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ポケモンで蘇る懐かしい記憶

今年の夏の終わりのある日、札幌駅の近くで、ポケモンのお面をかぶっている小さな男の子を二人連れた若いお母さんを見かけた。どうやら近くでポケモンのイベントが開催されていたらしい。
その男の子達の後頭部を見た瞬間、懐かしさが込み上げて不意に泣きたくなる。
ポケモンが大好きで、仲良く遊んでいた幼い二人の息子達が重なって見える。もう二十年近く前の話だ。
あの頃はフルタイムの仕事も家事もこなし、いわゆるワンオペ状態で必死で子育てもしていた。若さだけが唯一の武器だった時代。
早く大きくなってほしいと思う一方、ずっと大切なこの時間が終わってほしくないとも思っていた。
時間もお金も余裕がなくて。全然理想通りに行かなくて。自分や環境にイライラしながら、それでも子供たちが少しでも笑顔でいられるようにと願った。
二人ともポケモンが大好きだったから、ゲームやカードやキャラクターのお菓子を一緒に買いに行った。忙しかったけど、アニメも一緒に見た。
ポケモンかぞえうた的な「ポケモン言えるかな」の歌詞は今でも結構覚えている。
ピカチュウ、カイリュー、ヤドラン、ピジョン、コダック。
長男と一緒に手を繋いで歩きながら一緒に歌った。キャラクターのイラストはちょっと区別がつかないけど、歌詞のおかげで最初の頃のキャラクターの名前は覚えている。
二十年以上経つと言うのに、不思議だ。
もっと余裕があれば、もっとたくさん手をかけてあげられたのに。途中からシングルマザーになってしまったので、ますます謝りたいことが山ほどあって。後悔ばかりの育児だった。
気がつくといつの間にか彼らは大人になっていて。それぞれ自立して、今は時々夕食を食べにくるくらいで。
楽になったなぁって思ったし、寂しいなぁとは思うけど、普段はすっかり忘れている。
やっと自分の時間が取れるようになり、友達と遊びに行ったり旅行に行ったり。それなりに人生に満足している。
だけど街角でこんな風に、かつての自分達をうっかり見かけてしまうと、もう戻れない必死だったの頃が懐かしくて泣きそうになる。
後悔だらけだったけど、あの時は精一杯やってきたから、ちょっとは誇らしい気持ちもある。
今も子どもたちを大切に思っているけれど、あの頃の特別な感情とは少し違っている。
あの頃は本気で守らなくてはとバカみたいに必死で生きてきた。だけど幸せだった。
あの頃の頑張っていた自分ごと抱きしめたい、そんな夕暮れのワンシーンだった。






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