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短編小説 『空のブルーと海のブルー』

「ねえ、海渡。鳥っていいよね」

俺たちは放課後、学校の屋上で寝そべって、夏の夕暮れの空をぼんやりと眺めていた。空美はその青空を自由に飛び回る1羽の鳶を見つけ、ため息混じりに呟いた。



俺たちは二人とも部活をやっていない。誰もが中学、高校では一度くらいはクラブ活動をするものではあるのだろうが、俺たちには全く無縁なことだった。

空美は学校帰りに女子から「遊びに行こうよ」と、よく誘われてはいたが、ほとんど行かなかった。

高校に入学したての頃、「なぜ女子と一緒に遊びに行かないのか?」と聞いたことがある。 

「だって、海渡といるのが最高!海渡がいれば他に何もいらないし」などと、ほざきやがった。

俺は、その言葉にドキッとして少し固まった。すると、その様子を見るなり空美は、

「おいおい、お前は大好きだが恋人っていう意味じゃないぞ。お前とキスとか、ましてやエッチとか絶対考えられないかんな」と、吐き捨てるように言った。

空美は俺といるときはいつも、べらんめえ口調に近い言葉をまくし立てる。 まったくいつの時代のおやじだよ。

「な...なに言っていやがる。こっちこそ願い下げだ。お前みたいに言葉遣いも乱暴で、おまけに喧嘩っ早い女。見かけはそこそこ可愛いだけに始末に終えない。今までお前に『付き合って下さい』って告った連中も、お前の本性を見たらガッカリすると思うぞ」

「なんだとこら、それは言い過ぎだろ」

空美は軽く俺の頭を小突いた。

「何しやがる」俺が拳を振り上げると、

「え~っ、海渡ったらひどいよ。こんないたいけな少女を殴るんだ。ひどいよ......」 
嘘泣きをかましてやがる。

俺達は幼馴染だが、空美と俺の父親が兄弟、つまり俺たちはいとこ同士だ。名前は、九条海渡、九条空美、同じ年に生まれた。

お互いの家が、歩いて5分程度とかなり近いところにあったから、小さい頃からずっと行動を共にしている。

小学生の頃は、二人して地元のサッカークラブに入っていた。空美はエースストライカー。どういうわけか、少しは同じ血が入っているはずなのに、俺はスポーツに関しては全くのポンコツだった。

二人ともテレビゲームが大好きで、中学に上がりゲームで遊ぶことが 全面解禁になってからは、俺の家で 二人でそればかりをやっていた。

中学に上がってすぐの頃、それ以前は、毎日俺ん家に遊びに来ていた空美が、登下校は一緒にするものの、突然、何も言わず遊びに来ない事があった。

翌日、「何かあったか?」と聞いても、「ちょっと、忙しかった。ごめん」その度に言い訳を見繕っているのが見てとれた。

あまりにも、それが何日も続いたものだから、俺は我慢しきれず、
何かして怒らせたのか?と思い、空美の家まで行って、「俺なんかしたか?」と尋ねたら「別に何も......」と口ごもる。

家に帰って俺がそのことを母親に「空美って変なんだぜ」と、ブツブツ言うと、母が「月の物が始まったんでしょう。その年ごろは色んなこと気にするからね」と、それとなく教えてくれた。

それからは、一か月のうち続けて何日かは家に遊びに来ない日もあったが、それでも朝学校へ行くときも夕方学校から帰ってくる時もずっと一緒だった。

たまに夕飯まで食べて帰って行った。俺の両親も空美が大好きで自分の娘のように接していた。





空には、1羽の鳶がどこまでも抜ける青の中をゆっくりと旋回している。

「なあ、海渡。ひとってさ、何のために生まれてきたんだと思う?」

「おい、どうした?どこか頭でも打ったか?」

「私、最近思うんだ......」

俺たちは現在高校2年生、二人とも大学進学には興味がない。両親はそんな俺達を心配はしてくれてはいるが、余計な口出しは全くと言っていいほどしてこない。

ただ、俺たちは二人ともゲームが本当に好きだから、そっち関係に進もうか、なんてこともたまに二人で話し合ったりもするが、今のところはまだ未定だ。

「あっ...そうだ。今日は七夕だよ、海渡。夜さ...天の川、見に行かない?」

思い出したように体を起こし、俺の顔を覗き込んでいる。

「あーそうだな。お前にしては、ロマンチックだな。空美」

「うるせータコ。行くのか、行かないのか、どっちなんだよ?答えろ!早く」

「分かった、分かった。行くよ」

空美は一旦こうと言いだしたら決して引かない、意地でも押し通すようなところがあった。

「じゃあ、7時に私ん家で。バイクで迎えに来てよ」

「7時な。分かった」

俺たちは町を一望できる丘の上へと、バイクに2ケツで向かった。 

夕闇が迫るその道の途中だった。対向車線をはみ出したワゴン車が俺たちに突っ込んできた。

俺と空美は、まるで映画のコマ送りのように、跳ね飛ばされ破壊されていくバイクを背景に、ゆっくりと宙を舞った。


俺は病室で目を覚ました。

俺は、まだ生きていた。

体にはいろいろなものが繋がれていて『ピーーーッ』と、平たく鳴り響く警告音だけが病室に響き渡っていた。




俺は今夜もこの丘で空美を待つ。

7月7日、俺たち二人が事故にあったあの日だ。

毎年この日に、空美はいつも霧の向こうからやってくる。

少しだけ微笑みを湛えた空美がそこにいた。

7年経った今では、ガサツな物言いしかできなかった空美もすっかりいい女になっていた。

あの頃、まぶしいほど似合っていたショートカットも、今ではすっかり黒髪ロングの似合うおしとやかな大人の女性になっていた。

そういう俺は今でも7年前とそう変わらない、と思う。

「久しぶり...海渡......」

「久しぶり、空美」

「今夜は星空がきれいだね」

「うん、そうだね。すごく綺麗だ」

「ねえ、海渡...覚えてる?」

「何を?」

「二人でよく高校の屋上でさ、青い空眺めてたこと」

「ああ、よく覚えてる。空美は『鳥っていいよね』って言ってたっけ」

「あの時、本当はね...鳥が空を飛ぶみたいに、ただ単純に自分の心に素直になれたらどんなにいいだろうって思ってたんだ」

「自分の心に素直にって...どういうこと?」

「海渡には一生言わないつもりだったけれど、わたし、海渡のことが好きだったんだ。それでその気持ちを伝えたくて...けどできなくて......」

「なんだ、そんなことか。俺も空美のこと大好きだよ。最高の友達じゃん」

「好きって...男性として恋愛対象としてってことだよ」

「......」

「そりゃ驚くよね。お互いに意識してないみたいにさ、このーっとか言って抱きついたり、首絞めあったり頭叩いたりしてたけど......。けどね、私いつもドキドキしてたんだ。わたし...海渡のことが好きだって。私たちって、いとこ同士でしょ?法律的には問題なくてもさ、世間から見たらちょっとねって...思っていて...私が言い出して、二人の関係性が変わったりしたら...。親戚だし、おまけに近所に住んでるでしょう。会う機会も多いし、結局...言えなかったんだ」

「......」

「けど...海渡がこんなことになるなら、しっかり伝えておけばよかった......」

空美は涙をポロポロとこぼしながら、嗚咽混じりに言葉を絞り出した。


そうだ、俺はあれ以来7年間ずーっと病院のベッドの上だ。

空美は幾度となく病室を訪れてくれていたようだが、空美の声がはっきりと聞こえ、その顔が見えるのは決まって7月7日のその日1日だけだったんだ。

空美が泣きじゃくりながら俺の体を叩く。

「海渡、起きてよ!海渡、海渡ってば!」

その大声を聞きつけて、看護師と外で待っていた空実の母親が慌てて中に入ってきた。

看護師が空美を外へ連れ出そうとしたその時、俺につながれていた機械音の変化に看護師の顔色が変わった。慌てて病室のそとへと出ていった。たぶん、担当医師を、呼びに行ったんだろう。

空美と母親は俺を見つめている。

俺は背伸びをしたくなって、ぎこちないながらも中途半端な背伸びをした。
繋がれていたチューブなんかがすこし気にはなったが、凄く気持ちがいい。

そうして、声にならない声で、
「よく寝たーっ!」と目を開き、そのまま空美のほうに顔を向ける。

空美は呆然と俺を見つめ立ち尽くしていた。

俺は、7年もの間眠り続けていたのだ。 まともに話すことなどできない。それでも、やっとの思いで声を絞り出した。

「空美...久しぶり」

空美の瞳から大粒の涙がとめどなく流れ落ちて、すこし赤らんだその頬を濡らした。

空美の母は、いまだに俺が目を覚ましたことが信じられずに、呆然と立ち尽くしている。

やっと『夢じゃない』と思い直した空美は、ベッドの横によりそうと、中腰で俺の瞳を覗き込んだ。

久しぶりに間近で見る、彼女の顔は、あの頃のやんちゃな少女の色はすっかり影を潜め、今では、化粧の似合う大人の女性になっていた。

「本当に心配したんだから......」

涙でくしゃくしゃになった顔に微笑みを浮かべて、

「よかった、本当に良かった......」そう言うと、抱きついてきた。

すっかり大人の女性になった空美の甘く爽やかな匂いが、俺を長過ぎた7年の眠りから、現実の世界へと連れ戻した。

『...あっ、7年経った今の俺って、いったいどんな顔してるんだろう?鏡って...あるのかな?』

そんなことを一瞬考えたが、今は空美の懐かしくて、それでいて新鮮な、俺の知らない匂いにもう少しだけ包まれていようと思い直した。


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