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バルネラビリティ;弱い私だから繋がりたい

聖書の中で使徒パウロは「私は弱い時に最も強いのです」と書いている。これは、最近注目されているバルネラビリティの概念と通じるように思う。

元気いっぱいのアメリカ流ポジティブ心理学では、強み発見・強みを活かすことに注目しているけれど、私のように心身ともに弱いタイプは、そういうイケイケの考えから距離を置いてしまいそうになる。でも、それがいちばんの強みだというのである。

つまり、自分の弱さを知っている人は、他者に助けを求めて、他者の貢献の喜びや自尊感情を高めて、喜びいっぱいの世界を構築するのだ。パウロが意味するのは、エゴを超越した大いなるものに任せよ、その時、大いなる力(神・自然の摂理・宇宙)が働かれるという意味だからちょっと違うけれど。大いなるものの意図とはもちろん、万物の調和と幸せに違いないというのが、お花畑にいる私の確信である。

今まで人類は繁栄するために競争してきた。競争ゲームに夢中になって、使い切れないほどの富を蓄えながらなお、もっともっと!と言う男の子がいっぱいいる。そこでママは言うのだ。「ね、それであなた何がしたいの?みんなが幸せになったかな?」良い子はそこで気がついて欲しい。弱者から奪うより分ける方が何倍も楽しいってことを。やってみたら、この上もない喜びが湧き上がってくることをすぐに実感する。

そして弱い私は、競い合うより助けて〜を選ぶのだ。
だって、向いてないことをしたら、かないっこないし疲れるし。
私の得意なこと(冷蔵庫の残り物から素晴らしいディナーを作ってしまうとか)をルンルンやって感謝された方が、できないことを泣きながらやって失敗ばかりするよりずっといいに決まっている。

と言うわけで、今朝はなんだか物書きモード。
これも、人前でお話しするより私が大好きなこと見たいね。
(呼びかけ人真奈美より)

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