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29年目の1.17

2024年は元旦の能登半島沖地震で明けました。
東日本大震災や熊本の大地震、各地の水害など、日本は災害大国のようです。

阪神淡路大震災を経験した者として、災害が発生する都度、心に痛みを覚えます。
私は1月17日が近づくと居ても立っても居られない、もどかしさに駆られて、写真撮影に走り回っています。

2022年と2023年は連続して東遊園地の「1.17のつどい」に参加し、黙祷し、その光景を撮影しました。
一部の報道機関は写真映えする親子を狙って追い掛け回す有様ですが、被災者である市民はそんなことはしません。
迷惑にならないよう、後からそっと撮影するだけ。

忘れないよ

2023年は、16日に激甚被災地区だった新長田をウロウロし、街の様子を撮ってきました。
「日吉町ひだまり公園」で偶然見かけた朝の光景です。
小さな祠のお地蔵様に灯りとお線香を供えていました。

小さな公園ですが、三々五々とお参りする人が来られました。
東遊園地で震災が発生した午前5時46分に黙とうを捧げたくても寒くて公共交通機関もない中、お年寄りにはとても行けません。
自宅の近く、大切な人が亡くなったその場所近くで祈られているのでしょうか。

今年は1月16日に東遊園地に行きました。
ボランティアの方々が、竹灯篭や紙灯篭で「ともに」と「1.17」の文字を描く様子を撮影してきました。

毎年、外国人の学生グループが見学に訪れています。
作業をする訳でもなく、興味のない様子の学生も多数いますが、内心何かを感じているような表情が読み取れます。

神戸市役所の24階に展望ロビーがあり、今年はそこから撮影してみました。
17時に「希望の灯り」から分灯して会場に運んでいます。
「希望の灯り」は写真の右上にあります。
全国の被災地や全都道府県からボランティアで集められた灯りを基に種火にして灯されています。
全国から駆け付けられたボランティアの人々への感謝の気持ちが込められ、東日本大震災の被災地にもこの分灯が灯され続けています。

16日は紙灯篭にだけ灯りをともし、17時46分に黙とうを捧げました。

震災で亡くなった方 6,343人。
「慰霊と復興のモニュメント」の地下には、その方々の名前が刻まれ、遺族が名前をさすっています。
今、震災を知らない人が4人に1人となり、その経験や教訓を語り続ける困難さを感じ、改めて語ることの重要性を肌に感じます。

1.17の追悼式は各地で実施されます。
いずれも同じ時刻ですので、何か所も回れません。
今年は、新長田の防災公園「日吉町ポケットパーク」で開催される追悼式に参加しました。
ここは震災による大火に見舞われ、公園がある五丁目では二十七人が亡くなりました。二体の石地蔵も、一体は真っ黒に焼け焦げ、残る一体は頭部がなくなって焼け跡から見つかったそうです。この二体と、後に寄贈された木彫りの一体が地蔵堂に安置され、お世話のために人が集まり、力を合わせて復興するように、との願いを込めて「あわせの地蔵」と呼ばれています。

地元の人たち、複数の宗派の僧侶、消防団員などが集まりました。黙祷と焼香をして炊き出しが振舞われました。

私は気になっていた「カトリックたかとり教会」へ向かいました。
ここは震災で聖堂が全焼し、その跡がボランティア拠点となりました。紙管を使って仮設集会所兼聖堂が作られ、今は台湾に移設されたとか。
震災で焼けなかったキリスト像が今も見守っています。

カトリックと仏教による合同追悼式は終わっていましたが、撮影をすることができました。珍しい祭壇かと思います。

新聖堂

新長田近隣をウロウロと歩き回り、伝えることのできる被写体を探し回りましたが、やはり29年も経つとそれも少なくなってきています。
復興のシンボルとして設置された鉄人28号のいる広場で撮影した写真です。
写真を大きくして見ていただければ、鉄人が明けの明星を指さしているように見えます。
能登半島の被災者の皆さんが、希望を見失わず、復興に力を合わせることができる日が、一日も早く来ることをお祈りいたします!


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