短編小説 『僕の町に旅の一座がやって来た』
「母さん、いつやって来るの?母さんの言ってた旅一座」
「話だけさんざん聞かされて。本当に見たくてしょうがないんだけど...。もう待ちきれないよ。いつ来るのか、教えてくれない?」
「まだいつかはわからないのよ。チラシはまだ入っていないし。もうちょっと待たないといけないかも。友達にまた確かめてみるから」
「しょうがないなぁ。だけど、できるだけ早くしてね。気になってしょうがないから。夜も寝られないし」
「恭平。毎日毎日、化け猫化け猫って、飽きもしないで言われる身にもなってちょうだい。もう、私は見る気もしなくなったわ」
「そんなこと言わないでよ。すごく楽しみにしてるのに。連れてってくれないなら家出するからね」
「あっそう?家出すればいいよ。家計が助かるから、いいことだし」
「母さんは、どうしてそんな冷たいこと言えるの? 本当に母さんは意地悪だっ!」
恭平は、ふくれっ面です。
「母さん、お腹が空いたんだけど。何か無い?」
「そこら辺にあるものを、適当に食べててちょうだい。母さん、今忙しいから」
恭平はかねてから母に聞いていた、とても面白い、通称『化け猫』という演目を得意とする旅の一座がやって来る、という話に興奮し、それを本当に楽しみにしていて、母にせっついていました。
いつやって来るんだ、と。
*
六月下旬、中学二年生の恭平が通う学校にて。
「今日からしばらくの間、みん
なと一緒に勉強する、上松美咲くんだ。彼女は、今度この街で芝居を打つことになる旅一座の座長の娘さんだ。みんな仲良くするように」
担任の橋本が、その少女を紹介しました。
「上松美咲です。よろしくお願いします」
美咲は色白で、ここら辺にいる女の子達と違い、妙に色っぽい華奢な女の子でした。
美咲が、先生から「あそこに座りなさい」と、指示されたところは、恭平のとなりの席でした。恭平はちょっとドキッとしています。
休み時間になると、女子たちは美咲の周りに集まり、おしゃべりが始まりました。美咲はあまりの質問攻めに、少し戸惑っているようでした。
「どこから来たの? 旅の一座だって?あなたもお芝居に出るの?」矢継ぎ早に質問を浴びせられています。
恭平は、興味がないふりをして、聞き耳を立てて聴いていました。彼女の情報が欲しかったからです。
それらの話の中で、恭平が興味を示したのは、『彼女が劇場の裏手で寝泊まりをしている』ということと、『お芝居にも出ている』ということでした。
そういう理由で、美咲は授業を半日で切り上げて、午後からは劇場でのお芝居に出ています。
*
「すごい人だね。本当にこの一座は人気があるんだね。恭平、何してるの?もう中に入らないと、時間だよ」
「うん、母さん。中に入ろうか」
二人が劇場の中に入ると、すごい人でした。満員御礼とはこのことでしょう。間違いなく人気があるようです。
今日は、日曜日の昼公演ということもあってか、多くの人々で賑わっていました。
恭平は、初めて見る旅の一座のお芝居ということで、興奮もしていましたが、もしかしたら『美咲がお芝居に出るかもしれない』という淡い期待も、ドキドキの要因の一つになっていたのです。
お芝居が始まりました。
暗闇の中、スポットライトは、恐ろしい形相の一匹の化け猫が、恨みつらみを繰り言のように繰り返しているのを映し出しています。
そのあまりの大仰さに、恭平はちょっと可笑しくなり、笑い声が出そうになりましたが、周りの人々が固唾を飲んで見守っているので、やっとの思いで笑いを押し殺しました。
物語の後半になると、暗転した劇場の天井近くにスポットライトが当たります。すると、そこには、化け猫が舌なめずりをしながら、下を見おろし、観客を睨みつけて見まわしている姿が浮かび上がっていました。
「キャーッ」一斉に人々の悲鳴が上がります。
後からわかったことですが、少し小さく見えた、天井に張り付いたその化け猫は美咲だったのです。
美咲は天井にしがみつくのが、からだの軽さもあって容易だったため、この役だけは彼女にしかできなかったのです。
「凄く面白かったね。恭平、どう、気に入った?」
「うん、面白かった。ありがとう、母さん。連れてきてくれて」
「あら、珍しいこと。恭平がこんな丁寧なお礼を言うなんて...雨が降らなきゃいいんだけれど」
二人がそんなやりとりをしながら劇場から出たところで、後ろから声がしました。
「恭平くん、来てくれたのね?」
恭平が振り返ると、そこには白い衣装を着た美咲が、微笑みを浮かべて佇んでいました。
恭平が劇場に来ていたことを、美咲は、天井に張り付いたあの場所から見つけていたのです。
美咲にも、何故なのか理由は分かりませんでしたが、恭平の顔だけは、はっきりと見えていたのです。
「可愛い子だね。恭平の知り合い?」
「うん、母さん。今、同じクラスで勉強している」
「ああ、恭平が言ってた、あの旅の一座の娘さんね」
「こんにちは、恭平くんのお母さん。初めまして、上松美咲と言います」
「まあ、ご丁寧なご挨拶ありがとうございます」恭平の母はそう言うと、
「本当に可愛い娘さんだね。ここら辺で見かける娘さん達とは違って。やっぱり、都会育ちの子は違うね」
ここら辺りに住んでいる女子が聞いたら激怒しそうな言葉を、恭平の母は臆面もなく、大声でいい放ちます。
美咲は、関東を拠点とし、全国を飛びまわる人気旅一座の座長の娘でした。
当時、昭和四十年代前半までは、旅一座のお芝居というのは、庶民の娯楽としてかなりの人気がありました。しかし、昭和四十年代後半になると、徐々にその人気も廃れて行きました。
「美咲さん、面白かった」恭平は思いっきりの笑顔を見せています。
「今日は来てくれてありがとうございました」美咲は、二人に頭を下げてお礼をいうと、劇場の裏手に小走りに去って行きました。
恭平はそのうしろ姿を、母に「恭平?」と、声をかけられるまで、見つめ続けていました。
*
相変わらず美咲は、午前中の授業が終わると、午後の公演に出るために早退していました。
となりに美咲のいない席を見ると、恭平はいつも寂しさを感じました。
ある日の夕方のこと、恭平が母に頼まれて買い物にでたときのことでした。
劇場近くの路地裏から、「やめてください!」と、何やら言い争う声がします。
恭平がその声のする方へ行って見ると、派手なシャツを着たチンピラ風の男に美咲がからまれていました。恭平の顔見知りでした。
「あつしさん、その子は俺の知り合いだから、手を離してもらえないかな?」恭平は、にらみつけています。
「おう、そうか。いや、すまん」
男は美咲から手をはなすと、恭平に「じゃあな」と、いちべつをくれ、何事も無かったかのように去っていきました。
「大丈夫?上松さん。何があったの?」
「うん、大丈夫。ちょっと付き合えってからまれて」
美咲の可憐さはここら辺りでは人目を引くのです。
「けがとかしなかった?」
「うん、大丈夫。ありがとう、恭平くん」
*
それ以来、恭平と美咲はとなり同士の席ということもあって、以前にもまして話をするようになり、大の仲良しになりました。
夏休みに入ると、恭平は美咲を誘って、午前中の間あちらこちらに連れまわしました。
近くの菊池川に行って釣りをしたり、自転車でちょっと足を伸ばして田原坂に行って、クワガタやカブトムシを取ったり、
この近辺で有名な古墳めぐりをしたり、本当に楽しい日々を過ごしました。
そうこうしているうちに、旅の一座ともすっかり仲良くなっていきました。
旅の一座は総勢 ニ十名で、座長の妻、美咲の母は、朝から晩まで働き通しでした。
朝の六時に起きて、全ての仕事が終わるのは、毎日夜中のニ時過ぎでした。
旅一座、総勢ニ十名の大家族のお母さんです。美咲だけのお母さんというわけにはいきません。
以前、恭平は美咲に聞いたことがあります。旅一座のことです。「この暮らしが好きなのか?」と聞くと、美咲は、
「子供の頃からこの生活なので、それが自分にとって普通だと思っている」と、きっぱりと答え、
「本当は、学校を早退しないで、毎日、全部の授業を受けたいし、できることなら、部活もやりたい」と、寂しそうに漏らしたのです。
美咲の五つ下の小学生の弟も同様です。暇がある時は、稽古ばかりをさせられています。
修学旅行や遠足などにも行ったことがない、というのは、「悲しいことだ」と、恭平は聞いていてやりきれない憤りを感じました。
最近では、周りの子供達と比べると「本当に自由がない」そう思うと、「悲しくて仕方がない」と美咲は言います。
*
恭平は、いつものように早退しようとする美咲に話しかけます。
「八月の話なんだけど、山鹿灯篭祭りというのがあるんで、一緒に行かない?」
「だけど、毎日芝居があるからどうかな?いつ頃あるの?」
「今年は十七日の日曜日、お祭り自体は、夜の九時から始まるけど」
「その前、夜六時頃から菊池川で精霊流しが始まって、八時頃から花火が上がるんだ」
「それが終わってから、みんな小学校のグランドに移動して、夜九時から千人灯籠踊りが始まる。
大勢の人が頭に、軽い素材で作った灯篭をのせて、その中に明かりが灯されていて、とっても綺麗なんだ」
美咲は、「見てみたい」と、瞳を輝かせて答えました。
「じゃあ、当日お休みは取れない?二人で行こうよ!」
「日曜日か...たぶん無理だと思う。日曜日はかきいれ時だから......」
「とりあえず、母さんには話してみる。たぶん、無理だと思うけれど......」
美咲がそのことを母に告げると、母は行くようにとすすめました。
「その日は、化け猫の演目はやめて違う演目にして、美咲の出番を失くしてしまえばいいんだよ」と、豪快に笑いました。
「座長、それで良いよね?」
美咲の父でもある、座長は、「おう、それで良い」とうなづきました。
*
祭りの当日、夕方の五時半頃、劇場に美咲を迎えに行った恭平は、白地にうす紫のあじさいをあしらった浴衣姿に着替えた美咲を見ると、見とれてしまいました。
いつもの美咲とは違い、雰囲気がすごく大人びています。後ろにまとめた髪からのぞくうなじ、薄くひいた口紅、仄かに香るあまい匂い、それらすべてが恭平にとって新鮮でした。
「行こうか?」恭平がそう言うと、二人は並んで歩き出しました。
劇場を出て右に曲がり、しばらく歩いたところを、左にずっと下りて行くと、菊池川に出ます。
小さな桟橋みたいなものが設けられていて、そこで精霊流しが行われていました。
美咲と恭平も一つずつ手に取ると、川にそっと流します。
通りの両脇に立ち並ぶ夜店の間を通り過ぎながら、二人で適当に好きなものを食べ、ヨーヨー釣りなどで遊び、時を過ごしていると花火の時間になりました。
菊池川にかかった橋の上から、二人は並んでその光景を見つめています。
無数の花火が上がります。
「ドーン、ドドーン!」真夏の夜空に勢いよく色とりどりの花火が次々と上がります。
眼下の川面には、夜空に咲いた無数の大輪の花たちの姿が写しだされ、キラキラとゆらめいています。
恭平が気づくと、美咲は恭平の手を、ギュッ、と握りしめていました。
恭平が美咲の横顔を見ると、花火の煌めく輝きの下で、そのあかりを映す美咲の瞳は神秘的で、恭平はこのままずっと見ていたいと思いました。
やがて、花火が終わると、その時間を惜しむように二人は手をつないだまま歩き出します。
千人灯籠踊りの会場への小学校へは、菊池川の下流から上手の方へ歩いて行きます。
恭平は、美咲の手を引いて路地裏に入りました。大勢の人が行く大通りからは、少し離れています。
ここには、昔からある神社がひっそりと佇んでいます。
恭平は、「ちょっと休もうか?疲れたでしょう?」と、神社の石段を指さします。
美咲はうなづきました。
二人は並んで腰を下ろし、他愛もない話をしていました。会話が途切れると、美咲は恥ずかしそうにうつむきます。
「キス、キス、 ここでキスだろう?」
恭平の心の中では葛藤がありましたが、恭平はヘタレだったので、そこまでの行為にはいたりませんでした。
「そろそろ行こうか?」
「うん...」と美咲がうなづいて、立ち上がろうとしたその瞬間、足元のバランスを崩してよろめいてしまいました。
恭平が美咲を抱き寄せます。
美咲はそっと瞼を閉じました。
恭平は、美咲のその愛らしい唇にそっと唇を重ねます。
神社の境内に柔らかな静寂が訪れ、満月の明かりが優しく二人を包みこんでいました。
千人灯籠まつりは、荘厳で、優美な祭りとして知られ、その名に恥じないほど多くの踊り手で、一大スペクタクルを醸し出しています。
「すっごい、綺麗!」美咲はこころの底から感動しています。
見慣れているはずの恭平も、美咲と一緒だと、その美しさは格別なものに感じられました。
*
八月下旬。やがて、旅一座の公演も終わりました。
美咲が学校を去る日、クラスのみんなが登校し、ささやかなお別れ会が催されました。
そこで美咲は、「みんなへのせめてものお礼」と、可憐な踊りを見せてくれました。
その足で恭平は美咲と一緒に、旅一座の楽屋を訪れています。
座長も美咲の母も、「お世話になりました」と、恭平に深々と頭を下げてくれました。
美咲は瞳にうっすらと涙をため、「恭平くん、またいつか会おうね」と、別れを惜しんでいます。
恭平は、化け猫で始まった、一連の夏の出来事を思い返していました。
自分の淡い初恋、美咲のあの瞳の色、あの柔らかい唇。
「また会えるんだろうか?美咲に......」
*
「あんた、何してるの?出番だよ。いつまでも、ぼけーっとして」
「分かった、分かったから、あと一杯だけ、お茶を飲ませてくれないかな?喉がもうカラカラだよ」
座長の恭平は、いつものように、美咲にハッパをかけられています。
「父ちゃん、もう一回いい?練習しないと怖くて出られないよ」
恭平の一人息子は、今にも泣き出しそうです。
「間違えてもいいから、お客さんに失礼になっても、一生懸命やれば分かってくれるよ。男は度胸、女は愛嬌だ」
「じゃあ、父ちゃん。私は愛嬌だけでいいの?」
恭平の一人娘は、可愛らしい目をパチパチ瞬きさせています。
「...んなことは言ってない。お芝居はちゃんとしないといけない。練習通りに、わかったね?」
「あんたが一番しっかりしないとといけないんでしょう」と、座長の恭平は、美咲にまたハッパをかけられています。
恭平は一度、父親と同じ教職に就いたのですが、
旅公演に来ていた美咲と再会し、どうしても美咲と一緒になりたくて、
親に美咲との結婚を反対、勘当されたものの、旅一座に入り込んでいたのです。
長い長い修行期間を経て、美咲の両親に認められ、昨年から座長を務めています。
あの華奢で可愛かった美咲は、今では旅一座総勢ニ十名の肝っ玉母さんとして 、昔のあの頃の可憐な姿は見る影もなく、でっぷりと太ってはいるものの、その大役を見事に務めています。
双子の一男一女に恵まれ、貧しくても忙しくても、面白おかしく毎日を過ごしています。
恭平と美咲は、人々に笑いと感動という幸せを届けるために、今日も一座のみんなと一緒に、一生懸命お芝居に打ち込んでいます。
自分らしく生きるために。
「じゃあ、みんな行こうか?準備はいい?行くよ!」
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最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この作品は、以前投稿した『おっが街に旅ん一座がやって来た』に加筆、修正を加え、標準語につくりかえたリメイク作品です。