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短編小説 『桜は、』

わたし、遠山清四郎は、自分の若い頃の写真を、今は三葉しか持っていません。
その三葉の写真すべてに、桜がなにがしかの形で写り込んでいます。

第一葉は、桜の木の下で、真新しい学生服に身を包み、父と母の間に挟まれ、真っ直ぐの姿勢で立っているものです。

小学校の入学式のようです。
かろうじて演じるように、その緊張の顔に浮かべているのは、目は笑わず、歯を幾分か覗かせた、不細工な微笑みです。


第二葉は先のものと比べると、驚くくらい大人びています。
とにかく目だつカーリーヘアです。

これは間違いなく友人たち合計四名で、長崎へ卒業旅行へ行った時のものであろうと思われます。背景に七分咲きの桜並木が見てとれます。

この頃になると、撮られることにも幾分馴れていたのでしょう。その微笑もかなり自然にはなってはいますが、どこか居心地が悪そうな様子が見受けられます。

宿は民宿でしたが、風呂場が狭く、二名づつ交代で入りました。何故か目のやり場に困り、話しかける友人から顔を背けていたのを覚えています。


最後にもう一葉の写真は、自分でもはっきりとは、いつの頃だったのか?全く、思い出せません。

年の頃は二十歳前後だとは思うのですが、髭を生やしています。
それはそれは立派なもので、明治時代の文豪のようなものです。

膝の上に茶虎の猫を抱いて、わたしは両足を大きく広げていて、同じように広げられた猫の両足の間に、何枚かの桜の花びらが折り重なって写り込んでいます。

猫を抱いて本当に嬉しそうで、笑みが自然と溢れています。

上半身は薄手の半袖シャツを着ていて、乳首がうっすらと透けてみえる、少し恥ずかしいものです。

下はややだぶついた、色鮮やかな青色のズボンをはいています。

自分でも不思議なのですが、一体この頃、何を考えて生きていたのでしょうか?こんな、出で立ちで。

オールバックにした額がこの歳にしてはもう禿げかかっていて、皺は少なく、眉は今にもつながらんかのように太く、目は二重で大きくくりっとしていて、全体の中にあって、異彩を放っています。

比較的小さな瓜実顔の中にいかにもぎゅうぎゅうに詰め込みました、とかでも言わんばかりの目、鼻、口、で、とにかく髭が濃いのです。

それが、童顔とのアンバランスさを際立たせ、不思議な雰囲気を醸し出しています。はっきり言って変です。
自分のことだけに気持ちが悪いとは言いたくはありません。


私の父は、わたしが物心ついた時には、市役所の近くで煮込みホルモンのお店を営んでいました。
私の記憶の奥底にうっすらと残っていることは、お客さんに、こぼさないように、お酒とホルモンを運び、その度に頭をクシャクシャにされて、『偉いぞ、坊主!』とおほめの言葉を頂いていたことです。

そのゴツゴツした手の感触は今でも不思議な感覚として残っています。
とにかく、お客さんはほとんどと言っていいほどおじさんだけでした。
加齢臭と煮込みホルモンの湯気が、奇妙に混ざり合った匂いが立ち込めた店内だったのです。

その店の近くに、父の姉が住んでいました。元々は芸者さんで、望まれて旦那さんに身請けされ、大きな屋敷にひとりで住んでいました。
わたしは、よくそこへ預けられたものです。

そこへ行くと必ずと言っていいほど、お座敷小唄だの、野球けんだの、その伯母さんの奏でる三味線の調べにこの身をまかせ、半ば強制的に踊らされました。

子ども心になぜこのようなことをせねばならぬのか、と少しの不満を抱いていましたが、ひとつだけ楽しみがありました。

その伯母さんは、三味線のお師匠さんをやっていて、そこへ何人かのお弟子さんが通っていました。

今となっては、どの様な匂いであったのかまでは思いだせないのですが、小学生の私をもってしても、なにやらお腹の下のところがもやもやとするような、艶かしい、さした紅とおんなの匂いが妖しげに混ざりあった、雄の本能を刺激するような、その匂いをいつまでもクンクンと嗅いでいたい、と切望するような良いものでありました。

わたしは、彼女たちによく可愛がられたものですが、その中の一人には、よく人目を盗んで体を触られたりもしました。

目もとの涼やかな、その人が居るだけで、パッとその場が華やぐような雰囲気を持った人で、わたしはそのようなことを幾度となくされても、嫌な気持ちひとつも抱くことはなく、むしろもっと触れていてほしい、というような感情さえ抱いていたことを、今でもはっきりと覚えています。



朝方、パラリパラリと小雨が降ったその名残を、庭の草花が未だにその身に抱えている水玉の中に見つけることができます。

空気中の汚れが地表へとそそがれたせいでしょうか、息をするたびに、新鮮なとしか形容のしようのない、目には見えぬ命の糧が、私のからだの隅々にまで行き渡ってゆきます。

裏庭の桜が、春先のやわらかな陽射しを浴びて、まだ少しだけ肌寒い海側からの南風にそよそよと揺らいでいます。

わたしはとにかく、こうしたひとつひとつ、小さく可憐な桜の花びらが、短い生涯を見事に終えるために、その勇気をふりしぼり、散りゆき、そのしかばねを無様に晒すことになろうとも、咲き誇るさまを見るたびに、自分自身、何事も失敗を怖れず、一旦こうと決めた目標は、強い信念をもって事を成し遂げねばならないのだと、その度ごとに、心を新たにするのです。


薄紅をさしたその桜のにおいを堪能しようと、胸を張り、大きく息を吸い込もうとしたその時、玄関先で声がした。

「北原だ!やっと、来たか」と待ちわびた来訪者に、遠山は感慨深げに声を上げた。

遠山と北原の二人は高校時代の同級生である。

経済雑誌の編集長をしている北原が市内の方に移ってからは、とんとご無沙汰していた。五年ぶりぐらいだろうか?

高校時代に遠山は、自分が書いた小説を、ほとんど毎日のように北原に強制的に読ませていた。「それで、それで?」と、毎回のようにしつこく感想も聞く。

七、八年ほど前に、その時の事を北原はどう思っていたのか、遠山は聞いたことがある。北原は「俺は、正直もう参っていたよ」と吐露した。「お前のあのくだらない小説よりは、今の編集で目を通す、年若い連中のものになりそうにもない記事の方が、数倍くらい読むのが楽でいいよ」と、大声で笑った。

つっかけを履いて、裏から表へ回り声をかける。

「本当に久しぶりだな。元気か、北原?」

「少し痩せたか?」と、遠山の頭のてっぺんから足の爪先までを舐めるように見た。

実は、遠山は体を壊し、七年程勤めた会社を辞め、今は一人、自宅で病気療養中であった。

「そんなに、上から下まで、まじまじと見られると恥ずかしいもんだな。まるで少女になったようだよ」と少し照れている。

「これは、つまらんもんだが」と言われて手渡されたのは、遠山の大好きな銘柄の日本酒だった。

「病気療養中なのは知ってはいるが、すこしくらいは、大丈夫だよな?」と、心配そうな面もちだ。

「ありがとう。これなら、飲み過ぎて死んでもかまわんさ」遠山は、自分でも喜びが顔に滲み出ているのが、ありありと分かるくらい嬉しかった。

自分の好みを覚えていてくれた、というのもありがたかったし、単純にこれを飲みたかった、ということもあった。

「まだまだ、そんな簡単に逝く歳ではないだろう?冗談はよしてくれよ」北原は、高校時代から、遠山のこうした笑えない冗談に、散々付き合わされている。

「軍鶏鍋を用意してあるんだ。二人でつつこう」二日ほど前に、北原から今日来ることを聞かされていた遠山は、馴染みの肉屋にお願いして、北原が食べたいと言っていた軍鶏の下処理などをお願いしておいたのである。

「軍鶏鍋か。いいな!ありがとう」

昔、北原が「遠山が、文筆家になった時には、軍鶏鍋を食べたりとか、何かそれらしいことをしようぜ」と言い出したことがあった。

遠山のその夢は、とうとう叶うこともなかったが、ある時期から、北原が来たときの定番の献立になっていた。二人の間では、どういう訳か、文筆家と言えば軍鶏鍋のイメージらしい。

二人の話は、仲間の四名で行った、あの長崎への卒業旅行の話に始まり、おたがいのこれまでの五年間に起こった、さまざまな出来事などを報告し合った。

そして、北原は、突然話を切り出した。

「実は、今度な、以前から交際していた女性と結婚することになったんだ」と頭をポリポリと掻きながら、恥ずかしそうに呟くように言った。

「ああ、そうか......」遠山は、自分の顔が引きつっていることに気づいていた。鍋の灰汁をすくい取りながら、軍鶏に十分火が通っているかどうか確かめる。

遠山は、今夜期待していた蜜月に、水を差されたような気がしていた。 二人きりで思う存分話そうと思っていたのに、そんな話はしたくはなかった。

少しだけ開けられた障子の隙間から迷い込んだ夜風が、軍鶏鍋の湯気を揺らし、食欲をそそるその匂いが部屋中に行き渡った。

「彼女とはどのように知り合ったんだ?」遠山は、本当は聞きたくなどないことを尋ねる。

「仕事関係のパーティーで知り合ったんだ。お互いに山登りが趣味でね。それで話が合って、それからの付き合いだ」  そう言う北原の言葉が遠山を苛つかせた。

「具体的には、どういう女性なんだよ?」日本酒をグイッと一杯引っ掛けると、遠山は少しだけ興味を持った。

「大和撫子と言うか、男を立てて、自分はうしろへ一歩下がる。そんな感じだな」言葉のなかに、もう既に惚れこんでいる、そんな様子が十分に垣間見れた。

「そうか、それはいいな。おめでとう!」遠山は殊更に声を張り上げた。

「さあ、できたぞ!」北原に軍鶏鍋を適当によそって手渡す。「熱いから、気をつけてな」

「ありがとう」と、北原は両手ですくうように受け取ると、フーッフーッと冷ましながら、口の中に放りこみ、その味を十分に堪能すると、熱燗を一杯のどに流し込んだ。

その北原の唇の形を、遠山はそっと盗み見ていた。


今はもう、この家には住んではいないが、遠山には、別れた妻と今年十歳になる一人娘がいる。

五年ほど前に別れていた。元妻とは、遠山が三十歳を越えた頃に出会った。彼女は遠山より三歳年下である。

当時、彼女が勤めていた会社の関係先で知り合い、愛を育み結婚した。子供には恵まれたが、結局、夫婦生活はうまくはいかなかった。

遠山は、別に亭主関白というわけではなく、暴力を振るうということもなかったが、彼女は、「あなたの心は、女の私ではなく、いつも別のところにあるみたい」と言うのだ。

遠山には、その意味がその時は全く理解できずにいた。

遠山は、確かに小さい頃から女性と同じように、男性に対しても同じような思いを頂いたことがあった。

遠山自身、それが一体何なのかわからずにいたが......。

妻に言われたことでなんとなく、「あぁ、そういうことだったのか」ということが頭をもたげてきた。

自分の体は、どこからどう見ても男のそれだ。それは間違いない 。

そして、女性と性的関係を持つのもやぶさかではなかった。むしろ、好きな方だとも言える。

遠山は、幼少の頃から男性に対してそういう感情を抱くたびに、自分は変なのではないか?と思ったことが、少なからずあった。

もちろん、『男が愛するのは女』という考え方は、一般的なことであるし、遠山もそれに異論を唱えるつもりは全くなかった。必然的に妻と出会い、結婚し、子供を授かることになったのだから......。

妻に対して愛情があったのか?と問われると、「あったと思う。もちろん、彼女に対して、性的な興奮も覚えたし」

しかし、北原が遊びに来ていて、妻と子供らと一緒にいる時、遠山の気持ちはどちらかと言うと、北原の方に多く向けられていた。

親友なのだから、それは至極当然のことのように思えたが......。

「それで、いつだ?いつ結婚するんだ?」忙しく動かしていた箸をとめて、北原を見つめ、遠山は尋ねた。

「実はな、もうすぐなんだよ。それで、お前にも出席して欲しくてな。祝辞をお願いしたいんだ」

「女房に逃げられた、俺がか?俺なんかでいいのか?お前も彼女も初婚だろう?」

北原は、遠山と同じくもうすでに四十半ば、彼女は三十路を少し過ぎたころだった。

「お前にお願いしたいんだ。彼女もそれを望んでいる」

遠山は複雑な心持ちだった。大親友の頼みだ。無下に断るわけにもいくまい、かと言って喜んで引き受ける、そんな心境にもなれずにいた。

「頼む、遠山!」北原は両手を膝の上に乗せて、頭を下げている。

「分かった、分かったよ。頭を上げてくれ」


わたしは、自ら話題を変えました。今はもうすでに他界した父のことです。

父は器用貧乏を絵に描いたような人で、死ぬまで自分自身に挑戦し続けたひとでした。

戦後、故郷へ帰って来てからすぐに、煮込みホルモンのお店に始まり、料理教室の校長、温泉旅館の経営、その間、同時に田舎芝居の役者もやっていました。

私の記憶の片隅にも、わたし自身が顔にしろぬりを施し、チャンバラをやって何かしらの口上を述べている場面が残っています。

その間、一体いつの間に取ったのか、数々の資格も取得していました。父が労務管理士の資格を取得したのは、確か六十五歳を越えた頃だったと思います。

最後の仕事となったのが、地元での故郷創成事業の補助金を使い、自ら発起人の一人として大仏を建立して、その管理、案内などをやっていました。そのとき、体調を崩したのです。

北原は、父の最後の幾つかの話を聞くと、「それは、つらかっただろう......」と目に涙を浮かべ、声を詰まらせながら、慰めの言葉をかけてくれました。

父は、肝臓癌を患って、五年ほど何とか持ちこたえたのですが、それは奇跡とも言うべき五年間でした。

最後の半年ほどは寝たきりになり、 わたしが最後に見舞いに行った時には、もうすでに、自分の息子の、私のことさえ分からないようになっていました。

点滴のチューブを自分で外して、血をダラダラと辺り一面にこぼしていました。看護師が慌てて処理をしています。「親父、大丈夫か?」とわたしが半ばあきれ気味に言うと、父は、

「私には子供はいません。あなたはどちら様ですか?」と言ったのです。

あれは、今思い出しても胸をえぐられるくらいつらい出来事でした。

私の父親のイメージは、とにかく、優しい人で 、二つ上の兄貴はよく怒られていましたが、わたしはついぞ、怒られたことなど一度もありませんでした。

両親はどちらも映画好きで、父親は洋画が好き、母親は邦画、特に怪談ものが好きでした。中学校に上がるまでは、よく映画を観に、二人に替わるがわる連れられて行ったものです。

私の父と母は、今は一緒にお墓に入っています。生前も二人が言い争いをしているところなど、一度も見たことがありません。

兄は、離れた土地に養子に入っていたのですが、数年前に四十三歳という若さで他界しました。分骨して、今は同じところに入っています。

きっと両親も、長男が自分たちの元に帰って来たことを、いまは嬉しく思っているに違いありません。

このお墓は、父が亡くなった時に、わたしが建てたもので、今はまだ、父、母と兄の三人しか入っていません。

いずれ、私も同じように入ることになるのでしょうが、さあ、どうなるのでしょう?わたし自身は、最も色濃く青春時代を過ごした、あの地のビーチにでも、そっと風にまかせて飛ばしてもらいたい、などと考えてはいますが、まだまだ、それは身近なものとしては、今は考えることなど到底できていません。

ひと通り話をし、食べ終わると、北原は電話をかけ、彼女を迎えに越させました。

車で来た彼女に「初めまして」と挨拶をして、少しのあいだ話をすると、とても素敵な女性で、「これなら北原がひと目惚れしても、しょうがないことだなぁ」と納得しました。

次回の三人での食事の約束をして、二人を見送った後、裏庭に回って満開の桜をもう一度眺めました。

わたしは、その可憐に色づいた桜の花びらを見つめながら、もし自分に色があるとしたら、男でも、女でもなく、どちらかというと、このさくら色なのかな?と考えていました。

が、待てよ。そもそも、そんなことに線引きする必要はないな、『ひとがひとを愛する、ただそれだけだ』と、すぐに思い直しました。

まだ肌寒い春先の群青色の空に、三日月がひっそりとその身を横たえています。

そのかすかな光の下で、これ以上咲き誇ることはないであろう、満開の桜が、優しい夜風に気持ちよさそうにそよそよと揺らいでいます。

これからのことに思いをめぐらせます。
わたしは、これからどうしたいのか、どうなっていくのか、今のところ何もわかりません。

ただ、ひとつだけわかっているのは、生きていかなければなりません。

やって来る毎日を、力の限り、精一杯、味わいながら、生きて、生きて、生きて、生きていくだけです。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。






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