蓬莱の 薬喰いだと 人は云ふ
「人魚でも喰いにいかねえか」
わたしが洋モクを燻らせていると、悪友の板東がにやけ面で宣った。
唐模様の裏地を使った着流しを粋に着こなすこいつは、兎に角食にうるさいもので、わたしはしょっちゅう相伴にあずかるものであった。
先週は「虎でも喰いにいかねえか」と誘われ、羽柴秀吉よろしく胆の吸い物でも喰わせる気かと思や、なんのことはない。素焼きの皿に、七輪で焦げ目をつけた厚揚げをのせてきた。
斜め切りした九条葱を竹に、おろした大根を雪に、網の焦げ目がついた厚揚げを虎に見立てた「竹虎」と「雪虎」という酒肴は、出汁と生姜醤油をかけてかぶりつくと、さくっとした歯応えののちに、ぽとぽととした濃厚な旨味が混ざりあい、清酒で流し込むと乙なものであった。
一昨日は「狸でも喰いにいかねえか」とのことで、野生の狸でも捕まえたかと思や、これまた擬き料理の一種で、凍り蒟蒻を乾煎りし、胡麻油で根菜と炒め、出汁と白味噌でいただく「狸鍋」であった。
野菜の旨味と白味噌の甘さ、蒟蒻の香ばしさが舌にまつわり、やけどしそうなほどほくほくと煮えた野菜を頬張り、洋酒仕立てのみずみずしい日本酒でやると、また口内がさっぱりして飽きずに味わえるものであった。
今回も何らかの擬き料理だろうか──と、わたしは期待した。二つ返事で了承し、洋杖片手に板東についていった。
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硝子の皿と、猪口には緑青で笹が描かれとても涼やかだ。その上には紫蘇の葉と山葵、そして「人魚」と宣う、赤みのつよい刺し身がおいてある。
見た目は普通の魚のようだが、箸をつけようとしたとき、異常に気づいた。
刺し身がぴくぴくと動き、隣の刺し身とくっつき始めたのだ。
あっという間に刺し身同士は結合し、一つの塊となり、また隣の刺し身とくっつきあう。仰天しているわたしの目には意地の悪い笑みを浮かべた板東。
なんのことはない。
こいつは本物の「人魚」なのだ。
【続く】
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