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夫のワンオペと妻のワンオペ。その「負担」は本当に平等だろうか。

ワンオペ育児という言葉が市民権を得るようになって、数年になるだろうか。

核家族化や近所付き合いの希薄なマンション住まいが多数派になり、両親の力だけで育児をする人はグッと増えた。

これによって、主に女性は婚家の習慣や親戚付き合いを強要されることが減った分、夫が長時間勤務の仕事をしている場合、本人の就労状況に関わらず、やむなく「ワンオペ育児」状態に追い込まれてしまいがちだ。

専業主婦は昼寝もしなくなった3歳児を、午前午後で違う遊び場に連れていき、3度の食事やおやつの準備もしたりする。
エネルギーの固まりと24時間すごし、尚且つ身辺の世話や理屈の通らないイヤイヤと向き合うことは、想像を絶する消耗である。

ワーママは日中こそ育児からは離れているものの、仕事をフルタイムで行い、保育園のお迎えから寝かしつけ、その後の家事までを怒濤のように片付けて、本人が寝るのは深夜になってから…という人も多い。

専業主婦 VS ワーママ

このような「専業主婦とワーママ」を比較対象として、どちらが大変どちかが偉い、といった論争は、一定やりつくした感もあるだろう。

「どちらもめちゃくちゃ大変」
「ママ同士争うより称えあおう」
という論調が現在は主流のように感じる。

どのようなライフスタイル、就業状況においても、ワンオぺ環境のママには足りないものが多すぎる。

日々の努力や成果を承認してもらえる場所
自分のために自由に使える時間
子供中心に物事をすすめなくて良い状況
子供の成長やママの気持ちを夫と共有する手段

この辺のケアを根こそぎ後回し、またはみないフリをして、「とりあえず今日もひとりでよろしく」と突きつける行為が、ワンオペループを呼んでしまう。

ここ数年はワンオペ育児の辛さや弊害が、SNSを中心に多くの当事者から発信されることで、ワンオペ育児は決して「あたりまえ」ではなく、「よくない状況」という認識が広く知られた。
これは、母親の自己犠牲は美徳とされてきた育児常識のなかで、大きな前進でもあった。

ワンオペママの自由時間は、パパをワンオペにすることでしか担保できない。

ワンオペ問題の根深さは、ワンオペママを金銭負担なく解放するためには、その夫が一時的にでもワンオペ状態にならなくてはいけない、という点だ。

もちろん、圧倒的に長い時間をワンオペママとしてすごす妻からすれば、週1日くらいのワンオペ状態は、当然受け入れて欲しいと思うだろう。
私は週6日やってますが?6倍ですが?
と、不満に思うことは、まったくおかしくない。

しかし、ここで注意したいのが、「同じことをすることが、果たして本当の平等なのか?」という点だ。

先に述べた専業・ワーママ論争が無益よね、とされた根底には、「同じ負担でもやれる人とやれない人がいるし、やれない人が悪いってことじゃないよね」という、タスクベースではなく個人のキャパベースで判断する考えがあったはずだ。

仕事も育児もバリバリこなし、短時間睡眠もへっちゃら、毎日美しく着飾り、子供3人育ててます!というオバケママは、信じがたいが実在する。

とは言え、「あの人がやれるんだから、あなたもやれる!」は乱暴だからやめましょう、それぞれできる範囲で無理なくいきましょう。という結論が、ママ同士では出ている。
そのように、私は感じている。

ところが相手が自分の配偶者になると、途端に「同じ親なんだから、あなたもやって!!当然よ!」となることが、個人的には少し残念なのだ。


私がやる「ワンオペ」と誰かがやる「ワンオペ」は子供が同じでも全く別物

これはあくまでも我が家の話なので恐縮だが、一例として挙げてみたい。

私たちは会話が多く仲の良い夫婦だと思う。
実家は里帰りできる環境だったが、夫が3週間の育児休暇を取得し、夫婦二人だけで育児を始めることを選んだ。

これにはいつくか理由があったが、後の私の職場復帰を視野に入れ、夫婦の育児スキルになるべく差がでないようにしたい、という考えも含まれていた。

夫はこの2年間絶えず子煩悩で面倒見がよく、
遊び相手だけでなく、身辺のお世話やお出掛けの準備も私と変わらずでき、服や靴のサイズ、言葉の発達、お気に入りのぬいぐるみも散歩コースの寄り道も、きちんと把握している。

むしろ育児リテラシーは私より高く、
靴をはくのを待ってあげて、だとか、
食事中に違う色のスプーンを欲しがるのでいさめると、それくらい出してあげてよ、だとか、私が注意されることの方が多いくらいだ。

しかし。
しかし、なのだ。

そこまで娘を知り尽くしている夫でも、彼のワンオペ育児は困難を極める。

家族3人でいるときには平気でも、「ママの不在」を娘が許さないのだ。

いつもは大人しく座って食べるのに、
夫と2人だと皿をひっくり返す、フォークを投げる。
手を繋がない、歩かない、抱っこもいや、道に座り込む。
指示が通らない、オモチャを乱暴に扱う、
テレビをせがむ、リモコンをなげる、少しのことで癇癪が爆発、眠くなるとママー!と叫び泣き、2時間粘って気絶するようにやっと寝る…。

どれも、私がいるときはすんなりできることばかりなのに、ママが家にいない状況は、娘をまったくの別人にしてしまう。

プロの保育士さんも手を焼くくらい、娘のママ執着は強力で、大好きなパパにも全力で牙を剥くのだった。


上手くいかないワンオペが、夫に与えるダメージ

ママがいいのにママに会えない娘は、もちろんツライ。
だがもしかしたらそれ以上に、夫がうけるダメージは大きく深いものかもしれない。

①ずっと育児に向き合ってきたのに、母親と差がつけられていることによる、プライドの傷心

②ことあるごとに泣かれて癇癪、その相手をひとりでする消耗

③その状態のせいで、妻が滅多に母を休めないことへの負い目

私の方がワンオペ時間が長いので、夫はあまり弱音を吐かないが、私は彼が父親として確実に積み上げてきた日々が、傷んでしまわないかと、とても心配なのだ。

私のワンオペは、せいぜい「はー疲れたー」くらい。
夫のダメージとは、全く釣り合っていないだろう。

以上は言うまでもなく、ごく個人的な体験なのだが、なので私は「夫婦ならば、夫もワンオペを担わないと不平等」という意見に、頷くことができずにいる。

同じ課題でも、やる人によって難易度や負担感はまったく違う。
勉強やスポーツに得意不得意があったように、育児や家事にもそれは存在していて、なおかつ育児は「子供の意思」という動かしがたい要素がデデーンと中央に鎮座しているのだ。


ワンオペ育児がしんどいママの敵は、多忙な夫ではない。

ここまで夫にワンオペを期待することがよくないこと、のような切り口になってしまったが、ワンオペ育児が日々しんどいママを、私は少しも軽視していない。

ループするワンオペは本当にツライ。
積もる疲労は判断能力、心の余裕、睡眠時間、そして子供への愛しさをゴッソリ奪う。奪い続ける。

そのツラさをぶつける場所や相手は絶対に必要で、ワンオペ故に身動きがとれないので、その窓口は専ら夫になる。
これは自然なことで、他に選択肢がないことは承知している。
夫が引き受けなくては、妻がワンオペから解放されない環境は、無情に存在している。しまくっている。

ただ、「私は辛くても逃げられないのだから、あなたも辛かろうが絶対やって!」の前に、ちょっとだけその前に、それはほんとに平等なの?と考えてみてもいいかもしれない。

我が家はその上で、なおも夫がワンオペを担う日がある。
それでも夫は、「妻のワンオペより過酷なことを私が理解して、言語化していること」によって、かなり救われてもいるらしい。

このむちゃくちゃ疲れる時間が終われば、妻に話を聞いてもらえる、という見通しがあることで、数えきれない娘の暴挙を「ネタ」としてとらえることも、たまにはできるそうだ。

有料サービスや公共のサポートを使うには限界があり、やはり夫婦どちらかのワンオペで解決していく流れはまだしばらく続くだろう。

だけれど、「ワンオペのツラさは、ツラさの理解者がいないこと」という問題点に夫婦一緒に向かい合えたら、相手がワンオペ中の負担を、自分も想像し、分かち合っていけたら、それは精神的な「ツーオペ育児」と呼べるのかもしれない。


記:瀧波和賀

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#育児 #ワンオペ育児 #夫婦 #平等

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瀧波 わか
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