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子どもだけ頑張らせるんじゃなく、自分もなんか「やってみる」

1月の英検2級受験に向けて、最近は時間を見つけて勉強できるようになってきた。

「受験をする」と決めることって大事だなぁと思う。

お金もかかるし、受験の時間もかかるし、大人になるとこうやって自分に時間を作ることがとても貴重だと分かるので、できるなら一発で合格したいという気持ちから勉強できる。

しょっちゅう、苦しいと、なんでこんなことにトライしているんだろうと思うんだけど。

そもそもは、自分が英語を話せるようになりたいという夢はあったものの、それよりは、私が基礎英語を聞き始めたら子どもが興味を持たないかなあと思ったことがきっかけ。

基礎英語1の1月頃が自分のレベルにちょうど良かったところから始めた。(もう3年くらい前)

その後、基礎英語1を丸1年聞いて、次の年には、基礎英語1と2を聞いて、その年の中頃から英語を習い始めた。

英検3級くらいからトライしようと思っていたのが、1年後にいきなり2級にトライしている。

先生につくって、こういうことなのか、と、思う。

2級になってくると、高校生対象の級だけあって、日本語も難しくなってくる。

自分自身、先生の仕事をずっと頑張ってきて、文を読み続けてきたことが役にたっているのかも、と、思う。なんでも頑張っておくって大事だ。

今は、こども園でのパートとちょこっと小学生を教えているだけなので、仕事でウンウン唸るようなストレスはない。(中学受験レベルの問題は、なかなか手強いけど。)

だからこそ、こうやって英語で負荷をかけているのは大切なんだと思う。

先日、幸福学の4つの因子の話を読んだ。

私の英語の勉強は、「やってみよう」に入るんだろう。

先生に、毎日、筆記の空欄補充、長文、リスニング、英作文、全てのコンテンツをちょっとずつすること、と、言われている。

私は覚えるのが苦手なので、英作文用の暗記が一番苦しい。続いてリスニング。

でも、子どもだけじゃなく、自分もなんか「やってみてる」ってことが重要なんだろうな。

それが、長年の夢に繋がってることだから、なおさらいいやんって、苦しいときは思うようにしてる。

それにしても、頭に入らんぞ😁

No.40




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