【小説】静寂の膝小僧

二ヶ月前、世間的には多くの人が新しい環境でスタートを切る季節に、僕は仕事を辞めた。

福岡の天神バスターミナルから佐賀駅バスセンターまで向かう西鉄高速バスに揺られ、窓際の席で、遠くなっていく福岡の都市の喧騒を眺めながら、僕は無意識に今回の旅が始まるまでの過程を思い出していた。

会社勤めをしているころ、煩わしい人間関係や、多すぎる仕事の負担、多忙すぎる毎日に、僕は心身共に悲鳴をあげていた。ただ、どうやら自分の限界というものは、壊れてしまうまで気付かないものらしく、僕自身の耳には僕のその心身の悲鳴は届いていなかった。

しかし、幸運なことに、僕の場合はTwitterで普段やり取りしていたフォロワーの人たちが、僕の異変に気付き教えてくれたのだ。

自分の限界が近いと客観的に言われると、そういえば生きがいである晩酌の味がしなくなったとか、何をするにしても腰が重く感じたりだとか、心当たりがボロボロ出てきた。

貯金もあるし、副業をやっていたおかげで収入の当てもある。急いで再就職するつもりは更々なかったが、僕は一つだけ、仕事を辞めてやろう決めていたことがある。

「会いに行こう。」

僕の心身の悲鳴を聞いて、それを教え、救ってくれた恩人たちに。とにかく会って話したい。そんな思いで、関東から全国各地への一人旅を始めたわけだ。

例年よりずっと早く、史上最短で、日本の梅雨が明けた。仕事を辞め、僕の人生の梅雨も明けたような気がする。

だから僕は、梅雨明けの道をなぞるように、九州地方から一人旅前線を北上し、Twitterのフォロワーのみんなに会いに行くことにした。

まずは、関東から福岡空港まで飛行機で行き、福岡を拠点に九州を攻めていく予定で計画をしている。とはいえ一人旅初日の今日は佐賀で一泊するつもりだ。大きな荷物は佐賀のホテルまで宅配で送っているので、これから全国を旅するにはやけに身軽に感じて、逆に少し不安だ。

ここまでのことを振り返っていると、いつの間にか佐賀駅バスセンターが見えてきた。福岡のバスターミナルとは違い、ビル中にあるわけではなく、屋根とコンビニがあるくらいで、バス待ちの人は屋外に並んでいる。都会のバスターミナルと比べると、佐賀の中心のバスセンターは大きなバス停くらいの規模だ。

バスの窓からバス待ちの人が上着を脱いでいたり、汗をハンカチで拭ったりしているのが見える。夏はまだだというのにすでに真夏日だ。バスから降り、バスと外の気温差のせいで曇った眼鏡を拭いてから、バスセンターの横にあるJR佐賀駅へと歩いて向かう。

平日の16時ということもあり、仕事している人が多いのか、佐賀で一番大きいであろう駅周辺でも、あまり多くの人はいない。駅の入り口で、普段は自動販売機を利用することはほぼないが、のどが渇いたので水を買った。

駅構内のみどりの窓口の前、紫外線の影響で薄くなってしまった赤と青の椅子が交互に並んでいて、僕は向かって一番左端の青の椅子に腰を下ろす。先ほど買った水を飲んでいると、自分の手が震えていることに気が付いた。

緊張しているのだろう。そりゃそうか。一人旅の最初に、一番会いたかった、一番尊敬し、一番憧れている人と会う約束をしているのだ。

約束は18時。今は16時15分だからまだまだ時間はある。少しTwitterを開いて旅の状況をツイートして、散歩をすることにした。僕は知らない街を散策するのが好きだ。二度と来ないだろう道に思いを馳せる瞬間が、旅の醍醐味だと思う。

ベンチに座ったままスマホをいじっていると、突然誰かが僕の前に立ち、声をかけてきた。

「コウケンテツさんですか?」

見上げると。一人の男性が微笑んで僕を真っ直ぐ見ていた。長髪で、ウェリントン型メガネとあごひげが圧倒的に似合っているのに中性的なイケメン。スラっとした長身で筋肉質そうな体形、オーバーサイズのTシャツに短パンというカジュアルな格好だが品性を感じる。ワイルドさと爽やかさの両方を兼ね備え、そして、洗練されたオーラがあった。

以前、僕が最初に九州を訪れたときに出会った、彫刻のように整った顔立ちをした綺麗な女性のように、男性は僕の目に魅力的に映った。間違いない。約束の時間に対して早すぎるけど、間違いなくあの人だ。

「あの、コウケンテツさんですか?」

かずちかさんは、魅了されて声が出ない僕に、もう一度同じユーモアを繰り返した。どうやらツッコミが来るまで同じボケを繰り返すタイプらしい。

「そんなわけないでしょ!コテツですよ、かずちかさん!はじめまして!」

僕は椅子から立ち上がりつつ、ツッコミと挨拶を同時に放った。

「おー!やっぱりこてっちゃん!はじめまして、私がかずちかです。ってか、めちゃくちゃ早くない!?」

「いやいや、僕は今から散歩する予定だったんですよ!」

何だろう。すごくオーラがある人なのに喋りやすい。もしかして、さっきの最初のユーモアのある声掛けが僕の緊張をほぐしてくれたのだろうか。

その証拠に、さっきまでガクガクと大爆笑していた僕の膝が、静寂を取り戻している。もしかしたら人生で一番静かな膝かもしれない。

「かずちかさんこそ、まだ仕事の時間じゃないんですか?あ、これ関東のお土産です。」

「おー!東京マンゴー!これ私も家族も好きなんだよ。ありがとう!」

かずちかさんは快くお土産を受け取って、先ほどの質問に答え出した。

「あぁ、今日は私の采配で迅速に仕事が片付いたから、昼までで全社員退社させることにしたんだよ。」

「一社員にそんな権限あるんですか!?」

「あ、Twitterでは肉体労働とか言ってたけど、それフェイクね。本当はカズチカンパニー株式会社ってとこの社長なんだ。立ち話もアレだし、時間もあるから、目的地のラーメン屋まで歩こうか。」

「えっ社長!?あ、はい、行きましょうか。」

駅の北口から出て東に向かう。かずちかさんは陽気にスキップしている。歩く僕のペースに合わせるためか、真っ直ぐ進むというより両腕をでんでん太鼓のように振って、左右に反復横飛びしながら前進しているような感じだ。正面から見るとスピードスケートのようにも見えるだろう。その動きになびく長髪が、太陽の陽射しを浴びてキラキラと輝いていて美しい。

会う数日前にTwitterのDMで豚骨ラーメンは苦手じゃないか確認があり、今日は佐賀ラーメンの美味しいお店を紹介してくれるらしい。僕たちは目的地のラーメン屋を目指して歩きながら、会話をさっきの話に戻した。

「カズチカンパニー株式会社って、どんな仕事をされてるんですか?」

「国家プロジェクトだから詳しく言えないけど、ラットをしつけしたりする研究とか、希望者がいればそれらを譲渡しているよ。」

あ、ペットショップだこれ。左右に振れるスキップで、並んで歩く僕の視点からはかずちかさんが近づいたり離れたりするように見える。そのかずちかさんの向こう側、古い建物のシャッターに、グラフィティアートのような派手な落書きがあった。『ジェネシス』と書いてある。

「かずちかさん、あのジェネシスって何です?」

「あれか…。佐賀は暴走族やヤンキーが多いんだけど、たくさんのチームが最近統合して、ジェネシスって大きな組織になったんだ。まぁ、私は朝型の生活をしてるし、夜に活動する彼らのことはよく知らない。」

暴走族か…、やっぱりどこにでもいるんだな。僕はかつて暴走族だったことをつい口走りそうになったが、悪いイメージを持たれたくなくて飲み込んだ。

かずちかさんのスキップが止まった。僕も足を止める。

「着いたよ。ここだ。」

『ちゃんぴおん』という白地に赤い文字の看板、赤を基調とした古い一軒家のような店構え、窓やドアは全て開放されていて、店中の食券の券売機と60代くらいの大将が見える。カウンターテーブルしかない、小さな老舗ラーメン屋といった感じだ。

「良い雰囲気の店ですね。こういうとこって、知らない土地で初見だと入り辛いから、こうやって連れてきてもらうと助かります。」

「確かにそうだよね。それにここ、ちゃんぴおんって店名がチャンポンっぽくて、ラーメン屋って気付かないかもしれないし。おっ、今日は貸し切りっぽいよ。」

僕もかずちかさんに続いて店に入る。券売機のメニューは多くなかった。かずちかさんはチャーシューメンと餃子、僕は普通のラーメンの券を購入し、大将に差し出した。

「麺は?」

「バリカタで。」

大将がぶっきらぼうに聞くと、かずちかさんは即答した。僕も慌てて答える。

「僕もバリカタで。」

かずちかさんは僕に先にカウンター席に座るように言うと、セルフサービスのお冷を2人分持って来てくれた。水を受け取って、かずちかさんと小さく乾杯をした。ただの水だけど、かずちかさんが注いでくれただけで水の味も洗練されているように感じた。

ラーメンを待つ間、Twitterのこと、好きなゲームのこと、投資のこと、いろんなことを話した。かずちかさんは、人見知りの僕を包んでくれるような優しい雰囲気で、ずっと昔からの知り合いのようにさえ感じた。

話が途切れた瞬間、ちょうど良いタイミングでラーメンが来た。4枚のチャーシューと生卵が乗ったラーメン、羽根がいっさい付いていない普通の餃子が、かずちかさんの前に運ばれる。これがスタンダードな佐賀ラーメンセットらしい。僕の前には白濁したスープに生卵が浮かんでいる普通の佐賀ラーメンが置かれた。

「餃子はシェアしよう。」

そう言いながら、かずちかさんは髪を結ぶ。その姿が妙に色っぽく、女性にしか興味のない僕でさえ、思わず生唾を飲むほどだった。

「さぁ、始めようか…」

食べるのかと思いきや、かずちかさんは割り箸を割り、それをドラムのスティックのようにラーメンのどんぶりに胡椒や醤油の入った容器、カウンターテーブルなどを叩き出した。

「スパンスパン!スパンキングエクスタシー!スパンスパン!スパンキングエクスタシー!」

かずちかさんは何やら歌詞のようなものを口ずさみながら、割り箸で辺りを一心不乱に叩いている。聞いたことのないリズムと言葉だが、どこかビートルズを彷彿させた。

自然と体が揺れる、ラーメン屋のおやじさんも縦ノリでリズムを取っている。あぁ、この人は存在自体がエンターテイメントだ。いつ何をしでかすかわからないトリッキーなビックリ箱。こんなサプライズは初めてだった。いつの間にか流れた涙が、頬を伝う。

「いただこうか。」

かずちかさんは優しく微笑むとそう言ってラーメンをすすり出した。

僕は生卵の食べ方がわからず困っていると、かずちかさんは器用にれんげの上で卵を溶き、そこに麺を浸けてつけめんのように食べている。

それが佐賀流の食べ方だと、かずちかさんは後で教えてくれた。ちなみに、後日佐賀出身の友人に聞いたら、こんな食べ方はないらしい。まさかのかずちか流だった。そんなこだわりもカッコいい。

かずちかさんの真似をしてラーメンを食べようとしたとき僕のメガネが曇った。メガネあるあるだ。しかし、かずちかさんのメガネは全く曇る様子はない。この人のパワフルな熱気が、ラーメンの熱気と相殺してメガネの曇らない状況を生み出しているとしか考えられない。

ラーメンの味は濃厚だけど後味はサッパリしていて美味しかった。
「ラーメンはうまい。餃子は普通だけどね。」
とかずちかさんは笑っていた。

かずちかさんは続けて替玉を頼んだけど、僕はこのあとムツゴロウが食べられる居酒屋で佐賀の銘酒を一人で楽しむ予定なので、ラーメンは一杯だけで我慢した。ムツゴロウは地元の人間でもそんなに食べた経験がある人はいないらしい。勇気があるってかずちかさんは褒めてくれた。かずちかさんに褒められると、本当に勇者になったような気がしてくるのが不思議だ。

ラーメンを食べ終わるころ、僕たちが最初に仲良くなるきっかけだったブログについての話題になっていた。

「僕は最近ほとんどブログ書いてないですねー。かずちかさんは?」

「コアアップデートでアクセス落ちまくり。でもコツコツ続けてる。」

コアアップデートとは、検索のアルゴリズムが変わって検索順位が激変することだ。要するに、かずちかさんのブログも検索エンジンのアップデートでブログへのアクセスが減ったらしい。これは僕も含め、個人ブログをやっている人にとっては大事件だった。それでもコツコツと継続しているところが、かずちかさんらしい。イメージ通り、バイタリティのある人だ。

「コアアップデートってまるで全体攻撃だよなー。いつか自分も使ってみたいよ。」

「いやいや、ゲームじゃないんだから全体攻撃なんて使わないですよ!」

「はははっ。さて、そろそろ行こうか。大将、ごちそうさまでしたー!」

帰り際にこれだけ店側に対して気持ちの良い挨拶ができる人間は早々いない。やっぱりかずちかさんは日本の宝だ。

実際に会ってみて確信したけど、かずちかさんは人柄が完璧と言えるほど良い。本人はズルい方法で集めたと言っていた10万人のフォロワーは、彼の人徳に引き寄せられたものだと考えられるので、おそらく嘘だろう。その嘘さえも、謙虚な証拠だ。

かずちかさんは、次の日お子さんの幼稚園の行事があるらしく、早く帰らなといけないらしい。ゆっくり話していたからか、駅に着くころには時間は18時30分になっていた。

「時間短くてごめん。そろそろ帰るね。ムツゴロウの味の感想教えてね!」

「こちらこそ、お忙しいのにありがとうございました!じゃあ、僕はもう一軒行ってからホテルに行きますね!」

「じゃあ、またね!」

かずちかさんは大きく手を振ると、夕日の方へ歩き出す。黄昏を、誰そ彼とも言うが、その夕日の眩しさで誰だかわからなくなりがちな時間帯にも関わらず、かずちかさんはかずちかさんにしかない独特のオーラを放っていた。

―――――――――――

ムツゴロウは珍味だと思ったが、意外と煮つけは美味しく、普通の魚のように食べることができた。身が少ない気もしたけど。佐賀の銘酒『鍋島』も驚くほど飲みやすく、ついつい酔い過ぎてしまった。

酔いのせいもあったのだろう。居酒屋からホテルまで戻る道で、どこからか道に迷ってしまったことに気が付いた。

「おかしいな…すぐ近くだったはずなのに…。」

運が悪いことに、先ほどスマホの充電も切れたので、誰か人に聞くしかない。辺りを見回しても人は少なく、迷って入ってしまったこの路地の奥で5人の若者が座り込んで話をしていた。近づいてみると北斗の拳に出てくる暴徒のような、やんちゃそうな雰囲気だった。ホテルを聞くのは何となく怖いと思い、とりあえずコンビニまでの道を聞いた。

「あっちですね。ありがとうございます。」

すんなりコンビニまでの道を教えてくれたので、お礼を言って立ち去ろうとしたその時、背後から若者の声がした。

「まさか、タダで道教えたとか思っとらんよね?金、スマホ、全部置いていけ!!」

弱い人間ほど、群れると強くなった気がするものだ。僕は早くホテルに戻って充電をしたかったが、そうもいかないらしい。

「嫌だと言ったら?どうするんです?」

僕は振り返り、グッとメガネを置くまでかけ直した。

「力づくで奪ってやる!!」

暴走族をやっていたとき、10人くらいなら何度も相手をしたことがある。そして、負けたことは1度もない。

拳を作って大きく振り上げたまま走ってくる若者をかるくいなし、バランスを前傾に崩したところを、腹部に膝蹴りをお見舞いした。ドサッと音を立てて若者が倒れた。

「あと4人、どうします?」

「メガネのくせにっ!死ねぇ!」

次は2人が同時に向かってきた。すかさず僕も2人に向かって走り、必殺技を繰り出す。走りながら姿勢を低く下げ、そこからクラウチングスタートのように足を広げ、両肘をグッと後ろに引き、走っている勢いを保持したまま、相手の拳が僕に届くより先に、今度は引いた肘を突き出し、パーにした手の平で相手の水月(みぞおち)を突き上げた。

「龍虎!爪牙掌!!」

2人の若者も、断末魔を上げることなくその場で倒れ込んだ。

「道を教えてくれた分、手加減はしてあげましたよ。」

「や、やべぇ!!」

残った2人の若者は路地裏へ走って逃げて行った。とんだ時間の無駄だった。久しぶりの喧嘩で体力も異常に消耗したし、あとの2人が武器でも持っていたら正直やられていたかもしれない。しかも必殺技を使うなんて、やっぱりひどく酔っているんだな、と考えつつ、わかるはずもない道を当てもなく歩いた。

数分後…

「いたぞ!あいつだ!」

目の前から先ほど逃げた2人が僕を指差し叫んでいた。そして、2人の背後からぞろぞろと別の若者が集まってくる。多い。圧倒的に数が多すぎる。ザッと100人はいる。中にはバットやナイフ、チェーンのような物を持った男もいる。

「まさか…、かずちかさんが言ってたジェネシス!?」

終わった。さすがにこの数の武器持ちは無理だ。さっきの3人の件もあるし、たぶん金品を奪われるだけじゃすまないだろう。恐怖で膝が震える。今の状況が怖いというより、初日に旅が終わってしまうかもしれないという怖さが強いかもしれない。そんなことを考えながらも、圧倒的な敵の数で足がすくんでしまい、逃げることはできなかった。

「殺せぇえ!!」

怒号と共に100人の波が僕の方へ押し寄せてくる。もうどうしたって無理だ。まさかこんなことになるなんて…。

「コア…」

空耳かと思った。どこからか聞いたことのある声がした。こちらに向かって来ていた若者の内の数人が、止まって上空を見ていたので、僕もつられて上を見る。

満月。腕をクロスし、跳躍したシルエットが月光に浮かんでいた。顔は見えないはずなのに、洗練されたオーラで僕は誰だか察知した。でも、ダメだ。この数は例えあなたでも無理だ。僕は悲劇を想像して目を閉じた。

「アップデートッ!!!!」

かずちかさんはそう叫ぶと、あとは一瞬だった。湿った生温い風は凪ぎ、機関銃のように力強く、スネアドラムのようにリズミカルな打撃音が、僕の鼓膜を揺らした。

スパン、スパン、スパンキングエクスタシー
スパン、スパン、スパンキングエクスタシー

最後の残響が鳴り止んだ時、静かに目を開けた。そして、目の前に立っていたのはその人だけだった。

「か、かずちかさん…!」

「こてっちゃん!こんなとこにいたんだ!」

「道に迷って巻き込まれたんですよ!かずちかさんこそ!?帰ったんじゃないですか!?」

「いや、急な仕事が入ってね。こいつら、路地裏で悪さするネズミのしつけさ。」

かずちかさんは100人を倒したとは思えないほど涼しい顔で言った。何を言っているのか理解できなかったが、ミステリアスでベールに包まれたところも彼の魅力なのだろう。

「あと、コレ。こてっちゃんにこのお土産渡すの忘れてたんだ。佐賀の銘菓だよ!スマホで連絡取れないし、ムツゴロウ食べれる店って一軒だけだから、その周辺を探したんだよ。」

かずちかさんは、左手に持っていた佐賀の銘菓を僕に手渡した。もしかして、わざわざこれを持ってきてくれたのか?とんでもなく律儀な人だ。

「ホテルどこ?案内するよ。」

かずちかさんと一緒に、僕は歩き出す。さっきは一歩も動けなかったのに、恐怖で震えていた僕の膝が、静寂を取り戻している。人生で一番静かな膝が一日で二回も、かずちかさんによって更新されたのだ。

あの人は、静寂の膝小僧を作る、人間国宝級の職人だ。

かずちかさんと別れ、ホテルでお土産の袋の中身を見ると、さっきの攻撃で少し潰れてしまった『もみじまんじゅう』の箱が出てきた。

「いや、これ広島のやつじゃないですか!」

まったくかずちかさん、あなたって人は最初から最後まで人を笑顔にさせてくれるんですね。

僕も、いつかかずちかさんみたいになりたい。

ホテルの4階で、佐賀のまばらな夜景を眺めながら、もみじまんじゅうを一口頬張った。

ー完ー


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