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スマホを敵ではなく、友にすると、凄く良い奴だった

休日の土曜日、家族がいないのを良いことに、困ったことに朝起きてすぐに、ぼくはスマホに手を出してしまった。

しばしジャンク情報を眺め続ける不毛な時間。まあ、休日だから少しぐらいいいかと思いつつ、画面をスクロールする手は中々止まらない。

それはまるで、体に良いサラダばかり食べてきたから、今日はポテチ解禁!とバリバリ、ボリボリとスナック菓子を貪り続けるようなものだ。

しばらくしてやってくるのは、なんとも言えない自己嫌悪感。
流行りの自己肯定感と真逆の感情だ。

「スマホ脳」という本が流行っているようで、本要約系のチャンネルでも、本屋でも、巷でも良く見かける。

ざっと立ち読みすると、要はスマホの情報の洪水に、脳の情報処理が追いつかず、情緒面に悪影響与えますよってこと。

まあ、これぼくが子供の頃から言われていた「テレビ見過ぎると馬鹿になるよ!」とか「ゲームばっかしてると馬鹿になるよ!」をご丁寧にわざわざ、データを交えて、示してくれているわけです。

こういう禁断のテクノロジーについに手を出してしまった!みたいな警句が発せられると、ぼくは映画「風の谷のナウシカ」のミト爺の言葉を思い出します。

「あんたらは火を使いすぎる。そりゃあ、わしらもも少しは使うがな。」

この火の部分をスマホにそっくり置き換えることができる。

要は便利なモノは、何事も使い方次第、ということだろう。

火は時間をかけて培われた自然を一瞬で焼き尽くすものとして、ナウシカの中で描かれる。
しかし、火は人に灯りをともし、暖をとり、安全な食事も与えてくれた。

便利なモノには、恩恵と破壊という両側面があるのだ。

スマホにも、同じことが言える、なんて言うと少し大袈裟かもしれないが。

さて、だらだらとスマホスクロールをいい加減止めた後に、ぼくが自己肯定感を取り戻す為にしたことは、

1.スマホのYouTubeで瞑想
2.スマホで時間を計りながら読書
3.スマホのnoteアプリで記事作成
4.スマホのYouTubeで運動

と、見事にまたまたスマホ依存。
でも、嫌な感じがしない。
むしろ各項目のモチベーションを管理してくれるコーチのように、スマホはぼくに寄り添ってくれた。

スマホ依存なら、それを逆手にとって、スマホに学習アプリなどをダウンロードして、何かのインプットを習慣化するのに逆利用するのも賢い使い方だと思う。

ぼくも、ただスマホに溢れるコンテンツを受け止めているだけでは、なんか面白くなくて、それなら自分も作り出す側になったほうが面白いかなと思って、この愚かしい日々の記録を綴っています。

こんなちっぽけな文章ですが、書いてみると楽しいし、達成感も味わえます。

今日もありがとうございました。
また明日。

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