かめたかっただけ。エレベーターから通天閣本体に伸びる通路のジャパラ構造(揺れた際の吸収しろ)は見てわかるけど、免震層自体はさすがにわからず、悔しいがネットで検索。概ね予想していた場所と同じだったので自己満足して、お尻に火が着いてきたので贅沢してタクシーで道頓堀へワープ。

トラスの足の上が免震層らしい

どうなる、御堂筋のウォーカブル

17:30、既に夕方の雰囲気を醸し出し始めている御堂筋、道頓堀付近から日本橋付近まで北上。御堂筋辺りでは、副道は両方とも通行止め。周防町辺りまで来ると片側(東側)が工事中でジャリ敷状態・反対側は車両通行中。本線+副道1本分は移行期間or緊急車両で確保しているのかな。そして、心斎橋付近では舗装工事も始まっていた。結構、自転車道が幅をきかせているようにも思えるが…。更に北側では工事完了区間もあるようなのだが、またまたタイムアウトでそのまま地下鉄に。

次に来る時には全面開通後かな

太陽の塔よまた再び

本当はこのまま千里中央まで行って太陽の塔を見たいのだが、それをやると浜松に着くのは22時頃。浜松でどうしても行きたい店もあるので新大阪駅で下車。途中2箇所も呑んでしまった自分を責めつつ、それはそれで貴重な時間だったと自分をなぐさめつつ。

18:10に新大阪。18:15に出る新幹線に乗れば20:00前に浜松に着けることはわかっている。新大阪駅構内をセナのごとく駆け抜け(迷惑)なんとか飛び乗る。さてこれで一段落、今までの経過をまとめておこう、とこの文章を書きはじめる。

のぞみ号にて、のぞみを断たれる

19:00過ぎ、名古屋を過ぎた辺りでそろそろ到着時刻にに気をつけようと思う。そこで流れる車内アナウンス。次の停車駅は「新横浜」。乗換案内を再度見直すとたしかに名古屋でのぞみ号(名古屋~新横浜ノンストップ)からこだま号に乗り換えるとあった。

時刻表によると、新横浜に着くのが20:26、浜松に最短で折り返せるのがが新横浜初21:31(なお、家に帰ったとしても21:40)。傷心のまま構内を再度駆け抜けるおっさん1人。そして、下りのひかり号は、祝前日の夜なので、極限までの詰め込みで、静岡まで、死にそうな脚を感じながら心を殺すのに精一杯だったりする。

40分立ちっぱなし

浜松

浜松、ばか松

21:34、なにはともあれ浜松に到着。太陽の塔見に行っても変わらなかったな。チェックインして「ばか松」へ。この店は西荻でカウンターに立っていたスタッフが昨年に独立して開いた店。元の店の味と浜松の味、こうやってミックスされて、新しい店の味ができていくのだな、としみじみ思う。本日は流石に一軒で撃沈(昼を入れれば三軒目ですよ)。

浜松来たら行ってあげてくださいー
浜松の店は名前のインパクトで勝負…するのか?

浜松城と引馬神社

5月3日、気づいたら09:30を回っていた。体はボロボロだが、浜松城に向かう。浜松城は徳川家康はじめ、歴代城主がビッグになっていったため「出世城」とも呼ばれるそうな。大河ドラマ「どうする家康」の影響もあり、街なかには「出世」を記したバナーがやたら多い。

おじいはもう足がパンパンじゃ

城は小体だが端正で多機能な感じ。1時間待ちだったので中には入らず、周りを散歩しながら、横にある引間神社(浜松元城町東照宮)に向かう。家康が浜松城を築城するまではここがお城(引間城)だった。昨晩ばか松で隣に座ったおにいさんから聞いたパワースポット(らしい)。

引間神社、周りの遺構は渋いのだが…

空腹の新井宿

12:30、浜松駅に戻り、もう1ヶ所行ってみたかった新井宿に向かう…、その前にせっかくなので昼飯は、静岡と言えば「さわやか」のハンバーグを一度食してみたい、ということで遠鉄百貨店のレストランコートに行くが見事に長蛇の列で退散。

新井宿(荒井宿)までは電車で15分程度。東海道五十三次の宿場町として、広重の浮世絵にも出てくる。ここが面白いのは、宿場町・関所・渡し場が複合していること。明治以降は関所は廃止だが置屋ができた。当初の東海道は陸続きではなく、舞阪からは船でアプローチする必要があった。そんな訳で「入り鉄砲に出女」を監視する関所にも最適だった訳で、立地にはちゃんと理由がある。

大門(復元)

また、日本で唯一現存する関所建物でもある、とはいえ、車が通る現在の国道に「関所」を復元するわけにもいかないので、大門の位置や船着き場はだいぶ便宜上の創作が入っている。地形がだいぶ変わっている中で歴史的な意味を伝えるのって、難しい。

小松楼にて、てまりさんがNo.1だったらしい

歴史マニアみたいなことを言っているが、本当は近くにある古民家再生カフェがメインの目的地だったのだが、水曜日は休みってことを知らなかった(調べていなかった)ことは秘密だ。まぁ、新井宿・旅篭紀伊国屋資料館・小松楼が面白かったのでよいとしよう。

風呂場にはやはりこの人が

帰る前にもう一杯だけ、浜松まつりを眺めつつ

16:00、再び浜松。それにしてもお腹が空いた。もうランチタイムを大きく過ぎているので「さわやか」にリベンジするも、まさかの「本日の受付を終了」。やるせない思いとお腹と荷物を引きずりながら繁華街をうろつく。ちなみに今日は浜松まつりの開催日、街なかには山車や屋台、パレードの準備など華やかな雰囲気が溢れているが、ひもじさが勝って余計惨めな気分にもなってこようというもんだ。

人気店すぎる

16:30、ローカルチェーンらしい居酒屋になんとか席を確保。結果として、浜松ぎょうざと浜松ホルモンでビールにたどり着いたのでよし。ついでに牛肉つくねで「さわやか」リベンジ的なものもあったので、なおよし。居酒屋はオープンなつくりだったので、浜松まつりが始まる期待感も見られたのでなおなおよし。

満悦

ということで、17:58、こだま740号にて帰京。東京駅まではほぼずっと爆睡。思えば、20~30代の頃はこんな旅を、ツーリングや出張前後も含めれば年間20日以上はやっていたのだから、貴重な体験(失敗含む)をしてきたものだ。色々な棒に当たるためにも、もう少し旅を復活させないとだな。



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