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「人生奮闘日記」#10 「持続可能な幸福」


他のSNSは「映像主体」ですが、
「このnoteだけ」は私の「言葉」が表現できる場所なので「とても大切」にしています。

Kazuhiko のドキュメンタリー日記。
2021年秋に長く勤めた会社を辞め。
地方で地産地消べく、起業し毎日をもがく日記です。
1人で年間2億以上酒を売る人でしたが、酒の運び過ぎで両変形性膝関節症になり断念。天ぷら屋で天ぷらを揚げる人になりましたが新型コロナに出会い人生変わります。
「Kazuhikoの単なる日常を綴るマガジン」です
成功失敗どちらでも、これからずっと描き続けていく長い長いストーリーの連載をまとめたマガジン。世界が70億人になる中で、このnoteで貴方と出逢えた事。その奇跡に心から感謝です。僕自身を「少しずつ」書き足していきます。失敗しても、それも人生。皆さまの反面教師になればそれはそれで幸いです

わざわざお越し頂き本当にありがとう。

さて読んで頂いてる前提で、マガジンなので
ページをめくるように先に進んでいきます。

「人生奮闘日記」最初から
マガジンで読んでいただけるならば
こちらから

「note」「Instagram」「Twitter」で発信中です。そして今後「YouTube」でも、違う角度から発信していけたらと思っています。


#10 「持続可能な幸福」

とある記事を見たんですね。
YouTubeでも
大人気の「ひろゆき」さん
の記事で

ひろゆきが教える
「なぜ幸福感は持続しないのか?」
その驚きのワケ

という記事の中で

何かを手に入れたら幸福になれると思っている人が多くいます。

 でも、残念ながら、その幸福は、長続きしません。

 お金や地位、学歴などが手に入っても、「まあ、こんなもんか」というのが正直な感想でしょう。手に入れた直後はまわりからもチヤホヤされて調子に乗るかもしれませんが、心の中はどんどん冷めていくはずです。

 だって、そういうふうに脳が感じるからです。刺激は、すぐに慣れます。「これは新しい!」と思っても、毎日それが続くと退屈になります。すべての物事で、それが当てはまります。


と書かれているんです。

お、なるほどと僕も思うんです。

だから、持続する幸福感を自分から手に入れないといけないんですよね。

 それって、何か大きなことで一発逆転するようなことじゃないんですよ。

 パートナーや子育てで少しずつ積み重なっていく幸福感とか、日々の暮らしの中でちょっとした料理の工夫とか、会社の中で長期的にやり続けたことが少しずつ芽が出て成長していくとか。

 ささいなことの中に、じわじわと持続する幸福感があります。派手さはないですし、周りの人から「すごい!」と驚かれることがないものの中に、それは宿っています。

と続いて書かれているんです。
正論中の正論だと思います。

「一発逆転」は捨てよう

 なので、冒頭の質問に戻ります。「期待」して生きていませんか? それ、やめたほうがいいですよ。大きな期待なんかせずに、静かに穏やかに日常を暮らしたほうが絶対に幸せです。

 で、たまにご褒美みたいに、少し大きな成果が出たりします。「子どもの絵が上達した」とか、「部下が初めて大きな仕事を取ってきた」とか。それを幸福だと感じ取れることのほうが、自分が一発逆転して大成功することより大事だったりします。

 ということで、ゆっくり持続する幸福のほうを求めて生きるようにしましょう。

という記事で
「ひろゆき」さんらしいんですよね。
詳しい記事はリンク先から読んで頂くとして。

最初に言っておくと、堀江貴文さんもひろゆきさんも、ゲーテでも…笑。別に好きなわけではないので。そこは勘違いして欲しくないんですが、好き嫌いよりも、響く言葉を大切にしたい。的な事です。

この中で一番好きなところは

「持続する幸福感を
自分から手に入れないと
いけない
んですよね。」

というところだったんですね。

「自分にとっての持続する幸福感」を
「自分から手に入れないといけない」
という事ですね。

これってなんなのよ?と思う中で
最後の言葉だったんですよね。

ゆっくり持続する幸福の
ほうを求めて生きるように
しましょう。

凄く禅問答のように聞こえるかもしれないですが

「選択していく未来」において
「ゆっくり持続する幸福の、ほうを求める
って言うことなんだと思います。

InstagramやYouTubeやTwitter
このnoteでもそうなんですけど。

やはり「栄える」と沢山の再生数が回るし
「その時」は嬉しいんですけど。
時が経てば冷めます。特に周りは
「結果に期待する生き方」は、
本当にツラいですよね。

ひろゆきさんの、過去の記事で面白いなぁ。
的を得てるなぁと言う記事があったんですが

ほとんどの物事は「なんとなく」

物事にはすべて「理由」があると思い込んでいる人がいます。

 あなたがふらっと飲食店に入ったとしましょう。そこで突然、「なぜ、この店を選んだんですか?」と聞かれても、「いや、なんとなく……」となると思います。今日、着ている服もなんとなく選んだでしょうし、好きになった人ですらなんとなくの可能性もあります。

 世の中には、「なんとなく」という明確な理由がないもので溢れかえっているんですよね。

詳しい記事はこちらから

だから「なんとなく」
「ゆっくり持続する幸福感」
の方を求める
そんな生き方が
よいような気がします。

前の記事で書きましたが、
世界幸福度ランキングで日本に貢献するんだ。
という目標は日本国民で団結なんですが、

大切なのは、自分の中にある幸福度ランキングを上げる基準であり、それはゆっくり持続する幸福感の方を求める生き方。みたいな…

そんな生き方の中に「僕は家充」を置いている。そんな想いが、今の自分に適切な説明なような気がしています。

その真ん中にあるのが
「民藝みんげい」の心なんです。

少しかしこまったカタチで描くと

名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。そして、各地の風土から生まれ、生活に根ざした民藝には、用に則した「健全な美」が宿っていると、新しい「美の見方」や「美の価値観」を提示したのです。

日本で初めて人間国宝になられた
濱田庄司さんの言葉です。

僕らは「世界全てで」新型コロナ禍という
最大の大きな難の中で
「家充」という新しいライフスタイルを
構築し始めました。

それは、濱田庄司さんの言葉のように
美は生活の中にあって
健全な美が宿っているもの。
そして
ゆっくりと持続する幸福感の方を
求める生き方の美ではないか。

そんな想いを感じています。

それは穏やかな陽射しのようなものかもしれません。今日はなにもなかったね。と喜べることかもしれません。

先日、小雨降る中で始発のバスに乗りました。

朝6時前に家のそばのバス停です。

3時間15分かけて、ワーケーション地に
向かいます。
この日は日帰りなので、往復6時間半
移動するという過酷さはあります。
最寄駅の大宮駅から電車を乗り換えます

電車の中ででも、仕事やSNSやメールなど
多くの仕事をこなせるので、
長い移動は苦ではありません。

自動車だと運転しかできないので
僕にとっては「なにも出来ない時間」であり
「運転に多くのエネルギー」を費やすので
その方が非効率で疲れてしまいます。
まぁ車の後ろで移動できるのであれば、
車でも良いですが。

この日、朝雨で。
おそらく雨が上がったんでしょう。
電車の車窓を見ると

幻想的な風景美に圧倒されました。
思わずスマホで動画を回しました。
その様子は
YouTubeを開設しましたので
いづれアップしたいと思います。
(まだYouTubeの方はスタートしません)

「美は日常に宿る」

ちなみに3秒バージョンを
Instagramで上げています。

「持続可能な幸福」

ちょっと心の片隅に、置いておきたいな
そう思いました。

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