言葉を封印する行為
自分では書いたことも忘れていた記事に、スキをして下さる方がいらっしゃって、嬉しいです。
ほぼ、日記感覚で、その日その日に感じたこと、見たこと、聞いたことを題材に書いているのですが、スキをして頂いたことをきっかけに、過去の自分を振り返るのも中々面白いものですね。
改めて、みなさんの貴重なお時間を割いて読んで頂いて、ありがとうございます。
さて、こうして特定の方に向けてではなく、不特定のどなたかに向けて文章を書くという行為を続けていると、お互い顔も知らないどなたから刺激を貰って、あの人今日も書いているな、自分も書こうと勝手に連帯感を持ったりします。
人もそうですが、本、今ならこうしたネットの文章との出会いって面白いですね。
ただ今絶賛さぼり中のヨガでは、その人に必要なものは、必ず必要な時にもたらされる、という考え方があるそうです。
ぼくは、この考え方が好きで、そう考えていると、変に力む必要なんて無いんだなと思えるからです。
本屋のビジネスコーナーを見れば、自分の人生を力強く切り拓いていけ!という類の本が溢れています。
ですが、人生というのは自力で動かせるのは半分、後の半分は自分じゃどうしようもないもので作られているんじゃないか、と怠け者のぼくは考えてしまいます。
話は変わりますが、ぼくがやっていた舞台の世界の面白さは、なんといっても、同じ時間、同じ空間を演者も観客も一緒に体験することにあります。
映像で後に残ったものもありますが、それは本質的には別物です。
一方、書き手の生の言葉をこうしてネット上に、もしくは紙の上に封印すると、そのページが再び開かれれば、その言葉たちはいつでも息を吹き返します。
これって凄いことですよね?
舞台演出をしていた時、どう足掻いても良いものにするのは難しいだろうなぁと、いつも突き当たってしまうのですが、いつかポール・オースターさんの「幻影の書」か「ミスターバーティゴ」を舞台作品として作りたいなあと思っていました。
その仕事ができたら、舞台からすっきり足を洗おうとさえ思っていました。
まさかポール・オースターさんご自身も日本の片隅に、こんなにも自分の作品に恋焦がれて片想いしている男がいるとは、夢にも思わないでしょうね。中年男に思いの丈をぶつけられても、恐らく迷惑でしょうしね。
さて、緊急事態宣言の延長もあり、舞台をはじめライブエンタメは今苦境に立たされている。
じっと身を潜めて、思いを化石のようにして残すことしか、今はできないのでしょうか。
本当に難しい問題です。
まとまらない記事になってしまった、すみません。まあ、いつものことか。
それではまた。
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