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『おれ、カラス クリスマスの奇跡』第一話(全三話)

やまちゃんはいつものお気に入りの場所、信号機の上から、下を通りすぎる車や、歩道を行き交う人々をぼーっと虚ろな目で眺めています。

「やまちゃん、元気かな?」

その声とともに、やまちゃんの目のまえにサンタクロースが現れました。
その巨体は空中にふわふわと浮かんでいます。

「ああ、サンタのじいさん。久しぶり」

サンタクロースの姿は、やまちゃん以外、誰にも見えていません。サンタクロースが見えないように魔法の力を使っているからです。

「このまえはすまんかったのう。あんなことになってしもうて」

「......終わったことだし。もう、なんとも思ってないから......」

すずとずっとふたりで暮らしていこうと、いろいろなことを頑張っていたやまちゃんは、サンタクロースの大失態のせいで、人間の姿からいまのカラスの姿に戻らざるを得なくなりました。そしてその結果、やまちゃんは、すずに直接お別れもいえずに、置き手紙を残して去ることになってしまったのでした。

「やまちゃん。わしはこのまえの約束を果たしにきた。あと十二時間でクリスマスが終わるからの」

いまはちょうどお昼の十二時でした。

サンタクロースのいう約束とは、クリスマスが終わったら、つまり二十六日になったら、やまちゃんを人間の姿に戻すというものです。

「サンタのじいさん、もうプレゼントは配り終わったのか?」

「もちろんじゃよ。今朝までに配り終わったよ。ただひとつ、この一年本当に良い子にしていた大人の女性へのプレゼントを残してな」

「だったら、そのひとつをとっとと渡して、家に帰ってからだを休めれば? サンタのじいさんも歳なんだし、疲れただろうに。それに、実は......俺はまだ決めていないんだ。人間の姿に戻って、またすずといっしょに暮らすのか、どうするのか」

「決めていないのか? まえにやまちゃんは、『絶対にクリスマスが終わったら、人間の姿に戻してくれ、約束だからな』といっておったじゃろう?」

「ああ、確かにそうだったな。けど、もしさ、すずから真顔で『あんた、誰? なんにもいわずに出て行くようなひとは、私は知りません』なんて、玄関のドアをピシャリと閉められ、拒絶されたら、と思うとね......」

「そうか......」

「ところで今日はプチさんはいないの?」

「プチサンタ、やまちゃんが呼んでる。お疲れのところすまんが、ちょこっと顔だけ出してくれんかの?」

サンタクロースの上着のポケットがもぞもぞと動き出して、なかからプチさんが眠そうな顔を覗かせました。

「あぁぁ......ぉお、やまちゃん。相変わらず黒いな」

「黒いな、なんて。当たり前だろ、俺は真っ黒カラスなんだから」

「サンタクロースは、本当に人使いが荒くてさ。この一週間というもの、俺はほとんど寝ていないんだよ」

プチさんはあくびをかみ殺しています。

「そうなのか? サンタのじいさん」

「そんなにこき使った覚えはないんじゃがの......」

サンタクロースは、困惑の表情を浮かべています。

「もう、話しをするのもかったるくて。じゃあな、やまちゃんあとでな。今度会うときは、やまちゃんが人間の姿に戻ったときにな」

プチさんはそういうと、またポケットに潜り込みました。
サンタクロースは、プチさんをいたわるかのようにポケットの上から優しく手を添えています。

「やまちゃん。さっきわしがいった、あとひとつ残っているプレゼントというのがな、実はすずさんからお願いされていたものなんじゃよ」

サンタクロースは真面目な顔つきです。

「えっ! すずから?......」

「そうなんじゃ」

「それって、なに?」

「ホーホーホー......」

サンタクロースは意味深な笑い声をあげました。

「それを教えるまえに、やまちゃん、わしにちょっと付き合ってもらえんかな?」

「いいけど、どこに?」

そこへ、はしちゃんがやってきて、やまちゃんのとなりに留まりました。

「やまちゃん、もしかして、またプチさんと話してる?」

はしちゃんは目を凝らしてやまちゃんの目のまえの空中をまじまじと見つめています。

「おーい、プチさん。俺だ、はしだよ。いるんなら俺にもその姿を見せてくれ」

「はしちゃん。プチさんじゃなくて、サンタのじいさんだ」

「はしちゃん、久しぶりじゃの」

その声とともに、サンタクロースがはしちゃんの目のまえにその姿を現しました。

「サンタクロースさん。ちょっと伺ってもいいですか?」  

はしちゃんは挨拶もろくにせずに、その作り物のようなつぶらな瞳を輝かせながら、まるで無邪気な子供のようにサンタクロースに訊ねます。

「なんじゃ、はしちゃん」

「サンタクロースさんって、もうプレゼントは配り終わったんですよね? だって今日は二十五日のクリスマスでしょう?」

尊敬しているのか、なんなのか......もともとことば使いがあまりよろしくないはしちゃんですが、サンタクロースだけにはいつも敬語を使っています。

「そうじゃな。今朝までにプレゼントを配り終わって、子供たちの満足そうな笑顔を見届けたところじゃった。それで、いろいろとお世話になったやまちゃんに、その報告にきたんじゃよ」

「それが......ぼくのところには、お願いしていたプレゼントが届いていないんですけど。朝、目を覚まして、留まり木に吊るしておいた、マンションのベランダから拾ってきたストッキングのなかに、なんにもクリスマスプレゼントが入っていなかったんですけど。いっぱい入るように靴下の代わりにせっかく苦労して吊るしておいたのに......。」

「なにをお願いしたんじゃ?」

「えーっ、サンタクロースさん。ぼくのお願いを知らないんですか?」

『これは意外......』

はしちゃんはそんな顔をしています。

「そんなもの......わしは知らんよ。わしは人間のお願いしか叶えてあげられんからの」

「えっ! そ、そんな、嘘でしょ?......」

「冷たいようじゃが、わしにはカラスにクリスマスプレゼントをあげることはできんのじゃ。やまちゃんだけは特別じゃがの」

「やまちゃんだけは特別?......じゃあ、やまちゃんは、サンタクロースさんからクリスマスプレゼントをもらえるの? なんで? やまちゃんだけ、ずるいよっ!」

はしちゃんは目を三角にしてやまちゃんを睨んでいます。

「サンタのじいさん、勘弁してくれよ。なんで、そんなことをはしちゃんにいうのよ?」

「やまちゃんがもらうプレゼントってなに? 教えてよ!」

はしちゃんは、羽をばたつかせ、口から唾を飛ばしてやまちゃんに猛抗議です。

そんなはしちゃんの、ものすごい勢いに気圧されたやまちゃんは覚悟を決めました。

「......しょうがないな。はしちゃんとは、もうこれっきり友だちではいられなくなるかもしれないけど。全部教えてあげるから」

やまちゃんは、はしちゃんに、すずとのこと、そして自分が人間になっていたことを、いつかは話さなければならないな、とずっと考えていたのです。

やまちゃんは、すずと出会ったあのクリスマスの日から今日まで起きた出来事を、はしちゃんに正直に打ち明けました。

「まじっ! そんなことがあったんだ。じゃあ、ちょっとまえに俺に手を振って叫んでた、あのやけに肌の浅黒い変な人間って、やまちゃんだったってこと?」

「そうだよ」

「まじっ! 間近に立ってる小鹿の地価はまじな話すごく安いっ! こんな時代のことばの地雷を踏んだじぶん、そのこと自体が事態をまじにまぜくってる」

「はしちゃん、なにそれ? なんか方言も入ってるし」

やまちゃんから聞いたあまりにも信じられない衝撃的な事実に、はしちゃんはパニックになっています。お得意のラップも韻を踏むどころか、なんだか支離滅裂でちっとも面白くありません。

「まじで? やまちゃん......俺、ちょっとびっくりしすぎて、おしっこ漏らしちゃった」

風に流されたはしちゃんのおしっこは、ちょうど下を通りかかったサラリーマンの顔にかかりました。
サラリーマンは、雨か?と空を見上げています。

「じゃあ、じゃあさ......人間のように、やまちゃんは、おいしいものをいっぱい食べたってこと?」

「ああ、はしちゃんが食ったこともないようなものをお腹いっぱいな」

やまちゃんは、『はしちゃんが一番気にするのはやっぱりそこな』と思いました。そんなものより何倍もすごい経験だった、すずとの夜の営みについては、『はしちゃんには絶対に話せない』
そうやまちゃんは心に決めました。

「えーっ、なんで、なんでやまちゃんだけ? そんなの不公平だよ」

『そういや、俺、公平って名乗ってたっけ......』

やまちゃんは、「俺の本名は、山神公平」とすずに名乗ったあの日のことを思い出していました。

「おふたりさん、お話し中すまんがの、これからちょっとやることがあってな。そろそろ本題に入ろうか?」

やまちゃんとはしちゃんの話がなかなか終わりそうにないので、サンタクロースが口を挟みました。

「うん、ごめん。それでなに? サンタのじいさん」

「やまちゃんが人間の姿に戻るまえに、やまちゃんが去ってからこれまで、すずさんがどのように暮らしてきたのか、知ってもらおうと思ってな」

「すずのこと?......」

「ああ。さっき、やまちゃんは、すずさんから『あんた、誰? なんて冷たくいわれたらどうしよう?』とかいっておったじゃろう?」

「うん」

「それでな、クリスマスの定番というわけではないんじゃが、やまちゃんにすずさんの現在、過去、そして、未来を、わしと一緒に見て欲しいと思うんじゃが、どうじゃろう?」

「それって、あのお話だよね? クリスマスイブのケチケチジジイの......」

「そうじゃ。わしにも似たようなことができるからの。ところで、はしちゃんは、大丈夫かの?」

はしちゃんは、いまだにやまちゃんの話がよく理解できず、サンタクロースとやまちゃんが話している間、ずっとぶつぶつひとりごとをいっていたのです。

「はしちゃん、はしちゃんってば!」

「あ! やまちゃん。俺、本当にびっくりしちゃって」

「まあ、そうなるよね。ごめん、はしちゃん。俺、いまからサンタのじいさんと行かなきゃいけなくて」

「やまちゃん、やーまちゃん!」

「なに、はしちゃん?」

「俺もいっしょに行っていいかな?」

「サンタのじいさん。はしちゃんがこういってるけど、いい?」

「わしは全然、構わんよ。それじゃ、わしの......」

「これでいい?」「こうだっけ?」

やまちゃんたちは、サンタクロースがいい終わるまえに、サンタクロースのからだに羽先で触れていました。

サンタクロースは、渋い顔です。



やまちゃんたちは現在のすずの様子を見にきています。

すずはクリスマスツリーをまえに、テーブルいっぱいに食べ物を並べています。
どれも、やまちゃんの大好物ばかりです。
昨日も今日も、すずは、やまちゃんが帰ってくるのを待っていました。
やまちゃんがいつ帰ってきてもいいように、こうして準備をしていたのです。

「ああ......すずだ。相変わらず可愛いなぁ......」

久しぶりに見るすずのその姿に、やまちゃんはだらしない笑顔を見せています。
カラスの笑顔なんて不気味すぎます。

実はやまちゃんは、すずが会社の行き帰りに通る公園まで、すずに逢いに何度か行ったのでした。

そしてある日、やまちゃんは勇気を出して、すずに一度だけ声をかけたことがあったのです。しかし、そのときすずは、「キャーっ!」と叫んでカラスの姿のやまちゃんから逃げるように走り去ったのです。

それは、そうでしょう。突然、真っ黒なカラスが、自分に話しかけるかのようにギャーっ!カーっ!と大声を出したのです。

はっきりいってホラーでした。

やまちゃんは、自分を愛おしそうに見つめてくれた、すずのあの優しい眼差しとは真逆の、恐ろしいものでも見たかのように自分に向けられたすずの怯えた表情に衝撃を受け、それ以来一度もすずの近くに行くことはありませんでした。

「この女がやまちゃんが好きな人間?」

「はしちゃん。この女呼ばわりはやめてくれる? 彼女にはすずっていうちゃんとした名前があるんだよ」

「ごめん。すずっていうんだね。俺、人間の女が可愛いのか、どうなのかよくわかんないけど、すずは可愛いの?」

「可愛いに決まってるだろ! 俺の大切な彼女なんだから」

「そうなんだね。けどなんか、すずって......かなりお腹が出てるんだね。デブっていうの?」

「失礼だな、はしちゃん。すずは、どちらかというと華奢なほうだけど!」

「でも、お腹だけがポッコリ出ているような......」

「んなことあるかい!」

やまちゃんは、目を凝らしてすずのお腹をじぃーっと見つめています。

「ほんとだ......」

やまちゃんは、お腹がポッコリ膨らんだ裸のすずを想像しています。そして、力なくうなだれました。

すずがひとりごとをいっています。

「サンタクロースさん。やまさん帰ってこないんだけど......もうすぐクリスマスは終わっちゃうし。私、いい子にしてたと思うのに......」

そういいながら、すずは涙ぐんでいます。

「ということは、すずのお願いって、もしかして......」

「そうじゃ、やまちゃんを待っておるんじゃよ」

「すず......」

「すずはやまちゃんを待っているんだね。なんか、可哀想だ」

はしちゃんは、普段冗談ばっかりいっていますが、本当は思いやりのある、心根の優しいカラスです。

「......」

やまちゃんは、ことばもありません。

「すずさんのお腹のなかには、やまちゃんの子供がいるんじゃよ」

サンタクロースは、困ったような、それでいてうれしそうな、どちらともいえない複雑な表情を浮かべています。

「えっ! 俺の子供?......」

やまちゃんは驚きを隠せません。

「カラスと人間のハーフってことは、頭がカラスでからだが人間? まさか、その逆? カアーカアーいいながら、街を歩き回るの? 怖っ! ホラーだよ、やまちゃん」

「はしちゃん、プチさんはそんなことはないっていってたよ」

「そうじゃ。生まれてくる子供は、間違いなく人間の女の子じゃ」

「えっ! 女の子? サンタのじいさんには、そんなことまでわかるのか?」

「わしを誰じゃと思っておる。わしはもう二千年近くも生きておる、その名もサンタクロースじゃぞ」

サンタクロースは誇らしげに、自慢の白髭を触っています。

「俺、父親になるんだ......」

やまちゃんはうれしさのあまり、いまにも泣き出しそうです。

「やまちゃん、おめでとう!」

はしちゃんは心からやまちゃんに祝福のことばを述べました。はしちゃんは、やまちゃんがすずと子供を作るような行為をしたんだということには、まったく考えが至っていません。もし、それに気づいていれば、はしちゃんからやまちゃんへの質問責めが始まるのは間違いないでしょう。

「ありがとう、はしちゃん」

「あと、五か月くらいで生まれるみたいじゃ。予定日は、五月五日みたいじゃが。女の子なのにのう......」

「人間って、かなり生まれるまでに時間がかかるんだな。カラスはさ、たまごから雛がかえるまですぐだろ、それから巣立ちするのもすぐだろ、それに比べてかなり時間がかかるんだね」

「だって、人間だし。カラスじゃないからね、はしちゃん」

「けど、大変だな。あと五か月もあんなデブったからだで生活しないといけないなんて」

「デブった、いうなよ。はしちゃん」

「この子は、すずさんのお腹のなかで、約十か月の間、過ごすことになるんじゃ」

「そ、そんなに長く......」

はしちゃんは目を白黒させています。

「俺だったら、お腹が空きすぎて、すずのお腹のなかで死んじゃうかも」

「カラスたちは卵で生まれる。ひとはまったく違うからな、はしちゃん」

やまちゃんは、プチさんといっしょに人間界で暮らしていくために、本当にいろいろなことを勉強したのです。そんななかで、もしすずとの間に自分との子供ができたら......と考えたこともあったやまちゃんは、そのことについてもいろいろと調べていました。

「やまちゃん、なんでも知ってるんだね」

「まあね。人間ってやつは勉強すればするほど、知らなきゃいけないことが次から次へと出てきてさ、一生勉強し続けないといけない生きものなんだよ。まあ、なかにはそうじゃないひとたちもいるけどね」

「なんか、大変そうだね。俺、絶対に人間になんかなりたくないよ」

「そんなに気楽には生きられないかもしれないけど、楽しいこともいっぱいあるしね。そんなに悪いもんじゃないよ、人間って......はしちゃん」

「お話し中、悪いが。そろそろ、いいかの? 今度は、ちょっとまえのすずさんを見に行こうか? ここに......」

サンタクロースがいい終わるまえに、またも、やまちゃんたちはサンタクロースのからだに触れていました。



やまちゃんたちはすこしまえの過去のすずを見にきています。

「あっ! すずのパパだ」

やまちゃんのまえで、すずが父の大和といい争いをしています。
すずは実家を訪れていました。

もちろんふたりにはやまちゃんたちの姿は見えていません。

「いったい......どういうことなんだ、すず!」

「だから......私のお腹のなかに彼の子供がいるの」

「それは、わかった。それで、山神くんはいったいどこへ行ったんだ?」

「どこへ行ったのかなんてわかんないよ。だって、そんなこと、ひとことも手紙には書いてなかったもん」

「まえにも、突然いなくなったといってたよな」

「けど、手紙には必ず帰ってくるって......」

「帰ってくるっていったって、いつ帰ってくるとは書いてなかったんだろう?」

「それは......」

「その子を産んで、どうやっておまえひとりで育てていくんだ? もし、山神くんが帰ってこなかったら?」

「私、ひとりでも育てていくから......」

「そんなこと無理に決まっているだろう?」

「そんなこと、やってみなきゃわかんないでしょ!」

大和は、すずの母親が亡くなってから、すずをひとりで育ててきました。そんな大和だからこそ、子供をひとりで育てていくということが、どれほど大変なことなのか、身に染みてわかっています。

孫の顔を見られるという、飛び上がりたいほどのうれしさの反面、すずのこれからの苦労を思うと、手放しでは喜べない大和でした。

「とにかく、どうするのかできるだけ早く決めないとダメだ。時期を過ぎれば法律的にもお腹の子どもを......わかるよな、すず。いつまでも山神くんが帰ってくるのを待ってはいられない。そんなことわかってるだろ、すず」

「わかってるよ、わかってるけど......」

「すず......すずのパパ......本当にごめんなさい」

やまちゃんの目からはナイヤガラの滝のように、涙が溢れ落ちています。

サンタクロースもその白髭を濡らしながら、嗚咽混じりに泣いています。

「すまん、すまんのう......わしがあんなへまをやらかしてしもうたから......」



やまちゃんたちは、ひと月ほどまえの、東京のすずの部屋に来ています。

「すず、すず......」

やまちゃんは涙を拭おうともせず、ただすずを見つめています。

すずは仕事を辞めようかとも考えました。やまちゃんが残してくれた現金が出産の前後の生活をするのには、十分すぎるほどあったからです。
けれど、やまちゃんは、必ず戻ってくると、手紙のなかでは約束してくれてはいたものの、いつ帰ってくるのかはまったくわかりません。

すずは同じ仕事を続けていました。会社の仲のよい同僚たちには、すずのお腹が大きくなり始めてからは、さすがに隠すことができなくなり、妊娠していることと、産むつもりだということを告げました。

周りの人々からの祝福のことばは、シングルマザーになるかもしれないというすずの告白を聞かされてからは、驚きと心配のことばに変わりました。

すずの上司の係長は、「そんなに遊んでいる風には見えなかったけどな」と部下の女性にポツリと漏らしました。

「それって、セクハラですよ」

「わかってるよ。こんなこといっちゃダメだって!」

部下にとがめられたバツイチの係長は、悲しそうに声を荒らげました。

すずの部屋では、出産に向けての準備が進められていました。

「ピンポーン」

インターホンが鳴りました。

「いつも、ありがとう。パパ」

やって来たのは、大和でした。

子供のこと、やまちゃんのことで、しばらくはおたがいに連絡もせず、口も聞かないほどでしたが、そこは本当の親子です。
すずが心配で心配でたまらない大和は、最近ではこうやって頻繁にすずのもとを訪れています。

大和としては、『実家で無事に子供を産んで育てて欲しい』というすずへの思いもありましたが、出産後も仕事を続けたいというすずの気持ちに寄り添っていこう、と大和は決めたのです。

「また、こんなの買ってきて。これってもう同じやつ二つあるよ」

「そうだったか? すまんすまん......」

大和は、すずの娘、自分の孫に逢うのが、いまから楽しみで仕方がありません。

すずの出産の前後には、大和の妹、すずの叔母さんが、産院で出産をするすずのために、すずの部屋に泊まり込んでお手伝いをしてくれることになっています。

「すず、あんなにうれしそうなんだ......」

やまちゃんもすずの笑顔を見て、ほっとした顔を見せています。

「すず......なんか、さっきとはちょっと雰囲気が変わったような気がする」

「そうじゃな。いまのすずさんの顔は、いわゆる『母の顔』というやつじゃろう」

「母の顔?......」

「女性はな、『母親になる』と覚悟ができたとき、それまでの生き方が一変するのじゃよ。その瞬間から、自分のなかの一番は我が子になる。その愛しい大切な我が子を守るためにはなんでもするのが母親なんじゃ」

「そうなんだ。だからすずはすこしたくましく見えるんだな。ということは、俺って......すずのなかではもう一番じゃなくなったってこと?」

「そうじゃな。二番目ならまだましな方じゃがの」

「それって、ただ単に太ったからそう見えるだけじゃないの?」

はしちゃんが、冷やかすようにいいました。

「はしちゃん!」

やまちゃんがすごい目ではしちゃんを睨んでいます。

「ごめんなさい......」

さすがのはしちゃんも、『これはよろしくない』と反省しています。

「どうじゃ、やまちゃん。これでもまだすずさんに逢うのは怖いのか?」

現在とすこしまえの過去のすずの暮らしぶりを見てきて、サンタクロースはやまちゃんにこう問いかけました。

「すずは俺のことを待ってくれているみたいだけど、俺がいなくても、すずはなんとかやっていけそうだよな。すずのパパもいるし」

「どうするかは、やまちゃん次第じゃ」

「うーん......どうしよう」

やまちゃんはすこしの間、考え込みました。そして、ハッと思い出したようにいいました。

「サンタのじいさん。俺、まだ未来ってやつを見てないんだけど......」

「未来......やまちゃんよ、そんなもの本当に見たいのか?」

「だって、俺とすずの未来だろ。そりゃ気になるよ」

「やまちゃんよ。過去は変えられないものじゃ。すでに起こってしまったことじゃからの。じゃがの、未来は、変わっていくもの、自分でつくりあげていくものなのじゃ」

「そういうものなんだ。けど、やっぱり見たいような気もするし、見たくないような気もするし......」

「じゃあさ、やまちゃん。俺が代わりに見てきてあげるよ、やまちゃんの未来」

「えっ! はしちゃんが?」

「うん。俺、やまちゃんの未来を見てみたい。それで、もしそれが悲惨な未来だったら、俺がよしたほうがいいって、やまちゃんに伝えるから。それでいいですか、サンタクロースさん」

「わしは構わんが。やまちゃんはそれでいいのか?」

「うん。はしちゃん頼むよ。俺、惨めな未来なんて見たくもないし。けど、もしそうじゃなければ、そうだと知りたいし」

「じゃあ、決まりじゃの。?......早いって、はしちゃん。わしに触れるのがっ! わしに触れてっていうまで、今度から触れちゃダメじゃ。そういうシステムじゃからの」

「はーい、わかりました。サンタクロースさん」

「はしちゃん。わしに触れて」

「はいっ!」 

ふたりは姿を消しました。

サンタクロースと、はしちゃんが戻ってくる間、やまちゃんは、すずと大和のやり取りを真剣な面持ちで見つめていました。
ふたりがやまちゃんの帰りを待っていることがよくわかりました。
やまちゃんは、『すずのところに帰ろう!』そう覚悟を決めました。
そこへ、サンタクロースとはしちゃんが戻ってきました。

「サンタクロースさん......あれって、ハハハハッ、変じゃないですか? へへへへッ」

「ホーホーホー。そうじゃの.....あれはひどいっ......ハハハハハハッ」

サンタクロースとはしちゃんはなぜかお腹を抱えて大爆笑です。

「なに? はしちゃん。俺の未来ってそんなに笑えるものなの?......」

「ハハハッ.......すごく楽しそうでいい未来だったよ。絶対、すずのところに人間になって戻ったほうがいいって、やまちゃん」

「本当にそうなの? はしちゃん」

「うん、絶対そうしたほうがいいって」

「なんか、すごく気になるんだけど......」

やまちゃんがサンタクロースを見やると、サンタクロースは、目に涙をいっぱいためて、いまだに大爆笑中です。

「そんなに俺の未来って笑えるものなの? はしちゃん、ねえ......すこしだけでいいからどういうものなのか教えてよ」

「それはダメだって、やまちゃん。だってそれを教えたらそうならないようにやまちゃんが注意するでしょ。そうなったら、いま見た未来が変わるからって、サンタクロースさんがいってたから。ごめん、それは教えられない」

「ちぇっ、俺もいっしょに行けばよかったよ」

「まあまあ、やまちゃん。本当にいい未来だったよ。すずと子供とやまちゃんと、本当に大爆笑な、いや幸せな人生を送れるからさ。やまちゃん、俺を信じて人間になってよ」

「うん、わかったよ」

「じゃあ......俺とは、これでお別れなんだな。それはそれでちょっと寂しいけど」

「大丈夫だって。今度からは、はしちゃんを呼んでる人間がいたら、そいつは俺だってことだから、おいしいご飯をたまにあげるからさ。そのときは、おたがい会話もできないだろうけど」

「なにいってんだよ、やまちゃん。俺がいるだろ」

そういって、プチさんがみんなのまえに突然姿を現しました。

「そんときは俺が通訳してやるよ」

「えっ! 本当に?」

「ああ。いまのサンタクロースには俺よりも遥かに優秀な、プチやまちゃんのコルボールがついてるからな。だから、俺はサンタクロースといつも一緒にいなくてもいいんだよ」

「なにそれ、プチやまちゃんって?」

「やまちゃんの分身の、あの小人たちのなかのひとりだよ。名前はコルボールっていうんだが、こいつが、まあ仕事が驚くほどできるやつでな。小人たちのリーダーだったんだが、あまりに優秀だからサンタクロースが試しに俺がやっていた仕事をそいつに任せてみたんだよ。すると、俺なんかより遥かに真面目で早いし、完璧にこなしたんだよ。それで今回が俺の最後の仕事ってことになった。最後のおつとめだから、俺も頑張りすぎたっていうわけだ。それに俺はサンタクロースの白髭に戻るつもりなんてこれっぽっちもないからな」

「ということは、ずっーと、俺といっしょにいてくれるってこと?」

「ああ、俺もやまちゃんの子供の顔を見てみたいしな」

「よかったね、やまちゃん。俺たち変わらず友だちでいられる」

「ただ、はしちゃん。そのときには俺は人間の姿だから、あんまりカラスと話し込んだりできないと思うけど」

「やまちゃん、人前じゃなきゃいいんだろ」

プチさんは自慢げに口を挟みます。

「はしちゃんがおまえの部屋に来ればいいことだ。俺が瞬間移動ではしちゃんを連れてきてやってもいいし、はしちゃんが自分で飛んできてもいいだろう」

「そうだな。いや、本当にそうだ。俺も、はしちゃんには子供の顔を見てもらいたいし」

「じゃあ、決まりだな。やまちゃん......」



「ピンポーン」

すずの部屋のインターホンが鳴りました。

昨夜、すずはやまちゃんを待ちくたびれて眠ってしまったようです。

すずが眠たい目をこすりながらモニターを覗き込むと、マンションのエントランスには、すずが帰りを待ち侘びたやまちゃんの姿がありました。

すずは、『見間違いか?』 と二度見します。
間違いなくやまちゃんでした。

すずの部屋のまえまでやってきたやまちゃんは、チャイムを鳴らしました。

すずが玄関の内側から答えます。

「こんな朝早くにどちらさまでしょうか?」

「俺だよ、すず。やまだよ」

「ああ、あの突然いなくなった、やまさんですか。いまごろいったいなんのご用件でしょうか?」

「ごめん、すず。俺、すずになんにもいわずに突然姿を消して。本当にごめん......」

「それで、今日はいったいなにをしにいらっしゃったんでしょうか?」

「すず、やめてくれよ。そんな他人行儀な話し方は......」

「だって、他人じゃん。ある日突然私をおいていなくなった......他人じゃん......」

ドアの内側から外のやまちゃんにそう声を荒らげるすずの目からは、涙が次から次へと溢れ、頬をつたい、顎から床にこぼれ落ちています。

やまちゃんは、すずが笑顔で迎えてくれるものだとばかり思い込んでいました。

「......ごめん、すず。じゃあ、元気でな......」

しばらく無言のまま、その場に立ち尽くしていたやまちゃんは、ことばを絞り出すようにそういうと、玄関に背を向け、肩を落として歩き出しました。

そのとき玄関のドアが開き、なかから勢いよく飛び出してきたすずが、やまちゃんの後ろから抱きつきました。

「ばかっ! またどこかへ行くつもり? 本当に心配したんだからね......」

「ごめん、本当にごめんな。すず......」

すずはやまちゃんに向き直ります。
そして、すずはやまちゃんの手をとると、自分のお腹に優しく添えました。

「やまさんの子供だよ」

すずがそういうと、やまちゃんはうれしそうに微笑みました。

「うん......」

大して驚きもせず、うなずくやまちゃんを見ても、すずは不思議に思いませんでした。

すずはやまちゃんがこの子のために帰ってきたような気がしていたからです。

〈続く〉

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