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呂不韋失脚の裏舞台を妄想する

今回はキングダム第647話について少し書こうと思います。ヤングジャンプ本誌を読んでない方は、ネタバレしますのでご注意ください。

※ネタバレ注意※
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河南

(画像:キングダム本誌第647話より引用)

趙との大激戦の裏でその存在を消していた呂不韋。画像の欄外にもある通り、呂不韋が隠遁生活を送っている土地が河南という説明があります。

もともと呂不韋は、濮陽(河南省濮陽) 生まれの大商人です。呂不韋に関する妄想ストーリーについては、「呂不韋の隠された氏族」をご参照ください。

呂不韋の隠された氏族①~④
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ちなみに…当サイトでも外部サイトでも、私が「漢民族」と書く場合、分かりやすく広義の意味で書いています。中華で本来、漢民族と呼ぶようになったのは前漢以降のことなので、春秋戦国時代の中原の民のことは漢民族と呼ばないことは知っています。そのあたり詳しい方もいらっしゃると思いますので、一応ご了承ください。

話を戻しましょう。

呂不韋は色々あった後、産まれた場所で隠遁生活を送っていることになっています。故郷であれば、呂不韋の威光は誰でも知るところでしょうし、外部サイトに記載した通り「呂氏=羌族」のお膝元・山東省にほど近いエリアです。

濮陽①

上記の画像は、今の濮陽です。青島でチェックインしたマークがありますが、気にしないでください(笑)

山東省①

上記画像の赤枠が、今の山東省です。春秋戦国時代は斉という国の領土でした。濮陽から見て目と鼻の先です。斉と呂氏の関係性については、下記ご一読ください。

参考「秦と斉~斉・静観の裏側」
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隠遁生活を送ったとされている河南省(濮陽)は、春秋戦国時代は魏の領土であったはずです。ということは、その頃には既に呂不韋は秦の重職から解任されているはずですね。史実では、文信侯になった、と書かれています。

それでも、ユダヤ商人である呂不韋のもとには、商売目当てに人が押し寄せていたことでしょう。羌族のネットワーク、そして西方への販路を持っていた呂不韋の価値は、下がるどころか「ほぼ自由の身」として上がる一方だったと想像できます。

未だに勢力を保っていた呂不韋に対し、子の嬴政はこう命じます。

「御身は我が秦国にいかなる功績があって、河南に封じられ十万戸を与えられているのか。御身は我が秦王家にいかなる血の繋がりがあって、仲父と号しているのか。一族眷族(親族)とともに蜀へ移住するよう申し渡す」

ここでも一応断っておきますが、嬴政が呂不韋の実子である説は一部否定されていますが、面白い妄想をするために外部サイトでその痕跡を呂不韋側から辿ってます。ご一読ください。

で、嬴政のこの実父への命令も、やけに「優しい」のです。疑惑は2点あります。

まず1点は、当時の秦における蜀という地は、呂不韋=羌族の支配エリアからほど近いところに位置しています。濮陽がある魏にいるより、へんぴではあるけど羌族との交流が可能な蜀に逃がすことはそんなに酷いことではないように思います。※当時の蜀は獣すらも立ち入らないと言われる辺境だったため、流罪的なイメージはあると思います。

画像4

もう1点は、嬴政の言葉です。呂不韋が嬴政の実父であることを私は信じているのですが、逆に実の父親ではないとした場合、あえてこんなことを言うかな?と思うのです。

御身は我が秦王家にいかなる血の繋がりがあって、仲父と号しているのか

あえて否定しているところに、実は真実だったのではないかと思わせる創作感を感じざるを得ません。このように後世にきちんと意図が伝わるようにご丁寧に「残す」というのは、逆に「疑わしきを隠す」意図を感じるのです。史書は後世に書かれるものなので、創作される部分は必ずあります。妄想するにはもってこいのエピソードですね。

私はきっと常識通りに受け取れない、天の邪鬼なのでしょう。

私の妄想はこうです。嬴政が父・呂不韋に伝えます。

「呂不韋(父)よ。あなたや母君が秦で起こしてしまったことは、謀反と思われても仕方がない。それでも、あなたと母を殺さずにかくまってきたことは、私の精一杯の努力ですが、それもそろそろ限界かもしれない。現実に、諸侯の間で私があなたをいつまでも罰しないことを快く思わないということを最近良く耳にしてる。

表向きは、今日から金輪際、あなたは私の父親でもなんでもない。ましてや仲父でもない。一介の商人として、私が中華を統一するまで、どうか蜀の地で過ごして欲しい。そして、あなたが商売を続けてお金を稼ぎ、また人が集まれば、再度謀反の芽として疑われるでしょう。それを避けるため、少し経ったら、あなたが死んだことにします。その間に、私は魏と斉を滅ぼします。そしたら、あなたは呂氏一族のいる山東省に戻り、改名してください。職業は、商人ではなく方士(錬金術師)にしましょう。名前は任せます。それから、中華を脱出してください。そうですね…行き先は東の海の先にある島国が良いでしょう」

呂不韋が蜀に送られるのが54歳のとき。そして死去するのが直後の55歳のとき。果たしてこれは事実なのでしょうか。史実通りに受け取って良いのでしょうか。なぜ隠さなければならなかったのか。それは、羌族=古代ユダヤ人(正確には既に中華の民族と混血していた)である呂不韋の実子・嬴政が、中華を統一したということになれば、純粋な中国人による中華統一ではないと後世に難癖をつけられるからです。日本の記紀が、熊襲(混血)や渡来人など外国人の影響を排除したことと一緒です。

そこに見え隠れする、壮大な、羌族としての生存戦略。失われた10氏族の1つ(参照サイト)が、中華で生き残る術を遺憾なく発揮し、漢民族の眼を眩ませたのです。

死んだことにされた呂不韋は、25歳の時に生まれた子の呂公を山東省に残し、劉邦による前漢時代へもその財力をフル活用していきます。

もちろん、今回も妄想ストーリーのため、キングダムでは絶対に描かれないでしょう。なにせ、斉王・建がダン族であったことの証拠=蛇(ダン族の紋章)が、原先生曰く「適当に描いた」らしいので(笑)。

尚、熊襲についての考察も面白いので、ぜひご一読ください。ぶっ飛んでますが、考えられなくはないと思っています。

<楚と熊襲が繋がっている>
・古代の血の継承①

・古代の血の継承②


#呂不韋 #キングダム #キングダムネタバレ #嬴政




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