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人は交わるべくして交わる

皆さんこんにちは。或いはこんばんは。
昨日は雨が降り、かなり寒いですね。

本日は僕がどんな思いを持って塾の先生をしているかについてお話していきたいなと思います。

人は交わるべくして交わる

苦しかった時の話をしよう。

僕は今、地元の塾でアルバイトをさせて貰っています。アルバイト歴は2年ですが、お世話になっているのは高校1年生からです。かれこれ5年の付き合いになるのでしょうか。
高校生の頃は、真面目に不真面目で、野球しかしてきませんでしたが、塾には一応行ってました。僕が欠点を取らなかったのは、一応塾に行ってたからでしょう。

僕は中学生の頃から、学校の先生になりたかったんです。生徒たちの青春に1番近い距離で寄り添える職業ってとても魅力的だと思ったからです。あとなんと言っても、野球部の顧問をしてみたかった。甲子園に行ってみたかった。が1番強い理由だった記憶です。

ではなぜ、僕が学校の先生を目指すのを辞めたか。それは学校の厳しさです。
※学校が厳しいのではなく、塾が緩い可能性はありますが...
僕と関わりがある人は想像つくと思いますが、僕が生徒のことを叱れると思いますか?思いませんね。僕も思いません。あんまり好きじゃないんですよね、学校の先生みたいに、生徒に叱ったり、指導したりするのって。そりゃ変なことしてたら、多分僕は先にイラッとしちゃう性格なんです。生徒ファーストで考えるのと叱るのって全然違うなって思ってるんです。だから、僕は学校の先生を目指すのを辞めた。絶対、学校の先生に向いてないって確信しましたね。

そこからは製薬会社への就職を目指してました。
金も福利厚生も良い会社に入ろうと思い、大学院への進学を見据えて、勉強しました。でも、とてもつまらない。なんでこんなに面白くないんだろう。浪人時代までは勉強が楽しかったし、好きでした。確かにしんどい思いもしたけど、仲間たちと日々成長していく自分も好きでした。今まで出来なかったことができるようになるのが、目に見えて分かっていた。
でも、院試はレベルが違います。TOEICもあれば、もちろん化学の知識も必要です。目指していた大学院が東大・東工大だったのですが、難易度が桁違いでした。なにも成長していない自分がとても嫌いになりました。今思えば、大学院試の内容を独学でやろうとしていたことから、まず間違いだったのかもしれません。ていうか間違いです。

ああ、俺普通に就職できねぇわ。笑

極論じゃない?って思うかもですが、学歴コンプを拗らせ散らかしていた僕は本当にそう思っていたのです。無知であり、愚か、そして自分はやれば出来るんだと思っていた傲慢。全てが襲ってきます。自分は、凡人なんだと感じました。

とは言っても、教育と子どもが大好きでした。エネルギーに満ち溢れた子達が成長していく姿を真近で見るのが、大好きでした。教育系でこの「好き」を実現できるところはないかなぁ?

あ、塾講師になろう。


本日はここまで。続きは次回書きますね。


14時間後の空より

僕の1番尊敬する先輩が言ってました。
挫折した回数こそが、その人の優しさである
と。

本当にその通りだと思います。
挫折したら優しくなるというより、その人の辛さや痛みに寄り添えるようになると僕は考えています。

今、その人はアメリカで教育心理学を学んだり、医学を学んだりと、謎が多い人です。笑
そういえば、この人とも塾で出会ったなぁ。すごい懐かしい。僕はこの人と出会ってなかったら、今頃ちゃらんぽらんな人生だったと思います。彼と過ごした1年間が、僕の人生を180°変えました。本当に感謝しかありません。

正直、僕はこの人に認められたくて頑張っているところもあります。だけれども、全然追いつくことが出来ません。
空は違えど、この人の活躍が、僕を奮わせてくれているのは確かです。

また会いたいですね。
ゴールデンウィーク楽しみにしてます。



それでは。

人は交わるべくして交わる

加納 幹久

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