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『おれ、カラス クリスマスの特別編』

「はしちゃん、今年も残すところあとわずかだね」

「そうだね、やまちゃん。この一年、色んなことがあったけど、ここまで、お互いに何とか生き延びたね」

二羽のカラスが、大通りの交差点近くの電信柱の上で、今年一年を振り返っています。

12月25日、クリスマス。

午後5時を過ぎて、仕事帰りの人びとが足早に家路に向かうなか、趣向を凝らしたクリスマスデコレーションや煌びやかなクリスマスイルミネーションで飾られ、恋人たちや家族連れの笑い声、陽気なクリスマスソングで街は活気に溢れています。

「毎年のことだけど、相変わらずクリスマスの賑わいはすごいねっ!」

「そうだね、はしちゃん。みんな楽しそうだ」

「やまちゃんは今年もひとりでシングルベルかい?」

「ああ、残念なことに、今年もな」

「あのさ、やまちゃん。いいたくないけど、人間の女に恋をしても意味ないしっ!見てごらんよ、おれたちのからだ」

そういってはしちゃんは、羽を広げてポーズを取ります。

「これ、ご覧の通り。どっからどうみても正真正銘、真っ黒なカラスでござんす。人間さまなんて、畏れ多くて、おれたちに手の届く存在じゃないって」

「わかってるよ、そんなことは。たださ、夢を見るのは自由だろ?」

「そうやって、自分だけに都合のいい想像の世界でこれからも生き続けるつもりかい?ちゃんとしたカラスの嫁さんをもらわずに。そんなことばかりいってると、あっという間にジジイだよ。孤独で寂しい老後が待ってるよ。孤独死、確実だ。いやだよ、おれが第一発見者なんて」

「うるさいな、はしちゃん。あ~あ、おれもサンタクロースにプレゼントをお願いしておけば良かったよ。人間の彼女をさ」

「やまちゃん、サンタクロースのプレゼントは人間のよい子たち限定だからっ......むりっしょ。しかも、手紙書かないといけないしさ」

「だよな......」

「やまちゃん、もし、仮に人間の彼女が出来たとしてだよ。どうやってデートするの?彼女の肩に乗って?彼女の周りを飛び回って?」

はしちゃんはその光景を想像したのでしょう。お腹を抱えて大笑いしています。

「アハハハッ。それって、ホラーだよ。こわっ!」

「......いいよな、誰かさんは。新婚だもんな」

「ええ、そうです。それは、わたし、です、ですっ!」

「けど、はしちゃん。未だにおれといつもつるんでるのはなんで?ねねちゃんといっしょに居たくないのか?」

「......」

「ねねちゃんが恐いのか?」

はしちゃんは、本当のことをいい当てられて、内心ギクッと驚きを隠せません。
ねねちゃんは、はしちゃんがぞっこんの可愛いカラスなんですが、はしちゃんはすっかり尻に敷かれています。彼女のいうことには、いつも、はい、とだけ答えています。
惚れているだけに、絶対服従です。
それでも、大親友のやまちゃんに会うことだけは許してもらっています。

「......やまちゃん、そろそろねぐらに帰ろうよ。もうこんなに暗いし」

「話、はぐらかして......。そうだね。明日の朝は、食べ物も少しは期待出来るかもね。おれ、フライドチキンが食べたいよ」

さっきからやまちゃんが、はしちゃんと話をしながら、好みのタイプだとチラチラ見ていたひとりの女性が、手にしたスマートフォンを見つめながら、赤信号の横断歩道に真っ直ぐ歩みを進めていきます。

大型トラックがすぐそこまで来ています。このままでは彼女にぶつかってしまいます。

「じゃあ、帰ろうか?やまちゃ......」

はしちゃんの前から消え、すごい早さで滑空したやまちゃんは、その女性の目の前で羽をバタつかせ、飛び去りました。
やまちゃんが思わずとった行動でした。

その女性は、突然現れた黒い影にビックリして顔を上げ、立ち止まり、赤信号に気づき、トラックとの衝突を免れました。

「良かった」

一瞬、彼女を振り返ったやまちゃんの羽に、彼女の前を通りすぎたトラックがわずかに接触しました。

その衝撃で、からだのコントロールを失ったやまちゃんは、近くの大きな公園のなかへと飛ばされてしまいました。

その光景を呆然と見ていたはしちゃんは、はっと我に返ると、やまちゃんの後を追いかけます。

「やまちゃーんっ!やまちゃーん......」

やまちゃんからの返事はありません。
はしちゃんはもう涙目です。

しかし、もう帰らないと、今年つがいになったばかりのねねちゃんが心配します。

後ろ髪を引かれる思いで、やまちゃんの無事を祈りながら、はしちゃんはねぐらに帰っていきました。

そのあとすぐに、やまちゃんは目を覚ましました。

トラツクとの接触と落下の衝撃で、しばらくの間、気を失っていたのです。

「あたたたたっ!あーっ、こりゃやっちまったな」

どうやら右の羽が傷ついているようです。と、突然なにかがやまちゃんを抱え上げました。

「ホゥホゥホゥ。わしは見ていたぞ。人助けとは偉いもんじゃ。真っ黒カラスさんよ」

お馴染みの衣装に身を包み、白い髭をたっぷりとたくわえたサンタクロースが、やまちゃんを覗き込んでいました。

「あんたは、もしかしてサンタクロースか?」

「そうじゃ。今朝までに子どもたちのプレゼントを配り終えて、そのあと、みんなの満足した顔を確認して、今、帰るところじゃった」

「ちょっと待て、なんでおれのことばがわかる?」

「そりゃ、わかるさ。わしは、トナカイとはもちろんのこと、その他、すべての生きものたちと話ができるからの」

「じゃあ、じいさんは本物のサンタクロースなのか?本当にいるとは......初めてみた」

「そうじゃ。わしが本物のサンタクロースじゃ。ショッピングモールの催し物の手伝いなどはせんよ。ホゥホゥホゥ。わしからのプレゼントは、願い事をしたよい子だけに限るんじゃが、カラスのおまえさんの親切心に感銘を受けてな。何かプレゼントをしようと思ったんじゃ」

やまちゃんは、「これが本物の......」とサンタクロースをまじまじと見ています。

「わしも、長いこと世の中の色んなことを見てきたが、カラスが人助けをしたところを見たのは初めてじゃった。だから、滅多に使わないわしの力で、おまえさんの願いを叶えてあげようと思ったんじゃ」

「願いを叶えてくれるのか? じゃあ、とりあえずこの傷ついた羽、元通りにしてくれよ」

「それはお安いご用じゃが、それでいいのか?願い事はひとつだけじゃ。どこかの誰かさんみたいに3つまでとはいかない」

すこしの間、やまちゃんは考え込みました。

「じゃあ、人間にしてくれ。一度でいいから、街のなかを追われることなく堂々と歩いてみたいんだ。色んなものも、残りものでないやつを食べてみたいからさ」

「お安いご用だ。じゃが、明日の午前0時にはもとの姿に戻る。それで、いいかな?」

「ああ、それで充分だよ」

「わかった。人間にしてやろう。これはわしの分身のプチサンタじゃ。人間界のことはお前さんには分からないことも多いじゃろうから、困ったときには声に出さずに、頭のなかでこいつに訊けばいい」

サンタクロースはそういって、ふさふさの白い顎髭のなかから1本を引き抜くと自分の柔らかい大きな手のひらに乗せました。

「プチサンタ、出番じゃ!」

そのかけ声とともに、目の前のサンタにそっくりな小さなサンタクロースが現れ、目をパッチリと見開きました。

「ああ、久しぶりだ。何年ぶりだろう」

そういいながら、サンタクロースの手のひらで、肩を回し、屈伸、伸びをしています。そして、やまちゃんに気づくと、微笑みを浮かべ声をかけました。

「オレは、プチサンタ、よろしくな。おまえの名前は?」

「......や、やま」

「よろしくな」

プチサンタは、そういってやまちゃんの頭の上に跳び乗りました。

「それでは、人間界を楽しんでな。くれぐれも忘れるんじゃないぞ。午前0時で変身は解けるからの」

そういうと、サンタクロースは、ホゥホゥホゥという笑い声を残して、上空で待っていたトナカイが引くソリに、その大きなからだをポーンと宙に浮かせ乗り込みました。ソリはあっという間に空の彼方へ消え去りました。

「おいおい、じいさん。サンタクロースのおじ~いさ~ん。おれカラスのまんまなんだけれど......」

そう言い終わらないうちに、やまちゃんは全身に激痛を覚えました。

「いたっ!ぎょぇーっ!ぎょぎょぎょーんっ!あひーんっ、くひょーんっ!ふにゃふにゃにゃ......」

やまちゃんは、耐えられないほどの痛みに意識を失いました。

「大丈夫ですか?」

優しく呼びかける女性の声でやまちゃんは再び目を覚ましました。

「あいたたたっ!」

さっき助けたあの女性が、心配そうにやまちゃんを覗き込んでいます。

やまちゃんは人間の姿になっていました。真っ黒なパーカーに、真っ黒なジーンズを身に着け、真っ黒なスニーカーを履いて、公園のクリスマスイルミネーションの近くに倒れていました。

「あんたはさっきの......」

「えっ!さっきのって?.....」

「交差点で車に跳ねられるところだったろう」

「見ていたんですか?」

「見ていたというか......」

そこまでいって、やまちゃんは、説明しても無駄なことだと言葉を濁しました。

「ああ、ひどい。腕から血が出ているじゃないですか。いったいどうしたんですか?」

パーカーの右腕の袖が破れて、血だらけの腕が覗いています。
傷はそんなに深くはなさそうです。

『おいおい、傷は治してくれなかったのか、サンタのじっちゃんよ?そうか......願い事はひとつだけだったな』

「病院に行きますか?」

最近テレビでよく見かける俳優によく似た、自分と同世代の目の前の好青年に、なぜだか構いたくなる女性でした。

実はやまちゃん、カラスの世界ではイケメンで通っています。
なのに、彼女がいないのは、人間の女性が大好きで、カラスたちに見向きもしないからです。

実はこの女性が、さっきやまちゃんに助けられたときに見ていたスマートフォンには、2年間付き合った彼氏から「新しい彼女が出来たから」と、クリスマスをいっしょに過ごす予定だったのをドタキャンされたばかりか、一方的に別れを告げられたメッセージが送りつけられていたのです。

それで、それを目にしたあまりのショックに、茫然自失、ふらふらと赤信号の横断歩道を渡ろうとしたのでした。

「いや、大丈夫だって、こうして舐めてれば」

やまちゃんは勢いよく傷口を舐め始めます。

「ダメです。そんなことをしたら。バイ菌が入りますよ。しかも、この寒空の下、そんな薄着で、寒くないんですか?」

「寒くは......寒いな」

グルルルルーッ。突然、やまちゃんのお腹が大きな音を立てて鳴りました。

「お腹空いてるんですか?」

「ああ、今日はあまり食べ物がなかったからな」

『彼女にご飯をご馳走してもらえ』

やまちゃんのパーカーの襟元にしがみついているプチサンタがやまちゃんの頭のなかに直接話しかけます。

「もし、よろしかったら。わたしの家でなにかお作りします」

「なんかご馳走してくれるのか?ありがとう。お言葉に甘えるよ」

この女性、実は、彼氏と自分の部屋で過ごすために、クリスマス用の食材を色々取り揃えていて、彼氏に料理を振る舞うつもりだったのです。

今更、自分ひとりだけのためになんて、悲しすぎて作れるはずもなく、食材は捨てようかなと思っていたところでした。

「俺は、やま。君の名は?」

「わたし、すずです」

すずは、『この声好きだな』そう思いました。

すずは、そばにいるプチサンタのその幸せオーラのせいで、普段の自分とは違い、心の赴くままにふるまっていました。
すずは、初めて出会った見知らぬ男性を自分の部屋に招き入れるような、そんな女性ではありませんでした。

公園から5分ほど歩くと、すずの住むマンションに着きました。

「どうぞ上がってください」

『おい、靴は脱ぐんだよ』

すずにうながされて靴を履いたまま部屋に上がろうとしたやまちゃんに、プチサンタが話しかけます。

『靴って?』

『お前が足に履いているやつだよ』

『ああ、これか?』

『そうだ』

玄関で手間取っていたやまちゃんを、不思議に思ったすずは声をかけます。

「どうかしました?」

「いや、な~んも」

部屋に上がると、何ともいえない甘い良い匂いがします。

『おい、プチさん。この匂いはなんだ』

『プチさんっ、てなんだ?オレはプチサンタだ。勝手に略するな!』

『固い奴だな。プチサンタ。何だよこの甘い匂いは?』

「おいっ。呼び捨てかっ!」

「もったいつけてないでさっさと教えてくれ」

「これはだな。健康的な若い女性のねぐらの匂いだな」

「そうか、そうなんだな。何だかお腹の下の方がモゾモゾする」

「さあ、こちらに座ってゆっくりして下さい。温かいものをなにか淹れます。コーヒーでいいですか?」

「コーヒー? いいね、一度飲んでみたかったんだ」

毎朝、食事を終えて、高いところから人びとを見下ろしていると、カップに入ったコーヒーと呼ばれるものを片手に、寒いなか白い息を吐きながら、一口味わっては美味しそうな顔をしている人びとを見かけることがある。

やまちゃんはそれがどんなものか以前から一度飲んでみたかったのです。

「はい、お待たせしました」

目の前には、カップのなかになみなみと注がれた黒い液体が入っています。

やまちゃんがその匂いを嗅ぐと、一瞬顔をしかめます。

一口味わいます。

「熱っ!」

そりゃ、熱いでしょう。なにしろ、猫舌、いや、鳥舌ですから。

『不味いっ!人間たちはこんなものを美味しそうに飲んでいるのか?』

『ハハハハハッ!いい気味だ。オレを小馬鹿にした罰だ。思い知ったか』

『お前なぁ。こんな不味いものなら最初に教えろよ』

『.......』

「おいっ!プチサンタっ!」

思わず大声を出したやまちゃんにすずが反応しました。

「プチサンタ?......いま、なんて?」

「いや、なんでもない」

「さあ、お食事の前にお風呂に入ってからだを温めて下さい。傷口はそっと洗って、そのタオルでとりあえず巻いておいて下さい。あとから手当てしますから」

やまちゃんの髪が泥で汚れていたのに気づいたすずは、いつの間にかお風呂の用意もしていたのです。

やまちゃんはすずにうながされるまま、浴室に向かいました。

『風呂の入り方くらいは知っているだろう?』

『ああ、カラスの行水だがな』

服を脱いで、すっぽんポンになって、自分の股間についているものを見たやまちゃんは、思わず声を上げました。

「な、なんじゃこりゃーっ!」

『それはおしっこのでるところだ』

やまちゃんは指先で、たたいたり、つまんだり、引っ張ってみたりして、その不思議な形に興味津々です。

『なんか、萎びたの森のキノコみたいだな』

『おい、早くなかに入って風呂に浸からないと風邪ひくぞ』

それからしばらくプチサンタのお風呂の楽しみ方プチ講座があり、今、やまちゃんは湯船に肩まで浸かっています。

右腕の傷は、すずにいわれた通りに、そっと洗ってタオルで巻いてあります。

「あ~っ。気持ちいーーーっ!」

カラスの行水とか、先程はいっていましたが、やまちゃんはどうやらお風呂が気に入ったみたいです。
からだを洗ったり、浴室にある珍しいものを、いちいちプチサンタに訊いたりして、もうかれこれ1時間以上なかで楽しそうにはしゃいでいます。

と、突然やまちゃんはお湯のなかに潜ります。

『ごぼっ!おいっ!おぼれるっ、おぼれるーってばっ!』

やまちゃんはプチサンタが頭に乗っかっていたことをすっかり忘れていました。

『おまえ、オレを殺す気か?それとも、わざとやったのか』

やっとの思いで浴槽の縁に這い上がったプチサンタは、凄みを利かせて睨んでいますが、ずぶ濡れのその顔ではすこしも迫力がありません。服はびしょびしょです。

プチサンタが指を一回パチンと鳴らすと、濡れていた服はあっという間に元通り、カラカラに乾きました。

『ごめん、プチさん。大丈夫か?』

『だから、オレはプチサンタっ!......もういいよ、プチさんで』

『プチさん。風呂って気持ちいいもんなんだな』

『ああ、オレも特に寒い夜のサウナは大好きだ』

「あーっ、気持ちよかった。おっ、うまそうな匂い!」

やまちゃんが風呂から上がり、戻った部屋のなかには、すずが作った料理のいい匂いが立ち込めていました。

「やまさん。ここに座って」

「こうか?」

すずは、ソファにどっかと沈み込むように座ったやまちゃんの右腕の傷口を優しく消毒すると、ぬり薬を塗り絆創膏を貼りました。

「これでとりあえずは大丈夫」

「ありがとう、すず」

「いいえ、どういたしまして。やまさん、さっきから気になってたんだけど、これ可愛い」

すずは、やまちゃんのパーカーの襟元についているプチサンタを覗き込みます。

『顔近いよ。そんなに見るなって』

プチサンタは目を見開いたまま微動だにせず、生きてることがバレないように必死です。

「ああ、これ?サンタさんからのプレゼントだ」

「へえー、そうなんだ。彼女さんからじゃなくて?」

「彼女なんていないよ」

「いないんですね......」

すずは、すこし嬉しそうです。

「さあ、食べましょうか」

「すげえな」

やまちゃんがお風呂に入っている間に、すずが用意したクリスマス料理の数々が、テーブルの上にところ狭しと並べられています。

スパークリングワインがグラスに注がれます。

「乾杯!」ふたりはグラスを近づけます。

美味しそうな焼き目のついたチキンレッグのローストチキン。

ほんのりロゼ色のローストビーフ。

海老がたっぷり入ったクリームシチュー。

クリスマスリースのように皿に輪っか状に盛り付けられ、トッピングに色とりどりの野菜、生ハム、スモークサーモンなどが飾り付けられたポテトサラダ。

パンプキンのカップスープ。

マッシュルームとペパロニのピザ。

ドライフルーツとナッツのパウンドケーキ。

どれも美味しそうです。
料理があまり得意ではないすずが、昨日から一生懸命準備していたものです。

「さあ、遠慮しないで」

ふたりがやり取りしている間にも、プチさんは、どれをどうやって食べるのかやまちゃんに説明しています。

「あーっ!旨い、美味いっ!」

凄い勢いで料理を平らげていくやまちゃんを、すずは嬉しそうに微笑みを浮かべて見つめています。

「美味しい?やまさん」

「ああ、最高だ」

「そう?良かった」

その声を聞いたすずは本当に嬉しそうです。

「このチキン野郎っ!」

やまちゃんはそういってローストチキンにかぶりつきます。

ある意味共食いなんですが、やまちゃんは、そんなことはまったく気にしません。

「あー、食った食った。お腹いっぱいだ。人間っていいな、すず」

やまちゃんの変な問いかけにすずは苦笑いです。

「人間って...... つらいことも多いけど、予想もしない楽しいこともこんな風にあるし、いいね」

「美味しいものをお腹いっぱい食べられるだけで幸せなことだぞ、すず」

「うん、そうだね」

さっきから、すず、すず、と呼び捨てにするやまちゃんのことを、すずは嫌がるどころか、何かしらの親しみを感じていました。

すずもすっかり打ち解けて、言葉づかいも友だち感覚になっています。

「デザート食べようよ?飲み物はコーヒーでいい?」

「......すず。俺はコーヒーはいらない。なんか別なものをくれ」

「......あとは、牛乳と紅茶かお茶くらいしかないけど」

「じゃあ、その牛乳ってやつをくれ」

パウンドケーキを頬張りながら、牛乳でのどに流し込みます。

「ぷはーっ!うめーっ!たまりませんな。このうまさっ!」

すずは、すっかりやまちゃんのペースに乗せられ、気づいたら笑顔が溢れ、心からやまちゃんと過ごす時間を楽しんでいました。
つい数時間前、彼氏に一方的にふられたことなど、もうすっかり忘れていました。

「わたし、こんなに楽しいクリスマスは初めて。ありがとう、いっしょに過ごしてくれて」

「いや、こちらこそありがとう。俺、生まれて初めてだよ、こんなご馳走食べたの。一生の思い出になると思う。本当にありがとな」

やまちゃんがふと目にした、壁にかけられた時計は11時50分を指していました。

『おい、やまちゃん。そろそろもとの姿に戻るぞ。急いでこの部屋を出ないと』

プチさんがやまちゃんを急かします。

『わかってるって』

「じゃあ、すず。俺はもういかないといけないんだ。お前のことはたまにどこかから見てるから、元気でがんばれ、いいな」

「えっ!帰るの?これでさよならなの?」

すずの目からあっという間に涙が溢れ、頬を濡らし、顎を伝って床にポトポトとこぼれ落ちました。

「そんな顔するな」

やまちゃんは、そういうと、すずの涙で濡れた顎をくいっと上に向けました。
そして、そっと自分の唇をすずの柔らかい薄紅色の唇に5秒の間重ねました。

やまちゃんは、人間たちがこうやっているのをたまに見ていて、一度やりたいと思っていたのでした。

やまちゃんはすずの瞳を真っ直ぐに見つめると、

「じゃあ、すず、元気でな」

そういって、部屋を後にしました。

すずは、そのうしろ姿をなすすべもなく見送りました。

涙で霞む視線を下に落とすと、玄関にやまちゃんの履いていた真っ黒なスニーカーが残されています。

すずは、それを手にすると、すぐにやまちゃんのあとを追いかけて通りに出ましたが、周りを見回してもその姿はもうどこにも見あたりませんでした。



「やまちゃん、やまちゃんっ!」

翌朝、やまちゃんは、はしちゃんの声で起こされました。

「心配したんだよ、やまちゃん。良かった無事で......」

「ああ、はしちゃん。おはよう」

やまちゃんが、立ち上がり、辺りを見回すと、そこにはもうプチさんの姿はありませんでした。

「ああ、おれは夢を見ていたのか......」

「やまちゃん、これどうしたの?」

はしちゃんが驚きの声を上げて見つめる先をやまちゃんが見やると、右の羽に絆創膏が貼られていました。

「夢じゃなかったんだな......」

やまちゃんは昨日の出来事をはしちゃんに話して聞かせようかと思いましたが、自分ひとりだけ凄いご馳走を食べたことがバレると、下手をしたら友情関係にヒビが入るかもしれない、とそう思いやめました。

サンタクロースの家では、クリスマスの大仕事を終えたサンタクロースとプチさんが、暖炉で暖められた部屋のなかで、夕食のあと、大好きなホットミルクとクッキーでくつろいでいます。

「プチサンタ。あのカラスはちょっと面白いやつじゃったな。人間界を思いっきり楽しんだみたいだな」

「本当に楽しんだようだよ。別れのことばを交わせなかったのが残念だったけど」

そういって、すこし寂しそうな顔でプチさんが見上げた窓の外には、真っ白な雪がひらひらと次から次に舞い落ちて来ます。
プチさんのまなざしは遥か遠くに向けられていました。

今日も、やまちゃんとはしちゃんは、いつもの交差点近くの電信柱の上でくだらない話をしながら、通りを行き交う人びとを見下ろしています。

はしちゃんは、ここ数日間、不思議に思っていることがあります。

人びとが忙しなく流れていくなか、やまちゃんはいつも誰かを探しているみたいなのです。

一度、はしちゃんは、そのことについてやまちゃんに訊きましたが、教えてくれませんでした。

そして、その誰かの姿を確認すると、優しげな笑みを浮かべ、「じゃあ、帰ろっか」
そういって、すっかり日が落ちた暗闇のなか、鳥目を凝らしてねぐらへと帰るのです。

今日で今年も仕事納め。

「ただいま、やまさん」

家に帰り着いたすずは、そう優しく話しかけます。

玄関の下駄箱の上には、やまちゃんが置き忘れていった一組の真っ黒なスニーカーがきれいに洗われて、飾ってあります。

やまちゃんが姿を消したあの日から、ずっとこれを続けています。

すずは、サンタクロースにお願いする来年のクリスマスのプレゼントはもう決めてあります。

大人になってから初めてのお願いごとです。


外は寒い寒い冬の夜、夜更け過ぎに降り始めた柔らかな雪は、深々と降り続け、この世界を真っ白に変えてゆきます。

この素晴らしい世界には、誰かのことを想いやる、確かなあたたかさが息づいていました。




〈おわり〉




最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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