『思っている気温』2020年8月9日

・以前、考えたことがある。「季節を認識しているから、気温を感じる」ということだ。「何?」と思うだろうか。これだけ読んだら自分でも何?となる。

・まず、「夏は暑い」という感覚や、絶対的な常識が存在する。しかしそれは「夏だから暑い」のではなく、我々は「夏は暑い」と知っているから、夏が来ると気温が上がったと錯覚し、暑く感じているんじゃないか、という設定を思い浮かんだのだ。私はこれを「思っている気温」と呼んでいる。

・「そろそろ夏だね」「今年の夏は暑いかなあ」そんな会話をしているうちに、だんだん夏が近づいてきたと錯覚し、「この時期だと気温ってこれくらいだよな」と無意識に思い、その気温を感じとる。

・だから、冬に雪山で遭難しているなら、「今は6月だから大丈夫」と心から信じれば凍死することがない世界なのだ。心から信じれば、灼熱の地も、極寒の地も、気楽に歩くことができるのだ。

・発生しそうなことといえば、夏場に外で練習をする運動部などは、顧問に「今の季節が涼しい秋だと信じろ」と言われるだろう。そうすれば夏のままで練習するよりかは熱中症にもなりづらいから。いつか無意識でできるようになるまで鍛えられるのだろうか?

・「気温コントロール術」なるものが蔓延し、テレビ番組でも特集が組まれるのだろうか。それとも当たり前すぎて、そもそもコントロールが身についているのだろうか。

・「気温のコントロールができない」という精神疾患や先天異常もありそうだ。そういう人は薬などでコントロールするか、季節をそのまま楽しむかの二択になるだろう。

・「死ぬ直前には自分が宇宙にいると想像して自ら凍りついておくか、太陽の近くにいると想像して自ら焼かれましょう」みたいなマナーすら生まれていそうだ。

・最初からこうなのではなく、ある日突然、人類が気温のコントロールをできるようになったらどうなるだろうか。私はきっと常に17℃くらいだと思い込むだろう。夏は涼しく、冬は暖かく。

・私のように常に一定の気温だと信じ続けて快適な生活を送っている人も、いつかは「やっぱり、季節っていいかもな」と思い、暑いのも寒いのも新鮮な気持ちで楽しむ日が来るかもしれない。

・私はいつも季節に苦しめられ、季節に癒されている。それは押し付けられているからかもしれない。自分の気分のままに、思っている気温の中で過ごせる日が来たらいいのだけど。

・こういう「ない話」、好きなんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?