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形/型の裏にあるもの

お仕事がら、周りは「クリエイティビティ」に対する価値観がすごく高い。一方、「形/型」という言葉に対しては決まりきったもの、表面的なもの、古いものとしてネガティブなイメージをもって使われがちでちょっとかわいそうな気分もする…ということで、だいぶ過去の思い出から形/型について考えてみた。ちなみに、これはあくまで現時点までの考え方。2023年3月4日に「創造社会」をテーマにイベントを行い、それを経てもまた考え方が変わっていく予感がヒシヒシとするので、だからこそいまメモしておこうという主旨(ダラダラと書いているのでオチはあまりないかも)。


18歳の初夏の話。当時僕は剣道少年で受験前の最終試練、三段への昇段審査の直前だった。剣道の三段審査では、打太刀が初手をしかけ、仕太刀が返す…という「日本剣道形」を行うのだが、通常の稽古や審査では木刀を使う。当然寸止めなので、間違って当たっても大したことはない。むしろ、決まりきった形を行うだけで、まぁ「儀式」だよね…というのが大方の高校生。

そんなある日の昼休み、昇段審査を二週間後に控えていた僕は、道場で『剣道型』の稽古をしていたわけなのだが…、
そこに通りがかった顧問の先生。『おう、関心だな。俺が稽古をつけてやろう」。当時の僕に「NO」はあり得ないわけで…、はい先生、木刀を持ってきます!」と走り出す僕に、後ろから顧問の声。「今日は気分を変えて模擬刀でやろう」。

(えっ⁈)

僕の居た高校剣道部は変なところで、一介の都立高のくせに、「刀」を知ることがまた大事という顧問の意向により週に一度は居合の稽古があるなど、妙に本格的なところがあった。
とはいえ、17歳にとっては、刀理などというものはまだ早く、、技を覚えて楽しいだけの日々。実際「抜刀」は男の子にはなかなかの魅力な訳で。

なのだが、その日の僕は若干びびっていた。実はその前日も道場で友人と遊んでいたのだが、ふとでき心がよぎり、「おーい、そのバレーボール投げてよ」とお願いし、飛んできたバレーボールに模擬刀で「突き」を食らわせたところ、切先は音もなくバレーボールに刺さっていき…、学校備品を破壊してしまった僕は、元バレーボールを畳んで服の中に入れてこっそり捨てたのだ。一番安いアルミの鋳造品、舐めていた。

そんな記憶が抜けないところに、目前には某体育系大学出身、五段の猛者が模擬刀を持って立っている。

(…帰りたい。)

剣道形は、目上の人が打太刀として先手を取るという基本ルールがあるので、僕は受けて返す仕太刀になる。そして太刀の形の四本目、仕太刀が自分の心臓を突いてくるところ、ぎりぎりまで見極め、左に交わしながら手首を返して面を打つ(突き返し面)わけで。

(…バレーボールさんごめんなさい。)

結果、無事に穴のあいていない体で帰ったのだが。この形稽古でわかったことは、「これは勝負稽古だ」ということ。

だいたい竹刀(袋竹刀)が開発されたのが江戸時代後期らしい。それまでは、真剣や木刀でやるしかないわけで、打ち合うイコール打撲、骨折、殺傷事件…にしかならない中、先人達が持続可能に稽古を続けていく方法として剣道形が生み出されてきたわけだ。

だいたい竹刀(袋竹刀)が開発されたのが江戸時代後期らしい。それまでは、真剣や木刀でやるしかないわけで、打ち合うイコール打撲、骨折、殺傷事件…にしかならない中、先人達が持続可能に稽古を続けていく方法として剣道形が生み出されてきたわけだ。

その背後に本来の武道が持つ「殺傷」という目的が秘められてきた「形」であり、決して単なる儀式ではなかったということ。

またとない貴重な体験をすることができた訳だか、まあ、なにかあったら無事では済まなかった。そもそもおおらかで雑な時代だったとも言えるし、顧問もリスクを背負って教えてくれたとも言える(考えていなかったのかもしれない…)。

とにかく、「形」というのは、今や、”形骸化”や”型にはめる”など、没個性で形式的といったネガティブな意味合いで使われることも多いのだが、本来は、その背後に、道理や理念、精神性などが込められているものであった(と思いたい)。

それが、残っているか失われているか、感じられる機会を得られるかなどは、また次の話。

そういえば、武道には「守破離」という言葉もある。形を真似て、改良し、新しい理をつくっていく。そう考えると、「形」にはまだ、色々な再発見と創造性が潜んでいるようにも思える。

フォアキャストな考え方かもしれないけどね。アップデートといえば少しはいま風になるのかな。

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