ゲームにおける「抽象化」の話。(前)

前回はゲームのリアリティについての話をしました。
今回はその派生として、ゲームの抽象化の話をしようと思います。

ゲームの抽象化と言われても何のことか想像もつかないかもしれませんので、冒頭で一つ例を挙げさせて頂きます。

「ゼロになるまで普通に動けてゼロになった途端に全く動けなくなる、HPとは一体なんぞや」

そういうお話です。

■「HP1」談義

とりあえず例題の件を続けて取り上げてみます。

これもゲーマー談義あるあるですが、いわゆる体力的なステータスである「HP」って何なんだろうという話題をよく見かけます。

ひとつ前の文章では「体力的なステータス」という文言を用いました。また「生命力」というような単語で表現することもあるかと思います。これらから分かるように、HPというステータスは、生物が活動する力・生命の力そのものを表していることが多いようです。

ゲーム的に言えば、敵から攻撃を受けるなどして肉体に負荷がかかる、つまりダメージを負うとこのステータスが減っていき、そのキャラクターのHPがゼロになってしまうと戦闘不能や死亡といった、「負け」に近い、悪いステータス状況になってしまうものです。

怪我を負うと減り、沢山溜まると死に至るという点でまさしく生命力といった趣のこのステータスですが、用いるゲームのほとんどが「ゼロになるまでの間にマイナスの効果は一切ない」という扱いであることが物議を醸します。
どういうことかと言うと、例えば皆さんは足に怪我を負ったとして、そのあとに全力疾走ができますか、というようなお話です。
HPが怪我によって減るのであれば、HPが減少した、つまり怪我を負った状態で、万全の状態と同様の行動ができるのはおかしい、という論旨です。
極端な話ですがHPが残り1の時、つまり普段であればかすり傷にも満たないようなダメージでも食らえば死んでしまうという状況ですら好き放題動けるとはおかしいんじゃないか、という理由からHP談義が始まることが多い印象です。

■HPの解釈

HPというステータスは、RPGの元祖である『ダンジョンズ&ドラゴンズ』で既に基本的なシステムが使われていたと聞いています。
不勉強ながら私は上記シリーズを遊んだことがありませんが、日本では先駆者たる海外RPGの手法を取り入れて作成された『ドラゴンクエスト』シリーズがヒットすると同時に普及し、今では当たり前のように古今東西様々なゲームで使用されているステータスです。

実際のところ、ゲーム業界全体で見ると「HPとは何か」とは明確には定義されていないように感じられます。
ゆえに、それぞれのゲームにおいて独自の解釈をするべき、というのが広義の正解なのだろうと思います。

ちなみに、HPとは直接的な「ダメージのキャパシティ」ではなく、致命傷を受け流せる「余裕のキャパシティ」だという説もあります。
この説で言うと、HPがある限りはまだ致命傷を避けていられる「余裕」があるが、ゼロになった瞬間についに致命傷を受けてダウンするという解釈で、先の「HP1」談義に解決を図っています。個人的にもなるほどと思う解釈です。


ですが、私個人としては別の解釈を持っております。
正確に言うと、解釈というよりは“理解”という方が正しいかもしれません。

その理解とは、「HPとは生命力の抽象化である」というものです。

なーに当たり前のこと言ってんだテメーと言わずによろしければもう少しお付き合いください。
ようやくタイトルの話に戻れたことですし。

■そして抽象化へ

ゲームは「疑似体験遊戯」の側面を持っています。
では現実ではない仮想空間において、どのようにプレイヤーに疑似体験をさせているのかについて、少し考えてみましょう。

ここではデジタルゲームの話をさせて頂きますが、ほぼ全てのゲームが、特定の数値や数式を以て状況をシミュレートしてプレイヤーに結果を返し、プレイヤーは結果に応じて行動を検討し入力することでまたゲームの数値が数式によって変換され結果が返ってくる、というプロセスを経て進んでいきます。
このために、ゲームはありとあらゆるものを一度「データ化」する必要があるのです。

時速4kmで歩く事ができるということを「移動力:4km/h」というようなデータにし、鉄の剣をふるって小型の獣を一撃で倒せるダメージを「20ダメージ」というようなデータにします。これで「移動」と「攻撃」がデータで疑似体験できるようになりました。
ですがこの際、「歩いた・攻撃したことによって自身が被る疲労・肉体への負荷」や「消費する酸素・排出する二酸化炭素」などといった、現実では起こっている様々な副次的要素はこのデータ化の段階で削ぎ落とされています。

これが「ゲームの抽象化」です。


では何を以て残す要素と削ぎ落とす要素を決めていくのか。
これはゲームのデザインに依ります。
「このゲームにおいてはこの要素はデータ化するが、この要素は無視しよう」と都度都度取捨選択される訳です。

ではなぜ無視されてしまう要素があるのでしょうか。
本来の動作をシミュレートするなら、ありとあらゆる事象をデータ化してこそ、精緻なシミュレーションができるのではないでしょうか。

その答えは単純で、「煩雑だから」です。
ゲームデザイン上煩雑だとはつまり、労力に対して結果が伴わないという意味になります。
労力は読んで字の如くですが結果とは何か。それは「面白さ」です。

面白さに直結しない、もしくは労力に対して得られる面白さが小さい要素は、ゲーム内では削ぎ落とされてシミュレートされるのです。

繰り返しになってしましますが、これが「ゲームの抽象化」です。


それを踏まえてHPの話を一度解決しておきましょう。
「HPとは生命力の抽象化データであり、肉体に負荷を負うことで減少し、ゼロになると行動不能になる。ただしゼロになるまでの過程における身体・精神への負荷等は“HPというステータスでは表現しない”」として抽象化されているというのが私の解釈、もとい理解です。

何故表現しないのか。先述した通り「面白くならないから」です。
何故面白くならないのか。これも先述した通り、多くの場合「解決にかかる負荷が大きいから」です。
前回のリアリティの記事で言う、「過度なリアリティは必要ではない」と似たような話ですね。

ちなみに、それを掬い上げることでよりゲームが面白くなるなら、当然そういった要素を削ぎ落とす必要はありません。
HPの例でもダメージを受けるほど別のステータスが下がるという状況をシミュレートしているゲームも当然存在します(『高機動幻想ガンパレード・マーチ』等)。

要は、掬うか削るか正解不正解ではなく、正解不正解に応じて掬うか削るかしないといけない、という訳です。

■ルール解決はシンプルなほど遊びやすい

「解決にかかる負荷が大きい」という点ももう少し詳しく解説しておきます。

これはデジタルでもそうなのですが、アナログゲームで考えた方が分かりやすいのでそちらでお考え下さい。
アナログゲームとは、TRPGやボードゲームをイメージして頂ければ相違ございません。

卓上でTRPGをやっているとします。内容は単純明快ハック&スラッシュです。プレイヤーのパーティは魔物と遭遇しました! 戦闘開始! 味方のターン!
基本命中率が82%で武器補正が+5%でスキルによって2割増して地形補正で-8%して相手の回避率が20%で盾を持っているから命中した場合でも30%の確率でダメージは無効で……

はい面倒くさい。やってられません。一回の攻撃でこんなに処理やってたらいつまで経ってもセッションが終わらない。
そういうことです(余談ですが、あえてそういった煩雑なシステムを売りにしているタイトルもありますよね。『メックウォリアーRPG』とかそうだと認識しています。個人的には大好きです)。


この点ではデジタルはアナログよりもずっと強く、かなり煩雑な処理も自動で計算してくれるため、圧倒的なデータのシミュレートが可能になりました。デジタルゲームの性能も年々上がっているので、最近のゲームは本当に細かい所までシミュレートしてくれています。少し前の年代になりますが、『Hearts of Iron』や『Planet Coaster』などは私もいたく感動したものです。

ですがいくら強いといってもデジタルでも根本は変わりません。例えプレイヤーに負荷がなくとも、そのデータや計算を仕込むプログラマの人たちの労力が跳ね上がります。
ゆえに、デジタル・アナログ問わず、ゲームデザインとはいかに抽象化してシミュレートを簡易に・かつ面白さを失わないようにできるかという戦いであっただろうなと私は勝手に想像し、またそれこそがゲームデザインの美しさだと感嘆して止まないのですが、これ以上は長くなってしまうので次回の記事に続けましょう。

■後編へ続く

ということで抽象化の話、前編でした。

ゲームのデータや解決において、不自然の揚げ足をとっても本質的にはあまり意味はありません。
「そういうものである」という理解も必要ではないかと私は思う次第です。

だからといって全てをおざなりにするのではなく、こういった理解だろうと思いを巡らせるのもまた面白いものです。
HPだってありとあらゆるゲームで採用され続けているのは、それだけ優れた抽象化されたシステムなのですから。


抽象化の話後半は、後日好きを早口で語るオタクになってアップする予定です。

追記:後編はこちら

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