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展覧会「津田青楓 図案と、時代と、」で出会った言葉など

松濤美術館での展覧会は終了してしまいましたが、展覧会を紹介しているサイトをみつけました。会場内の動画もあり、ちょっとだけ作品と雰囲気が覗けます。

展覧会に行った時の記事↓で

記したいことがまだあるな…と思っていたので今回は続編な感じです。

作品だけでなく、会場内で紹介されている言葉にも心に残るものがいろいろありました。(著書も読みましたが、その文章もとても魅力的でした)

「…われこれしきのことかけぬことなしと
夜のひまひまに泥絵具おぼつかなくても
なすりつけてかきあげ…」
~晩年の青楓の著書から一部抜粋~

当時人気の作家の作品をみて、自分にも描けると描き、その後16才で図案集出版に至ることになるエピソードの回想、冒頭部です。
「自分にもできる」…そして実際に描いてみた。日々描く時間をみつけて、格闘もしたように窺えます。

; 自分は一生主家に出入りして頭を下げるのは性に合わないと考えた…美術学校に進む友人…将来を思いつめ奉公先を飛び出してしまい親元にも戻れない、自分で生きて行くしかない;

という背景、また才覚あってこその強い気持ちの話だとしても。すごい人も「とにかく実際やってみた」んだ…というところがシンプルに伝わってきました。特にそのきっぱりとした気持ちと行動力が、おぉっ…と自分の中で強くクローズアップされました

はっきりとした自分の考えをしっかりと行動に移す…このほんのほんの少しだけでも日常生活に取り入れられまいかと万年怠惰な私には 憧れと刺激に満ちた言葉でした。(いつも刺激だけはすぐ受けて自分の中で騒いで終了…)

展示のひとつに、さっと描かれたようなエジプトのダンサーの挿し絵がありました。(冒頭の展覧会紹介サイト内に小さいけど載ってます)
シンプルな黒い線だけで異国の雰囲気と踊りの動きが伝わってきて面白いこの絵は火を消した後のマッチ棒の先にインクをつけて描いたそうです。このことについて


「自分の厭なところが消えてしまって偶然が介入する」ことが面白いと語っている

そうで、余裕のあるとらえかたがいいなと感じました。"巧い"こと描こうと"させてくれない"描きにくい道具にまぁいいかとちょっとまかせていたらなんか面白いもんでけた~とかも想像してみた。


猫グッズ目当てで行った漱石山房で
津田青楓を知ったように、今回の展覧会でも当時代の気になる作家等々、沢山知ることができました。
またいつかどこかでその人物につながったり広がったりするかもしれない。
こうやって思いもかけない連想ゲームみたいな出会い、いいな!と思いました。

会場の一角に 「木版印刷の書籍を日本で唯一刊行する」美術書出版社、芸艸堂うんそうどう を紹介するビデオが流れていました。
浅瀬から海を眺める船頭さんの後ろ姿の絵が版を重ねて色が入り出来上がる様が早送りで映りました。ほんの一瞬ぐらいのシーンでしたがそれをみて不思議な気持ちがわいてきた…
いつかの大海をみているいつかの船頭…
その後ろからその絵ををみている今の私…
その間にはその絵を描いた人、関わった職人、絵を観たいつかの人達等々のいくつもの視点もあり…
あぁ…観察かぁ…
元気がない時など、なんで生きてる?とかなんのために人間ている?…みたいな気持ちに陥いることがある。もし人間がひとり残らず居なくなったらどんなかたちでも自然を感じ、表現したり…観察、認識する存在としては少なくとも居なくなるなぁ…
かたちある表現にならなくても、なんなら何かしら感じたというだけでも自然を認めたことにかわりはない。さらにどこかに(どこに?)それが吸い上げられて記録されてたりして…
猫かわいいなぁ、鳥かわいいなぁ、偶然みかけた花や木に感動した、風が気持ちよいなぁ、○○が気に入った、気に入らん 等々、
、はい、今「あなた」によって認識されました!okです!…アホかな?笑

ビデオのワンシーンをみてなぜか浮かんだ単純な思いつき…なんだけど、とりあえずそれだけでokなんですよ~と言われたような感覚がわいてきて、あ~そうなんですか~となぜか納得していた。…アホだな?笑

(記事公開後①②に削除線いれました。このやりとりの文言はアホっぽいけど、内容は結構外れてないかもよ…って後日改めて思うこと多々あり…の為)

明確な答えも真実もわかりっこないけど、存在理由だ、価値だなんだに苦しむ時、こんな理由づけもなぐさめになるならいいんじゃないか!と軽い気持ちになり会場をあとにしました。(こんなのばっかりだな~)


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