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高い目標は歓迎されるべきだが、高すぎる目標は逆効果という話。
例えば、学生と話すときに、学生が将来の自分の姿をすごく活躍しているスーパービジネスマンのように描くのは印象として悪くない。
小さくまとまった自分を思い描くよりもよほどいい。
しかし、5年くらい働いた人が描く将来目標とする自分の姿が、今の自分の姿と大きく乖離しているような場合、もっと現実を見ようねと思ってしまう。
高い目標を掲げること自体は決して悪いこととは思わないが、あまりに現実味のない目標だと、絵に書いた餅になってしまい、結局達成されない目標を掲げるだけで、その目標は意味を失ってしまう。
高い目標を掲げた上で、現実的な着地がその目標の5割とか8割とかになるようなあえてわかった上で、高すぎる目標を立てるならいいだろう。
10割達成はミラクルだが、8割、5割の達成でもでも十分に成長が実感できるからだ。
しかし、高い目標を掲げなければいけないと、背伸びどころか、竹馬に乗っても、はしごに登っても届かない目標を立ててしまっては意味がない。
本末転倒もいいところだ。
なぜそんなに高すぎる目標を立ててしまうのだろう?
いくつか要因はあると思う。
①自身の能力を過剰に過大評価している
②目標を自分ではなく、自分より能力の高いまわりの人にあわせている
③目標を達成することではなく、目標を立てることがGOALになっている
このあたりがあると思う。
結局のところ、自身のことを客観的に冷静に量れていないということに尽きる。
「素直とは己のことを正しく知るチカラ」であると聞いた。
自身のことを冷静に受け止めて、冷静に判断して、自身をかざらないでこそ、素直になれる。
自身のことを過大評価してしまうことは、とても素直とは言えない。
なぜ自身のことを冷静に評価できないといけないのだろうか?
なぜなら、自身のことを客観的に冷静に判断できない人に何かを任せることはできないからだ。
そんな人に事業を任せるのは、事業を任せる側にとっては一番怖い。
事業だけでなく、仕事を任せるマネージャーにとってもとても怖いだろう。
まだ、石橋を叩いて叩いて慎重過ぎる者のほうが任せるという面では、仕事を任せられる。
よく事業判断する上で思うのだが、リスクを把握している上であえてAという手を打つのと、何も考えずにAという手を打つのでは、同じAという手を打っていたとしてもぜんぜん違う。
前者ならAが誤っていた場合にすぐに対処できるし、Aで失敗した場合に納得感が全然違う。
あえてAという手を打ったという認識があるのなら、Aで誤ったことを次回に生かすこともできるだろう。
このように、冷静に事業を見える人にこそ事業責任者が務まる。
足るを知るという言葉は、時にいい意味だが、時に物足りない。
まだ20代のうちに自分の限界を勝手に低いところで閉じてしまうのももったいない。
しかし、きちんと冷静に自分の能力、実力を把握した上で、できることはここまで、しかしがんばったらここまでできる、いくらがんばっても今の自分にはここ以上は無理など、冷静に過大評価でもなく、過小評価でもなく、判断できるならどんなにか優秀だと思えることだろうか。
たとえ能力がまだ低くても、きちんと自分の能力を把握できているのなら、あとはベースをどんどん切り上げていけば、安心して仕事を任せてもらえつつ、自分のできることの範囲を広げていくことではなかろうか。
事業責任者の役割として「夢を語ること」を挙げた。
メンバーにはしっかり事業の夢を語る。
一方で、この「夢を語ること」の裏には、経営者に対しては夢を語りつつも、現在の事業の健康状態、将来の展望について冷静に語りつつ、最悪の場合の事業撤退も常に頭の片隅においておく、ということがある。
そんな情熱と冷静さが事業責任者に必要だと思っている。
そういう人になるには、やはり目標を立てる場合にも、高い目標を掲げつつも、高すぎる目標を掲げない、そんな冷静さがあるといいなと思います。
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