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帰路にて・人生と、さくらんぼと

Life is just a bowl of cherries.

会社からの帰り道、信号待ちにて。隣にいた女性のカバンにデカデカと書かれた英文に、思わず釘付けになってしまった。

人生…?命…?命なんてボウルに入ったサクランボのようなものさ…?
青信号に変わるまでの数分間、私はずっとそのフレーズの意味について考えていた。ここ数日火起こしのごとく擦切らしていた頭で。
さあ、あなたは私が何が言いたいのか分かるかしら。手書き風の筆記体は、ボウルからはみ出したサクランボの絵―すました古い洋書の挿絵のような―と一緒にゆらゆらと笑っていた。

命なんて言い方したら殺伐とするよねぇ。じゃあやっぱり人生?ボウルいっぱいのサクランボはあったら嬉しいだろうけど、食べきれるかしら。
そんなことをひとり悩んでいる間に、信号はぱちりと青色に光り、カバンは持ち主と一緒にどこかへ行ってしまった。


家に帰ってもそのフレーズは頭の裏で揺らめいていた。Google先生に尋ねてみたところ、そのフレーズはある歌のタイトルだということが分かった。

https://youtu.be/MV9ZhoJ6v8Y

それなりにメジャーな曲だそうで、いろいろなアレンジ版があるようだった。ひととおり聞いてみたが、たいていイントロが長い。そしてたいていお気楽そうな、それでいてどこか吹っ切れたような歌い方をしていた。
曲を聴いてみて私なりに訳してみるならば、「人生なんて、ボウルいっぱいのサクランボみたいなものじゃあないの」といったところか。

ちなみにGoogle先生からのお返事によると、"a bowl of cherries"という言葉には「たくさんの良いこと・楽しいこと」という意味もあるらしい。一方で、「そんな良いこと・楽しいことはすぐ無くなっちまうのさ」という皮肉めいた言い方をするとの説明もあった…どっちなんだ…。

個人的な経験からいえば、後者のような気もしている。
日本で出回っているサクランボはとにかく足が速い。ツヤツヤプリプリの甘い実を楽しめるのはごくわずかな時期だけで、収穫してからもたった1~2日の間でしおれ始めてしまう。欧米のサクランボについては分からないけど、同じくそんなに日持ちがするものでもないと思っている。だからチェリーパイだの、キルシュワッサーだのが親しまれているのではないか。
どんな意味にせよ、「ずっとあるものではない」という意味合いが強い気はしている。そうなると、さっきのフレーズはまた違った意味を纏う。


Life is just a bowl of cherries.
このフレーズは曲の中で複数回出てくるが、それぞれこんな歌詞が続く。
だから、深刻に考える必要はない。人生はとっても謎めいているのだから。
だから、いつだって生きて笑いましょう。

今日までの私は、そんな言葉を言えるほどの人生をまだ歩んでいない。
社会の中では中堅に差し掛かっているとはいえ、私は心配性だし、笑えないことだって多い。人生はまだまだ酸っぱくて固いと思うばかりだ。
30年、いや40年くらい経ったら言えるようになっているだろうか。



サクランボ農家の知人曰く、サクランボを長期保存するには「洗って冷凍」か「おもいきってジャムとかコンポートとかにする」だそうです 芳田