見出し画像

禅語の前後:廓然無聖(かくねん むしょう)

 だいたい900年前、中国は宋の時代に書かれた禅のテキスト、100のテーマについて書かれた「碧巖録へきがんろく」の、最初の1つめのテーマに選ばれているのが、この言葉。
 「かく」は本来、城や都をぐるっと囲う土壁を意味する漢字で、転じて「広い」「大きい」「空しい」といった意味を持つ。

 今から1500年くらい前、禅宗の開祖である達磨だるまが西の天竺から中国を訪れたころ、南朝の武帝は自身も仏教の学者であり、あつく仏教を保護していた。武帝が招いた達磨とのやりとりは、伝説によれば、こんな感じだったようだ。

Q1: わたしは仏教をあつく信仰し支援しています。寺を建て、経を写し、僧を育ててきました。このような私の活動に対して、どんな功徳メリットがあるとお考えでしょうか?
A1:メリットは、ありません。
   =無功徳むくどく

Q2:ずばり、仏教の教えの神髄とは、何だとお考えですか?
A2:そんなものは、ありません。空しいものです。
   =廓然無聖かくねん むしょう

Q3:わたし一応この国の帝なんですけど、あなたいったい誰なんですか?
A3:知りません。
   =不識ふしき

 達磨は「こりゃだめだな」と思ったらしく、このあと長江を渡ってこっそり北へと移り、それきり二度と戻って来なかった、という。
 皇帝v.s.舶来の僧侶という、絵になる構図だ。ちょっと、当て馬あつかいされた武帝さんが可哀そうになるけど、これは当時(宋の時代)の世相も反映したものらしい。

 宋の時代でも、少なくとも禅僧の気概としては、あくまでも皇帝をも超えるような意気さかんなところが一方にはある。他方で、当時の政治体制の側から言わせれば、そういう意気さかんな禅坊主を、なおかつ自分の体制下に置こうとする。これほど気概のある坊主が自分を支持しているのだ、というところを見せつけたい。そういう両者の緊張関係が、この時代においてもなおあるわけで、一面ではそれを反映するところのある問答とも言うことができるわけです。
(末木文美士「『碧巖録』を読む」岩波書店)

 一連のストーリーとして見れば、おおよその意味は分かる気がする。

 何かの見返りを期待するようじゃ、いけない。
 唯一の真実があるなんて、信じちゃいけない。
 自分が何者か、なんて、何の役にも立たない。たとえあなたが、この国の王様であったとしても。

 そういうふうに眺めてみると、これは謎めいた禅問答というよりも何か身近なこと、よりよいものを飽くことなく目指し続けるための普遍的なヒントみたいなもの、のようにも、読める。そういうところがきっと、このストーリーが1500年も伝えられてきた理由なのだろう。