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同じ時間、同じ空間で、同じ体験を共有することの価値

前回、下記のような記事を書きました。

これまで、誰にも負けないアーティスティックな作品を作って、カリスマ的なポジションを築きたい、という思いがぼくの中にありました。
こんなこと改めて言うのも恥ずかしいのですが。

今はそれよりも、自分が培ってきたことを社会に還元する形がないだろうか、ということに関心があります。
それは、体のコンディショニングだったり、チームでモノづくりする為のコミュニケーションであったり、体を使って行う情操教育のような形をとるのかもしれません。

コロナ禍になり、舞台作品を発表する場から少し離れてみて、久しぶりに幼稚園児達の前でパフォーマンスするという機会を得て、ぼくの中でパフォーマンスすることへの意識が変わったと感じていて、それをどう形にするべきかを考える為に、このnoteを書いています。

舞台芸能の教育的な側面や、福祉的な側面へのアプローチをされている方や団体がいらっしゃるのを知ってはいましたが、これまでぼくはそういうアプローチに興味を持っていませんでした。

舞台芸術界隈で叫ばれていた「劇場の灯を消してはならない!」的な叫びも、ぼくは違和感を感じていたし、公的な助成金ありきで維持されている諸々の体制にも、コロナ前から疑問を感じていました。

ですから、前述した教育的、福祉的アプローチを掲げる方や団体に対して、「はいはい、助成金対策ね」と、内実も良く分からずぼくは判断していました。

コロナ禍の前にも、幼稚園をはじめ、小、中、高、大学と何かしら教育機関と関わりを持つ機会はあったのですが、コロナ禍になりこうして、他者と同じ空間、時間を共有することがバタッと無くなってみると、これはとても価値のあることで、教育機関でこそもっと盛んに取り扱うべきことなんじゃないのか、と思ったのです。

トムとジェリーのようなドタバタコメディをしていると、園児達がみんな大きな声で「うしろ、うしろ〜!」と叫んできます。
誰かが叫ぶと、それにつられてまた誰かが叫び、誰かが笑うと、つられて誰かが笑います。
もちろん、ぼく達は園児達に何かしらのリアクションを強制したわけではなく、園児達は笑いたいところで笑い、鎮まる時に鎮まるのです。園児達みんなが大きな感情の渦を作り出していたかのようでした。
あの時間、間違いなく園児達はみんなで何かを共有していた、と思うのです。
ぼく達演者もそれを共有していました。

やはり、ぼく達人間は実際に会って、同じ空気を吸い、相手の存在を全身で感じることが必要なんだと思うのです。
特に大人になる前の成長過程には。

マスクで表情を無くして、ビニールシートで触れあわず、オンラインで何もかも済ましていたら、ぼく達はこれまで長い時間をかけて培ってきた大切な機能を失ってしまうのではないか、と思うのです。

うーむ、今日もまとまりのない変な文章になってしまいましたが、自分が何をしたいのか、何ができるのかを、見つけていく為にも、もう少し作文続けます。

よろしければお付き合いください。

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