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毎日稼働する機械を目指して

連休に入る前に、このnoteに書いた計画が早くも頓挫して、我ながらに笑ってしまう。

ぼくの計画では、このnoteの他に、1日2,000字の短編を書いて、5日間で10,000字の短編を書くつもりが、昨日は親族間のホームパーティーもあり、早くも昨日は2,000字書けなかった。

まあ、今日遅れを取り戻す為に4,000字書けば、計画に戻るので、一つ頑張ってみようと思う。

とは言っても、ぼくも習慣から抜け出さないようにと、昨日も起きて瞑想をして、運動しようと動き始めたのだ。

しかし、バーピーというエクササイズ中にビキっと背中に電気が走った。

ギックリ腰はこれまで何度も患ってきたが、昨日のそれは、ギックリ腰よりは軽めで、腰というよりは肩甲骨の下あたり、軽めのギックリ背中といった趣きだ。

頑張ればエクササイズを続けることもできそうだったが、ここで無理してせっかくの連休を激痛と共に過ごすのは、断固としてお断りしたいので、大人しく運動を中止した。

急なギックリ背中といい、なにかと人生というのは、思い通りに進まないものである。

思いもよらぬ幸運に恵まれる時もあれば、思いもよらぬ不運に落っこちる時もある。


子供の頃、ぼくの両親は野球好きだったので、プロ野球のラジオが良く移動中の車内で流されていた。
ぼくは、それを聞くともなく聞いていたのだが、その中で解説者が言うことに、これは人生にも通じるなと思う言葉があった。

ぼくは野球のことはまるで詳しくないのだが、三振をバンバン連発するような速球派のピッチャーにも、調子の悪い日がある。

すると、そのピッチャーは自分の不調を感じとり、投球スタイルを変えるのだという。
三振狙いから、仲間と協力して、打たして捕る我慢のピッチングスタイルに切り替えるのだ。

そうして、悪いながらも我慢を重ねる、負けないピッチングで、粘り強く勝ちを重ねていくのだという。そういうピッチャーこそ、真の一流なのだそうだ。

ぼくは、このエピソードが好きで、調子が悪い時は粘り強いピッチングの時だぞと、自分に言い聞かせる。もちろん野球をしているわけじゃないんだけど。

何かを作りあげるというのは、結局は自分と約束した義務を果たすようなもので、淡い期待を自分にせずに、さっさと取り敢えず形にしてしまうのが一番だ。
もちろん閃きが無ければ、輝きのある作品は作れないとは思うが、閃きというのはショートケーキの苺のようなもので、実際に土台を支えるクリームとスポンジ生地は、実務的な作業行程をこなしてこそ作られる。

だからこそ、何かを作る為には、調子の良い時も、悪い時も、自分を毎日稼働する機械に仕立て上げなくてはならない。

そんなことして楽しいのかって?
これが結構楽しいのですよ。

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