自身の在り方

こんばんは。

カメラマンとして郡山市内より様々な写真をお届けしているカズキです!

日々、写真を撮っていく中で
様々な発見がありますが
今日は其れからは少しそれまして
俺自身の在り方のお話し。
自分自身を落ち着かせる(客観視させる)ために書いたと言っても過言じゃないことお許しください。

ずっと胸に締まってきた。
でも、誤解と偏見が凄く怖くて誰にも話すことが出来なかったこと。
周りは周囲にも言えているのに俺は言えない、、

自分の元から去るも去らないも自由だけど
驚かないで欲しい。

自分は

同性愛者(ゲイ)であるということ。

これを聞いて驚いた方もいると思う
うわっ、ムリwwwって方、
ここで閉じてくださって構いません。
隠しててごめんなさい。

俺の日頃の交友関係はもとより、行動言動で気づいていた人もいるんじゃないかと思う。
嘘ではないんです。事実です。
でも、家族にはカミングアウト出来ていない。
何故なら、縁切られたらどうしようとか、変なレッテル張られたらどうしようとか思ってしまって。

何となく中学3年の辺りから自分の事で
凄くモヤモヤしていた時期がありました。

その辺りから男性に興味を持つようになり
深夜にゲイビデオをネットで見ていたことも。
高校3年の時には福島・東京⇔茨城間での遠距離で
ひと回り上の彼氏ができました。
彼とは東京上京して2年目の4月まで
1年半続きました。
そこからはしばらく相方はいなかったんだけど

無理して異性と付き合ったこともあった、
断りきれなかった自分も悪いけど21の時。

でも、その方とは別れて今の生き方を選択して、改めて良かったと思う。

6年前に3回の手術を経験しました。
その後だったんですよ、最後に付き合った女性と別れたの。俺は、2017.03末~2ヶ月間東大病院で
2017.06中旬に地元の病院へ転院し(緊急搬送され)てから約1ヶ月間入院しました。
コロナ禍ではなかったので面会は全く大丈夫だったのに、埼玉の人なのに東大病院へ面会に来てくれたのは僅か2回だけ。残りは元彼女母親同席のzoom通話でした。

結果的に別れたけどそれで良かった。

コロナ禍初期には5歳年上の男性とも付き合いました
そこで自分はその方のせいもあって奈落の底に突き落とされることになりました。
そう、人に依存しやすい人だったのです。
月日3ヶ月未満で3つ返事で同棲しました。
そこからが最悪でしたが、別れるきっかけになったのは、

俺自身が彼に殺されかけたから

それが原因でPTSD(心的外傷後ストレス障害)とうつを併発しました。
PTSDのお陰で包丁を持つのもトラウマになってしまい、2年たった今でも症状は一進一退です。

自分は他者にカミングアウトすること
こうしてnoteに書くことは後悔していない。
なぜなら

それもひとつの個性

だから。
2月の半ばに新しい彼氏が出来ました。
俺の2歳年上。優しくて料理が上手で
俺が病気の影響あって、自動車免許を持つことが出来ないことも理解してくれています。ほんとうに素敵で自慢の彼氏です。

彼氏とも話しましたが、自分の住んでいる福島県はまだ、パートナー制度は出来ていないです。
他にも生きづらさを抱えている人沢山いるのではと思っていたりもしていて、早く制度の開始を求めたいという訴えを県に早く届けたくて今日は書きました。

全てのLGBT当事者の皆さんへ
伝えたいのは、悩んでいてもひとりではないこと。
自分の在り方、それも個性。
詩人の金子みすゞさんをご存知かと思います。

小学3年の国語の時に習った詩の結びの部分?が
27歳の俺にはとても響いています。

鈴と小鳥とそれからわたし
"みんなちがって みんないい"

わたしと小鳥と鈴と  より

LGBT当事者として、自分も何とか
カミングアウトをしているところです。
どうか、差別はしないで欲しい。
暖かく見守って欲しいと思います。

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