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私たちは苦しさの正体を知らない

まぎれもなくこの3ヶ月は私の魂にとっては「ロックダウン」だったのだ、

…とようやく気付いたのが昨日のこと。

普段家庭の中で『お父さん』的な位置にいて仕事で飛び回っていたわたしは、小学4年生になるムスメにとってレアキャラになりつつあったので、彼女とのこの3ヶ月は、ある意味その不在を補うような「蜜月」でもあった。

幼い頃から、「地蔵」のように穏やかでマイペースなうちのおじょうさんは一緒にいてもほとんど手を焼くこともなく、学校の自習も自分の時間割で淡々とこなしており、3食食事を作るというもはや「人生初?!」の経験は大変ではあったものの、精神的苦痛はそれほど自覚せず過ごしていた。

あるとすれば、「対面接触」の仕事がメインであったところをこのご時世で仕事の多くがストップしたことによる漠然とした(いや、けっこうしっかりとした)経済不安、ぐらい。

とはいえおかげさまでこちらも、オンラインメニューを展開してみたところ自分でも多くの発見があったり、これまでリアルメニューでは繋がれなかった方たちが参加してくださったりで、むしろ今後の仕事の方向性に対してポジティブな事が多かったくらい。

だが5月末、私の魂は死んでいた。

精神的な苦しさが日々増して、一見それらしい「問題」を見つけてはそのトピックについて葛藤したり苦悩してみたりするものの、本当はこれじゃない、「問題に」ではなく、「身体が」苦しんでいるのだと、そこには自覚的でいられたのはさすがボディーワーカーだからである!

6月になって、ようやく
よ  う  や  く 娘が学校に行きはじめて、

はじめは「1日3時間て!」「しかも結局給食はないなんて」「結局毎日昼ごはん一緒なんて仕事に出られやしないじゃない」とやさぐれていたものの、はじまってみるとその3時間のなんと開放的なことか。

そして昨日、オンラインでスタッフミーティングをやった際、スタッフとして関わってくださっている鮫島未央さんが、「5月死んでました」という私の暗いグチに対して、

「和葉さんにとって外に出ることは、お出かけでも仕事でもなくって、すべてが和葉さんの魂の目的である”研究”のためのフィールドワークみたいなものだったってことなんだねえ」

とズバリ本質をついてくれた。

そうだ・・・。

私はかつて宇宙物理学を学んでいて、今は人体を探求しているボディーワーカーだけれど、メインアイデンティティずっと「科学者・研究者」なのだ。

この宇宙と地球と生命のすべてが興味が尽きることがない探求領域。その不思議を色んな角度から突き詰めて研究していくことが私の人生なのだ。人生すべて研究、人生すべて実験。

今年から医学部の大学院研究生になってしまったけれど、アカデミーの世界の所属になった気分はまったくなく、あくまでも「在野の」(笑)ボディーワーカーだと思っている。

そうか、私にとって「仕事」とは、「仕事を通していろんなことを探求する」フィールドワークだったんだ。

このことが腑に落ちた時、自分の苦しみにちゃんと名前がついて可視化され、そして溶けた、一瞬にして。

母であることは、私であることのごく一部。そこがしあわせでも、研究者としてフィールドワークが一切できなかった私の魂は…そら死ぬわな3ヶ月「ロックダウン」されていたのだから。

問題とは、解決されなくても、適切な名前がつけられたらほとんど終わったも同然。「名付ける」とはものすごいことなのだ。

そして私たちはたいてい、自分の苦しみに適切な名前をつけることが出来ない。間違って名付けられた苦しみは、出口がなくそこでループするしかない。

一番苦しかった5月末から、ふとひらめいて、しっかりと体を鍛え始めていた(タバタ式で!)。動く、ことによって私の人生はシフトしてきことを思い出したから。

この事で、間違って名付けられて渦巻いていた私のエネルギーが、ちゃんとフローし始めたのを感じつつあったところでの未央さんの言葉だったから、シフトも大きかった。

つくづく私たちの「思考」というのはロクでもないな!

だから、無意識に橋をかけるつもりで、今日も私は身体と対話するのだ。



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