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海士町での3年間の出向を終えて。

※下記文章は風と土とメルマガ2023年3月15日より抜粋し弊社で編集したものです。

出向生のサ川です。3年間で出向を閉じトヨタ自動車に戻ります。
最後にいま感じていることを書かせて頂きます。

トヨタ一筋14年の僕が、名も知らなかったこの島へ来たのは3年前。
道行く人が「海士町(あまちょう)」とバックプリントされたポロシャツを着ています。聞くと一般の町民が町のノベルティを着て日常生活しているんだとか。本土では考えられません。

驚きは続きます。若い仲間内が集まり、コロナ禍で島外との人の往来をどうすべきか、を話し合う場に呼ばれました。「なにか発言せねば」と僕が絞り出したアイディアは、なんと翌日には町長はじめ役場幹部が居並ぶコロナ対策会議の主議題となっていました。調整ゼロ、根回しゼロ。来たばかりのヨソモノが、気づけば行政中枢に関わってしまっている。トヨタでは考えられません。

見送りにきてくれた島の方々(左より隠岐神社宮司、海士町長、農業法人組合長)

そのほかヨソでは考えられないことは枚挙に暇がなく、町民一人ひとりが町づくりに自然と参加する、まさに島全体が一つの共同体を成しているのが海士町です。

ただ、僕がそれに馴染むのはなかなか大変でした。
共同体への参加には「顔が見える」が絶対条件です。自分がどんな人間で、何が好き/嫌い、何を願っているのか。
こんなパーソナリティが開示されていないと、共同体の中で担保されるべき安心感は揺らいでしまいます。

巨大企業のなか、人はそんなことに自覚的でいられるでしょうか?開示できるでしょうか?

僕は苦労しました。
極端な性格なので、上司に対して「仕事に個人の情念は持ち込むべきじゃない」と啖呵を切ったことがあるくらい、トヨタでは個を見せず、役割や肩書きに徹していました。

なので海士町で求められる自己開示は辛く、それは1年間を超えて辛かったのですが、今となっては農家から学生まで様々な方から相談を寄せてもらえていて、この島で顔が見える存在になれたと思います。

いろんな人が見送りにきてくれました

この自分の変化は、海士で暮らす人との交流のなかで自然と起きていったなと、今は振り返っています。
ある漁師さんは「島で魚が食べられなかったら寂しいだろ。だから続けるんだ」、役場の課長は「大人が島暮らしを楽しんでる!ってのを若い奴に見せるのが俺の役割」と、自分の生き様を自分の言葉で話してくれました。

本物の“人の生き様”に触れること、感じたことを素直に言葉にすること。
こんなことから僕も天然健全な自信が持てるようになり、顔が見えて、自分の器がずっと大きくなったと感じています。トヨタでのキャリアや働き方にも自分ごとで愛着を持てるようになりました(島に来る前はめちゃくちゃアンチでした)。

“いま企業に必要なこと” の類が各所で云々述べられていますが、僕は一人ひとりが「納得して自信を持つ」ことがすべての根っこだと確信しています。企業のなかで人が良く生きることで会社は良くなります。

風と土とではSHIMA-NAGASHIの立ち上げに携わってきました。
僕が経験した「良い越境体験」の機会を、グッと濃縮してつくり、納得と自信を持った企業人を増やす、こんな思いを込めています。

最後に。
3年間で島内外のたくさんの人にお世話になり、けっこう迷惑もかけました。とにかくありがとうございます。
トヨタに戻っても「良い越境」が起こす変化を信じて、少しずつでも確実に変化を生んでいきます。
また暫くするとトヨタが日常になるので、非日常の海士町に越境してきます。そのときまで!

風と土と 卒業生&パートナー
佐川 洋介


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