絶妙な”異物感”は雰囲気を好転させる
2年前の春、東京のホテルでのワンシーン。そのホテルには大勢のスーツ姿の若者が宿泊していた。おそらく新入社員研修だろう。バイキング形式の朝食でのことだ。厨房で働いている中年の女性たちが、新入社員一人一人に『おはようございます』、食べ終わった食器を片付ける際には『いってらっしゃい』と声をかけていた。しかし、驚くべきことに挨拶を返す人は皆無。食堂は水を打ったような静けさだった。そこには食器を置く音のみが響いていた。
私はアメリカに住んで30年だ。アメリカ人は、たとえ客であっても無言でいることはまずない。「Hi!」とか「Thank you!」とか、とりあえず何か言う。だからか、黙っていると変な感じがする。日本のお店やレストランなどの店員さんはとても明るくて感じがいい(時々、少し気味が悪いくらいの笑顔のこともあるが・・・)。 このギャップは一体なんなのだろうか。きっとこの沈黙の新入社員達も会社の研修が終われば、取引先のお客さんには満面の笑顔で挨拶するのだろう。背筋が凍る思いがした。
打ったら響いた
そこで私はいつもより少し大きな声でその中年の女性たちに『おはようございます』と挨拶をした。すると、そこにいた何人かの新入社員が『おはようございます』と声を出し始めた。私が食器を片付けがてら厨房の女性たちに『ごちそうさまでした、とても美味しかったです!』と言うと、彼女たちは『ありがとうございます。いってらっしゃい!』と満面の笑顔で言ってくれた。
すると今度は、彼らも『ごちそうさま』と言いながら食器を返すようになった。伝播した。この光景、まるで波一つない水面に石を投げ込む感じとでも言おうか。それによって生じた波は文字通り“波及効果”。私が挨拶をする姿を見たことで彼らの行動が変わったのだ。『打てば響く』を体感した非常に気持ちのいい瞬間だった。
異物がないと水はなかなか凍らない。
水は摂氏0度で凍ると中学校では習う。しかし、実は水素と酸素しか含まれていない水(超純水)はなかなか凍らない。マイナス40度くらいになっても液体の水として存在する。この現象は「過冷却状態」と呼ばれている。水が氷になるためには、水の中に氷の「種」が必要だ。それは、その周りに結晶が集まる核となるような異物だ。したがって、核を形成する不純物や粒子が全くない超純水の場合、氷に変わることが難しいのだ。
しかし、過冷却状態にある水に何らかの刺激 (振動、不純物)を加えると、一瞬にして凍り始める。上記の新入社員はまさに過冷却状態の超純水。そこに私という異物が入り、状態が変化したのだと思う。
打てば響く人、自分で打てる人と仕事をしたい
打てば響く人、自分で打てる人、そんな人たちと一緒に仕事をするのは非常に楽しい。彼(彼女)らの仕事ぶりは、いつも軽やかでテンポがよく、とてもリズミカルだ。メールのやり取りひとつとってみても、返信が素早いだけでなく、一言二言相手を笑顔にするようなコメントが絶妙に織り交ぜられていたりする。こういう状況下での仕事には躍動感があり、また、ゴールに向かって進んでいるという安心感やワクワク感もある。
ホテルで会った新入社員たちも打ったら響いた。 きっと彼らはすぐに挨拶が上手になり、メールのやり取りも上達することだろう。そして数年もすれば、相手を笑顔にするような気の利いた一言二言をメールに織り交ぜれるようになるはず。 もう2度と会うことはないけれど、非常に清々しい朝を彼らは私に提供してくれた。
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