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♬まわる〜まわる〜♬

中島みゆきさんの『時代』を聴いて
♪まわる~まわる~4時台はまわる♪と
夕暮れの赤い空を連想。ああ今日も一日が終わりに近づくと哀愁に浸ってた中学生のボクだった。

そんなボクがまわる時代を実感したのが30代はじめ。回転寿司。

それまで家庭でお寿司といったら、ばら寿司かおいなりさん、たまに巻き寿司もあった気がするけど。にぎりといったらお寿司屋さん。職人さんがカウンター越しに握ったお寿司をテンポよく目の前に並べてくれる。お安いところがあったとしても、そこそこの出費は覚悟で暖簾をくぐってた。

登場した回転寿司の売りは安さ。そして職人さんへの注文のタイミングもいらない気軽さ。小さな子どもがいても大丈夫のファミレスだ。回転寿司の安さと気軽さの情報が巷に流れ出したとき、ボクもその流れにすぐに乗った…。すぐにどころじゃない。情報をかき集め、飛びついた。当時、地元にボクが求めていた回転寿司はなかった。県境をまたいでお隣まで行けばある。家族を車に乗せた。高速道路を走った。知らない街の回転寿司。いまならどこの街にもある回転寿司チェーン。目の前に流れてくるお皿に目を輝かせ、テーブルの上にお皿を積み上げていく。おいしかった。うれしかった。

何を食べても一皿100円だ。明朗会計だ。一皿100円の贅沢だ。

「安かったし、美味しかったなあ…」と余韻に浸りながら帰りのハンドルを握るボク。

妻が「高速代とガソリン代で美味しいものが食べれるのに…」と。

否!

何を食べても一皿100円。躊躇なく手を伸ばせる。注文もしやすい。それらが道中にかかる交通費と時間のデメリットを大きく上回る。ボクが求めていたのは

ココロの贅沢だ。

全国にチェーン展開が行われ、ライバル同士がしのぎをけずる。物価高…ココロの贅沢、満足感が消えていく。ボクが大好きだったまわるお寿司はもうないのかもしれない。

家族でお皿の色で値段が違う回転寿司に行ったこともある。そこでの衝撃の事実。普段、足繫く通う回転寿司よりも、支払額が大きく下回った。子どもたちもボクも手を伸ばせなかっただけなんだけど。

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