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お墓を建てる仕事って。。。②~就職という壁~

大企業に内定を頂いて、内定式まで参加したのにもかかわらず、なんと留年してしまったのです。たった一つの単位が取得できないために。。。

担当教授の自宅までお願いに行きました。さほど親しくなかった教授でした。京都の近郊にある大きなマンションにお住まいでして、いまだにその場所を覚えています。阪急電車に乗っていったっけ。。。
何とか合格を頂きたい一心で無謀にも、厚かましくも面会に行って。。。面会はしていただけたんですが、結局ダメで、留年。

卒業式も出られず、謝恩会もドタキャン。最後にお別れを言いたかった人もいたのにな。。。でもとても参加できる気分ではなかったですね。

一年間、親にも迷惑をかけて、内定先の担当の方、そこに勤務していた先輩にも迷惑をかけ、ホントに申し訳ない気分でいっぱいでした。

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それでも、何とか卒業した方がいいだろうと親とも相談して、一年間、つまり5年目の大学に通うことになりました。
その5年目の大学時代はほとんど記憶がありません。なにをしていたんだろうか。。。とにかく授業だけはまじめに出ていたと思います。
誰も知っている人のいない教室で。
ときどき見かける「大学院」に進学した同級生との立ち話は唯一の救いでした。今日はいないかな~と思いながら、キャンパス内をコソコソと目立たぬように歩いていた気がします。(何故だ?!)

留年とは、1年間、さらに大学に通うこと、と同時に、就職活動もゼロから始めなくてはいけません。前年頂いた内定は。。。諦めました。

先輩に申し訳なくて、翌年も、という気にはなりませんでした。で就職活動ですが、大学4年間、新聞社の校閲部という場所でアルバイトをしておりました。校閲ってご存知ですか?新聞って文字の間違い、ほとんどありませんね。実は発行前にしっかりと読んでいる人がいるのです。それが校閲(校正とも)です。「文字の間違い、表現の間違い」をいち早く発見して修正する仕事ですね。

スポーツ新聞ではありましたが、編集部で4年間ほぼ社員と同じ仕事をしておりました。それも一つの理由だったのですが、「新聞社」で仕事がしたいと思うようになったのです。

当時バブルがはじけてはいましたが、大卒ならかなり自由に就職先が選べる時代でした。「新聞社」でも、頑張れば大丈夫だろうと思ったのが大きな間違いだったのです。


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