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冒険をせよ、でも必ず帰ること(山極壽一さん)

SHIMA-NAGASHIとは、早稲田大学ビジネススクール教授・入山 章栄(いりやま あきえ)さんに監修頂いている次世代リーダー/経営者候補向け研修プログラムです。また、年1~2回、完全招待制にてエグゼクティブ(経営幹部)向けプログラムも実施しており、今回は特別ゲストとして元京都大学総長であり総合地球環境学研究所所長、霊長類学者の山極壽一(やまぎわ じゅいち)さんをお招きしました。

人間の定義とは何か?をゴリラを見ながら考え続けてきた山極さんから、面白い話がたくさんあったのでお裾分けさせて頂きたく記事を作成しました!

日本は大事なことを忘れてしまったんじゃないか

山極さんが海士町に到着されて色々なところを歩いた後に、海士町の大江町長、中川副町長、吉元顧問を交えて対話しました。山極さんの自己紹介から面白い話が盛りだくさん!でしたので一部ご紹介します。

風と土とオフィス(村上家資料館)の縁側に座る山極さん!

「今は京都に住んでいますが、40年あまりアフリカに通ってゴリラの研究をしてきました。最初に始めたのはニホンザルの調査で、青森県の下北からニホンザルの生息地を9カ所訪ね歩いて、最後にたどり着いたのが屋久島。というのも、サルが美しかったんですよ。鳴き声とかね。動物園のサルって鳴かないんですよ。鳴く必要ないから。でも、自然界で暮らしているサルは色々な声で鳴きます。これがやっぱり美しいんですね。声も美しい。枝から枝へ飛び移っていく猿の美しさってのは、やっぱり見てて惚れ惚れとします。いいなぁと思って住み着いてしばらく調査をしました。 

僕には故郷と呼べるところは4ヶ所あります。屋久島はその一つ。あとアフリカ。コンゴ民主共和国東側のカフジ=ビエガ国立公園に最初に行ったのが1978年。もう一つはガボン。ガボンは1994年になってから行くようになりました。それから犬山市ですね。1983年にモンキーセンターに就職して、5年半いました。今でも付き合いは続いています。 

今回、ご縁を頂いた隠岐の島は昔から気になっていました。隠岐島前高校が有名だったしね、特別なことしているよなぁという思いがあって。さっき言ったように僕はずっと僻地で暮らしていました。アフリカの本当に僻地です。そこにいる人たちの、世界観、自然観、人間観に付き合ってきて、いま日本は大事なことを忘れてしまったんじゃないのかなと。どうしてもそんな気がするんですよね」。

都会に住んでいるがために無理なことをしている

「人間の定義とは何か?をゴリラを見ながら考え続けてきました。人間は昔から人間だったのではなくて、人間もどきから出てきた。ゴリラとは700万年前頃から分かれてきて、ゴリラと人間が共通しているのは同じ祖先を持っているところ。ゴリラと人間が違うところは、人間だけけが独自に進化した特徴を持っているところです。そのあたりに人間の本質が眠っているんじゃないかなと思っています。 

現代、特に都会の暮らしの中での僕らの特徴は“所有”とか“定住”。今僕らが着ているものは人間の価値、あるいはジェンダーを表しています。でも、それらはマーケットの決めた価値観。我々が決めた価値観ではない。

アフリカの僻地に行くと、服なんて使い回しです。誰も自分のものなんて持っていない。あと、ゴミが出ないです、絶対出ない。とにかくみんなで使うからゴミが出ない。しかも家は土間で土壌の中に色んな虫がいます。子どもはおしめなんてしてないですよ。土間で垂れ流すと鶏が来て食うのできれいなんですよ。都会で住んでいるがために無理なことをしている気がするんですね」。

 過疎こそ教育にはベストな地域

「アフリカでは親は子どもほったらかしで、じいちゃん、ばあちゃんがいつも子どもの相手をしてくれています。学校はそもそもありません。村の長老が8歳から15歳くらいの子どもを連れて、ジャングルの中に1日半くらいかけて連れて行って2~3ヶ月滞在するんですよ。何も持って行かない、森で採れたものしか食べてはいけない。男の子はじいちゃんが連れていく。女の子はばあちゃんが連れていく。

そこで色んな植物や動物、魚や鳥を採って食べながら、昔話をするんですね。僕はその昔話を収録させてもらったんだけど、夜は焚火をしながら子どもを連れて行っている男たちがそれぞれ持ち話を話す。一人100話くらいの持ち話を持っています。それを代わりばんこで話す。途中で手拍子が入って、歌が入って、それでまた話が始まる。その話をハディシと言うんですけどね。それが歌のように語り継がれて、子どもは眠っちゃうんだけど。話の中に人生訓とか、森の怖い出来事とか、物語として入っているんですよ。それがとても面白くて、教訓的で。物語の出来事に森の中で実物に出会えるから、現実感が増すんですよね。そういう中で覚えていく。

隠岐島前高校の生徒と話す時間

そういう教育を見てきた者からすると、今の日本の教育ってやっぱおかしいなと思いますね。日本は江戸時代まではね、教育制度はなかった。300年近く280くらいの藩があって、それぞれの藩が郷土教育をしていたわけです。そこでかなりの部分で郷土のことを教えていた。今は郷土教育ってほとんどしてないわけ。

今の教育制度というのは、実は産業革命の後にできた国民国家のときに生まれたんですね。言葉を国で統一して同じことを教える。どこでも同じことを教えるから、地元のことなんて教えなくていいんです。何を教えるかと言ったら、究極的には、国のために尽くしてくれる人をつくるわけです。アメリカだろうが、ドイツだろうが、フランスだろうが、国民国家が生まれてからそういう教育制度になってきた。

だけど、今それが暗礁に乗り上げている。なぜかと言うと、この変化の多い時代に、これまでの経験値に基づいて、計画的に物事を進めるような、杓子定規なやり方を教えても役に立たないわけですよ。

迫りくる変化に直感で対応し、適切な行動をとる。最適な行動でなくてもいいけど命を失わない行動をとる必要があるわけ。で、そういうのはやっぱり僕がアフリカで見てきたような教育の仕方。文字に表せるような、これまで起こったことの集積ではなくて、実際に現場に行ってそれを体験させるということなんですね。これからは応用なんですよ。古い知識をそのまま教えて、繰り返させるんじゃなくて、新しく起こってきた現場に一緒に行って、それを体験しながら、応用できるような知恵を教える。それがこれからの時代には必要な教育です。

山極さんから高校生に最後にエール&メッセージ

そしてもっと必要なのが気概ですね。人生に対する、あるいは世界に対する挑戦心。変わりゆく環境の中で自分を保持していられるような自覚と自信。そういうものを教えないといけない。これは学校では教えられていないんですよ。もちろん、ある時代には教育制度は役に立っているんだけど、今の時代はもっと変えないといけないという気がしていて。だから、話が長くなってしまったんだけど、実は過疎や地域が教育にはふさわしい場所だと。

今、日本では過疎が問題になっているんだけどね、「過疎こそ教育にはベストな地域だ」という気持ちを抱いているから、今は過疎地域を巡っているわけです。面白いなと思って。地域の人たちと協力しながら、地域の特性に合った色んな試みを30代、40代のIターンの若者たちがやろうとしている。そういうことが色んな地域で起こっています。そういう動きが日本中で起こっているのはとても面白いなと思っていて。それらが繋がることができれば教育だけでなくて、政治を変えるようなアクションになるんじゃないかと思う。今回の海士町への訪問をとても楽しみにしていました」。

濃密な言葉の数々にみんな、うんうんと頷きながら聞いていました。そして、SHIMA-NAGASHIのプログラムディレクターである島田由香さんから、「私、郷土って言われたら自分にはないなと思っちゃうんです。東京生まれ東京育ちで。今の話から、東京で生まれ育つ人が増える中で郷土教育みたいなものをどう体験をさせてあげられるのか?」という質問が出ました。それに対して山極さんは、、、

都会と故郷の違いを逆転させることが必要

「だからチャンスなんです。明治維新以来、東京に農家の次男や三男、四男が集められました。今東京に残っている人はそこから5~6世代後なんですよ。その人たちに故郷はない。故郷は幻想になったんです。

みなさん故郷って言われると何を思い浮かべますか?『故郷』って歌があるじゃないですか。あれは故郷を幻想風景として明治時代に作った幻想なんです。故郷は変わらない、都会はどんどん変わっていく、変わっていく中で立身出世をはかり、軍人になったり政治家になったり、事業家になったりする子がいる。でも、故郷は変わらない。いつまでも待っていてくれるよ、という歌です。

でもそれは幻想です。故郷も変わっちゃったわけ。戦後、特に日本列島改造で海岸はテトラポットで埋め尽くされ、コンクリートの防波堤ができて、スーパー林道、拡大造林でどんどん山は切り崩されて変わっちゃった。幻想は成り立たなくなった。歌の世界でしかない。だけど、ずっとその幻想にしがみついて故郷はあるものだとみんな思ってきた。

神輿は計画したルートを外れて色々なところを練り歩く

だけど、もっと現実に立ち返って、都会と故郷の違いを逆転させることが必要なわけ。地域や地方に新しい価値があって、適度な数の人がいて、なおかつ今の情報機器を使ったりしながら、自分たちの手で自然と共に面白い取り組みができる。都会ではできません、なんせ自然がないんだから。そういうことを見出す。故郷幻想にしがみつくんじゃなくて、自然がいっぱいある所で子育てすると良いでしょじゃなくて、もっとなんか色々出てくる。地域や地方は宝の山なんだって考えたほうがいいね」。

日本人は過去を捨てない

「昔の考えはさ、地域には職業がないから工場を誘致してそこにポストを作る。まさに埋め立て地やスクラップアンドビルドの考え方。地域で残っているものはみんな古くて役に立たないので新しいものに変えていこうというね。

だけど、それはもう古い考え方で、今はブリコラージュと言う考え方。リノベーション、イノベーションですよね。昔からあった家屋や施設や場所をその昔の価値を完全に壊すのではなくて、新しい価値と合体させて、価値を高めることができるようなブランディングをすることが必要でさ。そこにはアイデンティティが必要なんだよ。

ドナルド・キーンさんと対談したときに言ってたんだけど、日本の魅力っていうのは、「日本人は過去を捨てない」。それが特徴だって言ってたのね。ローマでも、パリでも、ロンドンでもさ、遺跡は残っているけど人々の暮らしはみんな変わっちゃったわけですね。現代的な暮らしになっていて。

でも、日本の人たちはまだ日本の昔の服を着て、昔の食事をして、昔の暮らしを半分以上残しながら暮らしている。遺跡じゃなくて、実際の暮らしの中に昔の物が入り込んでいっているっていうのは、世界でも珍しい民族だって言っていた。それが頭に残っていてね。それが世界の中での強みになるのではと思っているんです。

鉄筋コンクリートで全部変えちゃったんじゃなくて、木造家屋が残っていたり、昔の船が残っていたり。完全に現在の技術やデザインに依存しているわけじゃないんだよね。現在のインターナショナルな風俗に心まで奪われているわけではないというのが、日本人の大きな強みになるんじゃないのかな」。

変化の多い時代では“小規模”が生き残る強みになる

「もう一つ言いたいのは、日本は大規模な農場や牧場ができなかった。日本列島の中央に脊梁山脈があって、島国で急峻な地形だから、全部小規模なんですよ。だから強いんですね。大規模で均一な農場や牧場は、気候変動に弱いし、病気に弱い。病気というのは家畜から来るから、ドラスティックに破壊される恐れがある、でも、小規模だと部分的には壊滅したとしても、全部壊滅することはない。部分的に点々と小さく残る。それをつなげてみんなが助け合うことができる。

変化の多い今の時代では小規模であることが生き残っていく強みになる。どこでも同じことをやるんじゃなくて、それぞれ個性的にやらなくちゃいけない。それこそが日本人のアイデンティティになってきたわけですよ。江戸時代には280くらいあった藩が、廃藩置県で47都道府県になっちゃったわけでしょ。ところが、日本は面白いなぁと思うのが、日本人のアイデンティティはまだ藩なんですよ。

さっき言ったみたいに、現代は故郷がなくなっちゃった人たちが溢れているわけだから、そういう人たちと一緒に新たに故郷文化をつくらないかんわけ。それは幻想の故郷文化ではなくて、これからの未来にはばたけるような文化やね。科学技術もおおいに使っていい。だけど、その土地のアイデンティティを保つためには、自然を完全に切り拓いてしまってはダメなんだよね。神社は残さないかんし、お祭りも残さないかんし、昔から伝わってきた清掃活動もみんなが参加するような形で残していかなくちゃいけない。それを大切にしながら、でも一方では通信技術や科学技術を使いながら豊かな生活をデザインしていきましょうと。ここに住まなくちゃいけないわけなので」。

話が盛り上がってくると関西弁が出てくる山極さん!一旦、ここで一呼吸。
ここまでを聞いた参加者から「山極さんがついつい考えてしまうことは何ですか?」という素朴な質問が。それに対して山極さんは、、、

 物事を考える時には「縮尺の法則」を使う

「僕はずっと人類の祖先のことを探求していると思ってきたから、時間的スケールが長いんですよ。700万年位あるから。どういう段階で、どういう能力が人間に現れたのかという、まぁタイムマシンみたいな地図が自分の頭の中にあって、それに照らし合わせながら、地理的な話を考えている。

僕の師匠の今西錦司という人が、物事を考える時には「縮尺の法則を使え」と言っていました。頭の中で縮尺を変えていくわけですよ。そうすると人が見えてないものが見えてくる。ということが多々ありますね。

例えばさ、隠岐でね、美しいと言われてきたものは何なのか?そういう観点から眺めてみるとね、美しさは時代によって変わっているわけ。風と土とのオフィスが入っているこの村上家(資料館)もその時代はゴージャスな木造建築だったと思います。それが戦後、木造家屋がすごく卑下される時代があって、プレハブだとか鉄筋の家ばかりができた時代がありますよね。屋久島なんかもね、長方形のコンクリートの家、これが台風に強くて腐らないとなって大流行りになってそればっかり建てられたことがあるんですよ。それでみんな同じような家ができちゃった。

村上家資料館は築124年の美しい木造建築

その後、やっぱり木造の家がいいよな、自分の山から木を切ってきた木で作るほうがいいんじゃないかという考えが浮かび上がってきて、今は木造の家が増えてきているんだよね。なんかね、そういう美意識みたいなのは移り変わる。世界的なムーブメントに影響されるんだけど、人々がどういう話をしてきたのかというところが肝じゃないかなと思いますよね」。

 美意識は価値観とつながっている

「美意識というのはクオリアみたいなもので、価値観とつながっているから、人間の生きる姿勢みたいなもんですよね。美しいものに感動するし、美しいものに敬意を払う。生まれつき美しいと思える心があるわけじゃない。美しいものは先にあるわけじゃなくて、それが人々の間に育っていくわけじゃないですか。だから、美意識は文化なんだよね、進化じゃなくて。

僕が育ってきた日本の文化の中には、サルだけじゃなくて、動物や野生の生物が美しいと思える感覚みたいなものがある。だから、動物園の動物と野生の動物を比べるとやっぱり野生の動物の方が「かっこいいなぁ」と思うんだよね。単にはく製としての美しさじゃなくて、身のこなし方や鳴き方、動きが入っているわけですよ。それはね、人間に対しても言えるわけ。昔はね、年寄りがかっこよかったんですよ。和服の着こなしも。

SHIMA-NAGASHI参加者でお祭りに参加!

僕はね、ゴリラを見てて考えが変わったとこがある。それはね、腹が出たり、ハゲたり、白髪になったりっていうのは、女性にモテるためじゃないんですよ。子どもを安心させるためなんです。ゴリラのオスって、大体、壮年期を過ぎると、腹が出てきて、頭も尖がってきて白い毛が腰まで下りてきて、すごく美しくなるんですよ。そうするとね、子どもがどんどん寄ってきて、周りに群がってきます。もうメスは群がらないけど(笑)。そのくらいの年になったらメスはいらないんですよ。子どもと一緒にいる。そういうのが、楽しいんですよ」。

深い頷きと笑いが絶えない時間があっという間に過ぎました。この後は海士町菱浦地区のお祭りに参加してまた色々とお話をさせて頂きました!そして、翌朝、朝ごはんを食べながら山極さんと話した内容も濃密だったのでご紹介させて頂きます!

 自分を変えるには、世界の境界を作る必要がある

「やっぱり祭りはハレのイベント。今はハレっていう感覚が分かりにくくなってるでしょ。特に子ども達にはね。ハレとケ。我々はケの世界にいるんだけど、お祭りは、ハレなんですよ。でも、実は森もハレの世界なんです。海もハレの世界。だから、森や海の前に鳥居が立ってるんですよ。

お祭りの神輿が奉納されている御倉神社の鳥居

昔の人はみんな森に入る前や海に行くときに禊をした。神の世界に行くから。そこに行くときには、行いを改めないといけないわけだよね。ケの世界にいるときの行いと、ハレの世界にいるときの行いは、装束も、行動も、違うんですよ。山伏は山に登るときの装束を着て山に登ったわけだしさ。海に行くときも、お神酒をまずまいて、海の神様にお願いをして行くっていうのが昔の習わしだった。単に儀式をやればいいってわけじゃなくて、心構えと、行為の問題なんです。

代々受け継がれている島前神楽(どうぜんかぐら)

今は、子どもにとってはずっと日常でしょ?だから、そうじゃなくて、心構えとか気構えとか、なんかこう、自分を変えるような、非日常や世界の境界みたいなものを、どっかで作る必要があるんだよね。今回のSHIMA-NAGASHIもそうだよね」。

自分が時間の中で生かされている

「海士町で感じたのは“共にある時間”。自分の時間ではなくて、共にあるというのは、人間と共にある、自然と共にある。自分で時間をコントロールしているんじゃなくて、自分が時間の中で生かされているという感覚。

良い会社というのは、「そこにいたい」「一緒にそこにいることが幸せ」とみんなが思っていること。そのために自分が何をしたらいいのかを、肌で感じる。それはあらかじめ決められたものではなく、常に自分の心や体に迫ってくる。

昨日のお祭りみたいに、みんなの中にいながら、何も言われないけれど、自分が何かをしたいと思う。例えば、子どもたちと川遊びに行って、火を焚いて、食事をするとなった時に、みんな何かしなくちゃと思う。何かしたいと思う。薪を集めてきたり、鍋洗ったり、配膳したり、火をつけたり。みんなが一緒になって、何かの目標に向かって、それぞれの能力を発揮しながらやっている姿、それが共にある時間。それが美しいと思ったり、幸せだと思ったり。

都会では決められた時間を自分で生きるしかない。あるいは自分で時間を獲得して、他の人に無関心になりながら、自分でスケジュールを立てて、それを淡々とこなさなくちゃいけない。他人の時間を盗んで、あるいは他人を自分の時間を引き入れて、自分の時間も他人の時間に合わせながら生きてかなくちゃいけない。それは幸せじゃないんだよ。美しくない。

過疎地では、自然が語りかけてくれる。それは共にある時間で、自分の身体や外にある何かと常に会話をしている状況。自分の外の自然が語りかけていることをキャッチする。熟練の人だと鮮やかに調和しているから分かるわけね。昨日の神輿の角の白い紐を持っている4人の男たち、あるいは神輿を中で担いでいる熟練の男たちって、そういうのを心得ているから怪我もしないし、見てておーっと思うように鮮やか。自然な流れ。自然に体が動いているでしょ?意識しなくたって。あ、こっち行ったらまずい。みたいな。

白い紐を持つ4人は円を描きながら自然な流れと調和する

現代人って、予定を立てないと不安でしょうがない。昔は予定なんて立てなかった。自然が語りかけてくれるから、社会が語りかけてくれるから。教育なんて別に大人がスケジュールを立てて、カリキュラムを立ててとかそういうものじゃなくて、大人のやっていることを子どもが近くで見ていて、そのまま振舞えばよかった。それがだんだん身について、自然に振舞えるようになる。祭りってその典型なのよ」。

 人間が社会的存在である理由

「人は常に誰かに見られているわけ。誰もいなくたって神様が見ている。それが人間の身体の動き方。だから、道徳というのがある。誰も見ていなくてもこんなことをしてはいけないと思う。常に誰かが間にいたり、誰かが見ているという感覚。それが、人間が社会的存在である理由。

他者の目というのを人間は体の中にすりこんじゃったわけだよね。ゴリラは誰も見ていない所ではけっこう勝手な動きをするわけ。見ないことはないこと。群れからいったん離れてしまえば死んだと一緒。元に戻らない。

人間はその存在や姿が見えなくなっても、頭の中で可視化されている。だから戻ってこられる。常にその場所が空いているわけですよ。例えば、出張でお父さんが家にいない時に、毎日座っているイスに誰かが座るとする。そうすると子どもは「そこお父さんの席だよ」と言う。お父さんがそこにいるものという感覚がずっと残っている。それは動物にはない」。

ここで一つ、「海士町に来ると自然体になれるとよく言われるのですか、何がそうさせるんですか?」という質問をしてみました。山極さんは、、、

 毎日変わる風景に体が応えなくちゃいけない

「ここにいると都会にいる時の朝と違う。都会っていうのは、あまり変化がないように作られているから、雨とか晴れとかはあるかもしれないけれど、風景が変わらないわけですよ。毎日同じように電車が来るし、バスが来るし、それに乗って自分は運ばれていき、会社に行き、同じように仕事をする。

でも、海士町では自然の風景が毎朝変わる。鳥が飛んできたり、虫が止まっていたり。そういう風景がみんな違うので我々に語りかけてくれる。それは言葉じゃないけど、五感で、身体で感じるわけ。で、そこに何かが生まれているわけ、自分の中に。あ、違うんだ、毎日毎日が変化している。それに応えなくちゃいけないと体が言っているわけ。自然がドミナントな場所なんだよね。

五感で自然を感じながらゆったりと振り返る時間

都会は自然を消し去って、人工物に囲まれている。人工物は変わってはいけないものなので変わらない。なので応答しようがない。向こうが語りかけてくれないんだから。沈黙するだけ。自分が整理しなくちゃいけない。時間を作らくちゃいけない。自然は向こうが時間をつくってくれる。だからこういう場所では、感じるものから学ぶ経験が得られるんじゃないかな。子どもにとってもものすごく重要なこと」。

続けて、「身体で感じた経験をどうすれば言葉にして他者に伝えるか?」と質問しました。

言葉は身体性を伴っている

「言葉はそもそも切り取ることが機能。なので、ものごとの完全な説明は絶対にできない。人は言葉が示しているものを、自分の体の五感の中に取り入れて、それを体系化しています。

僕がいかにゴリラの話をしても、僕の歴史と相手の歴史が違うわけだから、それは完全には相手に伝わってはいません。相手は自分の経験のなかで、ゴリラと出会って、感じて、山極の言葉からするとこういうことなんだなと瞬間的に考える。視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚を取り入れながら、それがどういう感触なのか、自分の経験の中から解釈するしかない。

一方でAIに伝えるのとは全く違います。AIは身体がなくて情報だけを切り取る、山極ってやつがゴリラについてあーしたこーしたという情報だけ。そこに身体は介在しない。でも人間は身体を持っているから、五感で感じたことを解釈する。それは意図的にやっているわけではなく、自然にやっている。
まぁ、言葉を巧みに操ることによって、それがより鮮やかになったり、より誇張されたりする。それが言葉の持っているコミュニケーションの機能。でも、それ以外にも方法はいっぱいあるわけ。要するに、声の太さとか、大きさとか、顔の表情とか。そういうのを交えることで、より伝えられる内容が豊かになる。

ホテルEntoのラウンジで朝から語り合う

もう一つ言うと、文字というのは言葉の化石化。しかも喋っている本人は目の前にいないわけ。どんなに誤って解釈されても、訂正しようがない。言葉って対面して喋るものだから、いくらでも訂正できるし、いくらでも誤解しているなと感じることができる。でも文字だとそれができない。文字っていうのはそもそも気持ちを伝えるものではない。交渉して、契約するためのもの」。

最後、山極さんがお話してくれたのは「冒険をせよ、でも必ず帰ること」ということでした。

 冒険をせよ、でも必ず帰ること

「昔はよく、「旅の恥は搔き捨て」と言った。自分が住んでいる環境から逃れたら、自分を見ている目が薄らぐ。そこで普段できないようなことができる。そういう文化が日本にはあった。行った場所や文化と会話する。そうすると、それが目となって自分に降り注ぐ。そこでの経験は身体が忘れていないから、自分が住んでいる場所に戻っても身体に組み込まれたものとして振舞える。

僕はいつも言うのだけど、「冒険をせよ、でも必ず帰ること」。行ったきりだと冒険にならない。冒険というのは目の前から消えて、とんでもないことをしでかす。でも、向こうの地で死んでしまったらそれまで。

僕も生還したからゴリラのことを伝えられる。現地でゴリラに殺されていたら、運の悪い男だったね、で終わり。屋久島でサルを見に行った時に台風が来ていて、どーんと海の底まで引きずり込まれて、そのまま波で空中に放り上げられ、岩に叩きつけられて死にかけたことがありました。岩にしがみついたんだけど、そのまま誰にも発見してもらえなかったら死んでいた。岩に付いている牡蠣で血だらけになって、はいずりながら岸に登って大岩の陰で気を失ってた。二日間記憶がないんだけど、神様に助けられたと思っています。だからやっぱり、持ち帰らないと冒険にはならないんですね」。

今回のnote記事は以上になります。楽しんで下さっていたら嬉しいです。山極さんの著書『共感革命』(河出書房新社)は入山章栄さんも大絶賛の書籍ですので、ご興味あればぜひお読みください!

なお、今回の山極さんのご来島は、特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパンさんによる航空機移動のご支援によって、実現することができました。この場を借りて、改めて感謝申し上げます。

■SHIMA-NAGASHIについてはこちら
今回山極さんにお話しいただいたようなことを感じる、2泊3日のプログラムです。ご興味ある方はお気軽にお問い合わせください。





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