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バザールとクラブとコミュニティ運営

「バザールとクラブと日本のまち」というオンラインイベントに参加してきた(2024年4月8日)。「バザール」というパブリック性と「クラブ」というプライベート性から日本人、日本のまちを語る…といった感じで、ネタ本の『バザールとクラブ』(朱喜哲、2023、よはく舎)をまだ読んでいないので理解はだいぶ甘いのだけど、一応、まちに関わるコミュニティ運営を生業としている身として、モンモン考えさせれるものがある。


▼バザールとクラブとコミュニティ

コミュニティ施設の運営を生業としているにも関わらず、いや、だからこそ、「コミュニティ」という言葉の持つ、排他的な選択性に陥りやすい危険性も実感している。単なるエゴを”コミュニティ”と詐称(という言い方が悪ければ無自覚に拡大解釈)してしまってはいないか。更に、そのような”コミュニティ”が妙に社会的なテーマを掲げている時、部分的な意志や合意でしかないものを”パブリック”にまで拡張して称していないか。

一方、そのような「個」の集合体としての「コミュニティ」も「パブリック」の構成要素なのだから、間違いではなく、そんなせめぎあいから「パブリック」が生まれるのだという意見もあろう。そもそも今の時代、逃げられないほど濃密なコミュニティもないので、もっと軽やかに色々なコミュニティを飛び回ればよいという分人的なスタンスもある。

結局なにを言いたいかというと、こんなひねくれた感覚を持ちながら、「サステナビリティ」とか「まちづくり」とか公共性や創造性を重視したテーマを掲げてしまっているコミュニティをどう運営していけばいいんだ!というコモンなモンモンが消えない今日この頃なのだが、「ひとまずのケリ」をつけるために、仮説的な運営方針みたいなものを書き留めてみる(随時見直す用)。

▼ひとまずの仮説的運営方針

①大きなスタンスとしての両面性

当たり前だけど、無限に開放することもできないし(それはオペレーションできない)、秘密結社のように絞り込むこともできない(それでは思考が止まる)わけで、対外的なイベント(≒バザール)とメンバー間のコミュニケーション(≒クラブ)の両面を併せ持つことが大前提。両面性から来る矛盾を持ち続けることを恐れない。イベントで出たツバメコーヒーのスタンス(バザールであるカフェの裏にクラブである美容室)が参考になりそう。

②顔が見えつつ、息がつまらないスケール感

クラブの登録メンバーとしては、霊長類の脳みそから導かれたらしい「ダンバー数」の150人が1つの基準になりそう。今、登録は法人と個人あわせて80主体。そこに、年間30コマ程度の自主イベントや年間150くらいの貸室イベントの参加者などから面白そうな人とつながっていくと、今でも結構よい感じにダンバー数しているのではないか(もう少し増やしてもよいかな)。そこから先は他の拠点とネットワークで活動を広げていく。

③ルールは「排他する人だけは排他する」程度で

答えのないテーマを掲げている以上、各メンバーのスタンスが一致することはあり得ないし、意見の相違を無理やり押さえて同調しながら「イノベーション!」とか叫ぶことはできない。かといって、安全性を感じられない場に魅力もない。大事なのは「全く同じ意見の仲良さ」ではなく「異なる意見を言える仲良さ」。それを壊すような行動だけは排除するが、あとはヤイノヤイノ汗をかいていくしかなさそう。

④価値を拾い上げるマネジメント

テーマが「まちづくり」とか「サステナビリティ」とか、反対しづらいものを掲げているだけに、あえて「正しい」だけの価値観を少しずらしてみよう。イベントで挙がった「思いがけず、利他」という価値観、その具体例を拾い上げる目を養う、そして、それを皆んなで面白がり、いつのまにかその意義を発見してしまうようなコミュニケーションを重ねていきたい。

⑤継続性または新陳代謝

まちづくりもサステナビリティも継続性が大事な分野だが、そのためのコミュニティが継続自体を目的にする必要もないし、メンバーが未来永劫変わらないという必要もない。バザールとクラブの間で人が循環するようなしくみ…、ここはまだこれからの課題(もし今から新しい拠点を企画したら「最長10年」といったサンセット条項的な期限を提案するかもしれない)。

そう、つくりたいのは、閉じたサロンとしてのコミュニティでもなく、イベントスペースとしてのバザールでもない。両者を包含したて入れ替わっていく「まち」的な「場」なんだな。

(タイトル画像は、タイトル文字を画像生成AIのFireflyに入れてみただけの単なるお遊び)


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