家族間ルール確立の原則1 ~親と子供が濃密すぎると

一つ原則の掲載を忘れていた。
文化出版局の親子同居•上手な住まい方P.111から引用する。

家族間ルールの確立の原則 ~親と子供が濃密すぎると 

肉親感情に代わる生活上の役割分担など、家族関係に応じた独自のルールを確立すべし。

かつて家長制度が存在していた頃、家庭において、同じ屋根の下に住む一人一人が自らのなすべきこと、してはならぬことを認識していたように思います。
それは家訓というよりも、もっと日常に密着したレベルの話で、ほとんどの場合、文章としてではなく、いわば不文律というようなものでした。
それは家庭内における各人の役割分担などというものではなく家長の上意下達のシステム、各人の立場による振る舞いかた等々、そんな種類の内容でした。
たとえば、囲炉裏、炉端における各人の座、入浴の順番、食事の仕方といったものです。
今、ここであげた同居のための原則「家族間のルールの確立」は、各家庭に綿々と、かつ厳として存在する"きまり"でなく、同居を構成する各人が、対等の立場に立って、上手く同居するためのルールをまず作るというものです。
ルールを作らなくとも、上手くやっていければ、理想的なのですが、理想どおり物事が運ぶことはまれです。

参考:文化出版局  親子同居•上手な住まい方 P.111

本題とはそれるが、昭和61年刊行の本が「かつて家長制度が存在していた頃」から始まる点は興味深い。
この頃既に家長制度は終わっていたのだろうか?
高度経済成長期以降のライフスタイルの変化から核家族かが進み、職業も商店主や農業から企業へ務める人数が増えていったため、家長制度のようなものは大きく減退したが、かつて存在していたというほどではなかったのではないだろうか。
おそらくこの本の著者たちは、未来にも読まれるものとして制作したのではないだろうか?

私は40代なので昭和61年は小学生だったが、その頃の爺さん婆さん達は大正生まれの方々が多く、昔ながらの家長スタイルの中で生きてきており、時代が変わったとはいえ、色濃く残っていたと思う。
私の祖母の時代は、本家というものが存在し、更に複雑な家族社会を形成していて、分家である夫のお給料が一度本家に接収されて、そこから分配されたそうだ。お米を作る農家の現金のフローは特別だったのであろう。

話しはそれてしまったが、とにかく家長制度らしきものは昭和61年どころか、現在もうっすらと残っている気がする。
昔はねという話の中に家長制度らしきものが含まれなくなって、はじめて「かつては…」といえるのではないだろうか。

横道の話が長くなってしまった。
今回はここまでにして、次回から本題にはいりたいと思う。

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