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孤独と共にある。絵を描く私の生き方の話。

今回のコロナ問題で、日本全体が外出自粛をして、誰もがとにかく家にいるのが当たり前という生活が続いている。

とはいえ、実は私の生活は今までとほとんど変わっていない。

というのも、今年の初めから家で制作をする生活だった私は、基本的には人に会わず、家の中にいる時間がほとんどで、たまにお仕事相手の方との打ち合わせだったり、会いたい人に会うことがあるかな?という日々だった。

もし明日自粛生活が明けても、そんなに生活は変わらないかもしれない。

こんな生活の中で改めて思うのが、一人でいる事を選んだ自分の事だ。

当たり前だが、コロナによる外出自粛生活で本当に人と対面する機会が減った。

家族で過ごす人などは別だろうが、一人暮らしの私は、下手をしたら丸一日誰にも会わないこともざらである。

私が欲しい未来は、本当はどんな形だったのだろう?

未来の理想の自分に思いを馳せる。

誰にも強要されることも無く、一人で過ごし日々を毎日送る私だが、ただただ一人なりたくて今の人生を選んだわけではない。

もちろん制作するためには一人の時間は必要だ。

だが、一人でいるから毎日描けるわけでもない。

特にこの間あったような精神的な疲労があると、描く気力そのものが湧かない事もあるのだと、気づいた。

今まで、どんなに精神的に追い詰められて自虐の気持ちに苛まれても、描けなくなることはなかったのだが、何故かどうにも眠くて眠くて、描けなくなってしまったのだ。

これはいけない。

私は死ぬまで描くことを楽しんでいたいのだ。

女版ピカソな画家になった私は、世界各国に所有するアトリエ兼ギャラリーで好きな時に好きな所で制作をし、好きな時に好きな人に会って穏やかな日々を過ごしている。

そんな未来を迎えるんだと決めている。

ついつい心理学的ホメオスタシス(変化せず今のままの自分でいようとする脳の働き)に引き込まれそうになるが、変わることを恐れずに進むために、結構自分と戦っている。

どうしても精神面で弱りやすいので、色んなことを科学的に分析してみると、納得できることも多く、今までの自分の考え方も肯定しながら、より思考状態を良くしていく対策ができるので、最近は落ち込んでも割とすぐ冷静になれるようになった。

落ち込むと、分析するのに向いた脳の働きをするようで、楽しいことを考えようとしたり、忘れようとしたりするよりも、建設的で良いようだ。

何処からやってくるのか『一人は寂しい』という心理は、会いたい人と会おうという行動力に繋がるポジティブな面で利用できればいいが、『一人にしないで』という執着心に転換すると、なかなか扱いがややこしくなる。

自ら基本は一人でいる毎日を選んだのに、コロナのおかげで時々そんな心理が顔を出すことがある。

それが他人への慈愛なのか、単なる自分の欲望なのか、精神的に弱る日にまた分析してみようと思う。

本音で生きる事がカッコいいと思える理想の自分へ。

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