きみたちのエクスプレス号
『夢中になれることが、いつかキミをすげぇヤツにするんだ!』
往年の大ヒットアニメ、ドラゴンボールZのオープニングテーマ曲の一節。
私はこのメッセージが、子供向け番組の冒頭で力強く歌唱されたことに、ちょっとした感動すら感じている。
「好きこそ物の上手なれ」という表現が古くからあるように、好きな気持ちがあるもの、モチベーション高く取り組んだものは結果がでやすい。
この示唆に、私は強く同意する。
理系、文系、体育会系、文科系、といった、本人の得意な思考アプローチや、安心する生態に差はあれど、いわゆる「向き不向き」を越えてくるものが「好き!」という想いなのではないかと思う。
幼児の思考は、大人よりはるかに拙く短絡的だ。
経験値もインプットできる知識量も段違いなのだから当然だけど。
それなのに、小さき者たちが日々全力でかもす「直線の行動」は、この上ないエネルギーをたずさえている。
電車と駅に例えよう。
大人では「好き」と「やりたい」の駅が、なかなか線路でつながらない。
「自分なんかが」という謙遜
「どうせできない」という諦め
「できなかったら恥ずかしい」という羞恥心
世間体やプライドというプレッシャーが大きく立ちはだかり、結局「やめとこう」の駅が目的地になってしまう。
これは社会性というよりは臆病さに近い。
失敗したときの惨めさや、「やりたい」にたどり着くまでの燃料調整、つまりは労力ばかりが気になって、始発の「好き」から、いつまでたっても列車が走り出さない。
子どもの列車は、特急一択
トップ写真は2歳になったばかりの娘で、ショッピングモールに展示されていた、水槽のヘリにしがみついている場面だ。
おでかけから帰ろうと提案した際に、「もっと長く魚をみたい」という要求があった娘は、「もうちょっとみたいよ」程度にはしゃべれるはずだが、「イヤーー!!」という叫びだけを残して、幅1センチ程度のヘリに、第一関節の力のみでブラさがっている。
私はたじろぐほどに驚いて、しばらく眺めていると、なんと2分ほどもこのままだった。
まださして力の強くない2歳児が、全体重を指先だけで支えたことも驚きだが、さらに驚愕させられるのは、この体勢では、絶対に魚は見えていないという点だ。
「魚をもっとみていたいから、帰りたくない」という要望だったはず。
しかし始発駅である「魚がすき」に停車していた列車が、「母に言葉で交渉する」「魚がよくみえる位置に移動する」などのしゃらくさい駅をすっ飛ばす。
ついには終点だったはずの「魚をもっとみる」のさらに奥地に突っ込んで、「何が何でも帰らない駅」にたどり着いたようだった。
つまり、おもいっきり事故っている。
しかしこの、終点すぎてもブレーキなんて踏まないよ?という狂気の走行に、私は困惑をこえた感慨を覚える。
すごいな、すさまじいな、と思う。
やりすぎなまでの迷いのなさ。
ほとんどの子供はこの特急列車に乗っていたのに、あのピカピカの特急券を、私たちは、いったいどこでなくしてしまったのだろう。
サイヤ人って、ほろびて正解。
ここで話をドラゴンボールに戻す。
あまり詳しくないので齟齬っていたらご指摘いただきたいのだが、主人公の孫悟空をふくめ、この作品には「サイヤ人」と呼ばれる、外見は地球人と同じだが、戦闘能力に特化した異星人が数人登場する。
悟空は天然で気持ちのいい素直な人物だし、ベジータはプライドが高い反面、案外に常識的な一面があり、悟飯はおだやかな秀才で、トランクスは幼少期のクソガキぶりが嘘のような好青年に成長する。
この性格がバラバラであるキャラクターたちには、1つ共通点がある。
ふだんは残酷でも破壊的でもないのに、みなブチ切れると一気に好戦的になり、つよい奴と闘うためなら、地球が爆発しても構わないというエグイ結論を簡単に導くのだ。
作中では「サイヤ人の血筋、本能」と描写されているが、リスクヘッジのいかれきった思考しがち民族が銀河系にあふれていると危険なので、まぁ滅ぶべくして滅んだな、と個人的にはおもっている。
しかし一方では、この人たちなのかも、とも思うのだ。
負けそうだしやりたくない
どうせ自分じゃ敵わない
痛い思いをするのはイヤだな
そんな駅には目もくれない。
「闘いが好き」の駅から、「おめぇ、ぶっとばしてやんよ!」の駅まで、途中停車なしのアクセル全開で走れる力。
成人してようが親になろうが、精神も磨かれるはずの修業行為をなんど繰り返そうとも、彼らは純粋な特急券を、決して失わない。
地球人であるクリリンやヤムチャがビビリ枠にみえるが、地球外生命体っぽいものと命がけで戦うなんて、普通に考えて怖すぎる。
しかも報酬もない。ノーリターン、鬼ハイリスク。
悟空を「最強の地球人」として描くのではなく、異文化の血筋の存在だとしたことは、名匠・鳥山明の気遣いにすら感じてしまう。
人生ってこわいよな、逃げたくなるし立ち止まっちゃうよな。
でも、こんなヤツになりたかった気持ち、頭をからっぽにして突き進んだ時間が、きみにもきっと、あっただろう?
サイヤ人たちは、本来の「好き」に忠実で、ごちゃごちゃ葛藤したり臆病風に吹かれない。
そのエクスプレス感こそが、長年多くの人を魅了するパワーなのだろう。
各駅停車の車窓から
私は子供が好きだ。
自分の娘のみならず、限りある無垢な時間を生き、大人とは区別されている、あの存在全般が好きなのだ。
2歳の娘は、まだ特急券をもっている。
みかんが食べたい!と思ったら、届くわけのない棚の上に手を伸ばしてムキーっと悔しがる。
さらにバランスのわるい場所につみきの箱などもってきて、こちらの制止もきかず、踏み台にしてはコケたりする。
無駄で、無謀で、めちゃくちゃだ。
しかしまぶしい。その超特急の進み方が。
子供同士ではこんな感想を抱かないだろう。
娘の特急列車を特別にかんじるのは、私が常識や知恵や経験を手に入れるのと引き換えに、あの特急券を手放してしまったからだ。
私はもう、各駅停車にしかのることができない。
アイドルになりたい!と思っても、タレント事務所に直談判するより先に、やるべきことが見えすぎている。
ダイエットして
歌とダンスの教室にかよって
周囲を説得して
自信がついたらやっと、オーディションに申し込むのだ。
勝てないよ、そんなんじゃ。
私がまごまごしてるうちに、エクスプレスな人々は早々に次の列車に乗り込むだろう。
まれに大人になっても特急券を所持している人もいるので、そんなときは羨ましい気持ちにもなる。
だけど、この鈍行列車だからこそ、子供たちの特急ぶりが、その輪郭がブレずにみえる。
景色をみながらお弁当を食べて、畑作業の方々に手をふる余裕があるから、つみきの箱から転がりおちる娘の背中を、両手で抱きとめる準備もできる。
魚がみえない水槽に、ぶらさがる2分を待っていられる。
サイヤ人に生まれなくてよかったな。
今は自分が特急列車に乗るよりも、あぶなっかしいチビエクスプレスたちをゆっくり眺めていたいのだ。
「夢中になれること」が君たちをその駅から旅立たせ、目的駅のその先で「すげぇヤツ」になる瞬間を、この車窓から、見守っている。
まわりを見渡す余裕はないだろうけど、オンボロの各駅停車を、軽やかに追い抜くことも、どうか忘れずにいてほしい。
遥かなる娘の終着駅が、私のラストストップより、ずっとずっと遠いところにあると嬉しい。
楽しい旅に、なりますように。
記:瀧波 和賀
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