光明が差すまで

「すいません。ここ。ここね、危ないから。ロータリーでバス通ってるから」

深夜の駅前。すべての電車が止まっている。ドラムバッグを頭の下にして、横になりながら見下ろす警官2人の顔を見る。
身分証明書を見せるように言われたけど、耳に言葉が残らず、
雰囲気でそのように指示されたのだと認識する。

「この辺の漫画喫茶とかあるから。そこに泊まってね。お金かかるけど」

酔いと寝ぼけのため苦労して財布から身分証として出した保険証を出し、また苦労して、しまう。
手書きの住所が読みづらくて、聞き直されたが、
引っ越したばかりの住所を答えるのにまた苦労する。

(泊れたらこんなとこで寝てねぇんだよなぁ)

どんなに寝ぼけてようがこれだけははっきり思った。
もちろん職質が終わったら、黙ってその場を後にしたが。

泥酔の果てに

この日は久々に実家に帰った時だった。
実家に帰ると肝臓の強い母親とその血を引いた俺が酒を飲み交わすことになっている。
食前酒という言葉があるが、うちの場合は酒前酒といった方がいい。
焼酎の前に日本酒を飲むこともあり、確実にその前にはビールロング缶を3つほど転がすことになる。

それも普通の食事と並行して行うので、あらゆる内臓がやられる。
動かないで飲んで食べているだけなのに、食後は満腹感より疲労感に襲われる。
これならば、夜勤で寝ないで帰って寝た方がよほど疲れが取れる。

世間ではアルハラを通り過ぎた、ただの暴力と認識されかねない、
そのような家庭内行事を終えて、十条にあるこもりに向かった。

金を惜しんで、徒歩で向かった。
こもりを選んで向かったのも実家からなら歩けるという貧乏くさい理由だ。
環七をまっすぐ行くルートで行くのだが、途中にラーメン屋などがちらほらある。
中華料理屋や次郎系インスパイアなどドライバー好みの店があり、
金があったら無駄にカロリーを摂取してしまう通りでもある。
あと板橋本町から志村三丁目にはラウンドワンもあり、
ここでカロリーとストレスを解消させることもできる。
飲み会前にテンションをここで上げてから行くのも手だ。

すでにキマっている俺はまっすぐこもりへ向かう。
家から行けるからと書いたが、行ったのは結構、前で、
そろそろ顔を出さなくてはと考えてた時期でもあった。

1日店員がイベントもやっていることもあるが、基本的には普通のバーだ。スナックではない。(そういう日でもない限り)
仮にイベントが行われていたとしても同時並行して営業できるスペースがあり、イベントの空気に巻き込まれて気まずくなることはない。

念のため、説明するとイベントというのは店主や店員、
もしくはその日限りのスタッフが用意したコンセプトを中心に営業する形式で、
ゲームを語ったり、スポーツを語ったり、哲学や数学を語ったりするなどする。
ハマれば好きな話をできる同好の士に囲まれて、
長くて短く感じる時間を過ごせるが、
全く合わないと置いてかれる心配も出てくる。
こもりでは通常営業もしているので、そのあたりの心配はしなくていいだろう。(貸し切りや全体を使う場合もある)

チェーン店やただ酒を出すだけの個人のバーや居酒屋しか知らないと珍しく感じるかもしれないが、コンセプトバーと言って、
そういった特別な方針を定めた営業形態をとっている店も結構ある。
メイド喫茶、猫カフェ、固定日で店員日替わりの店などがそれにあたる。
秋葉原の電気街にある飲食店を思い浮かべてもらえれば、わかるだろう。

あれの即席版で1日限りなものがイベントバーである。
コンセプトバーの一種ではあるが、
そのコンセプトが日替わりなのがイベントバーともいえるだろう。

さて、このときのこもりは特別なイベントはなく通常営業だったはず。
「はず」というのは、調べて行ってないのと、
この後、家飲みからの追加飲みをこの店でやったため、記憶が思い出せないでいる。

とりあえず、覚えているのが次回、東京の西側でイベントバーとして初めて有名店になったであろうエデンで初バーテンをやる人と話をしたこと。
このあたりの人たちは労働と人生に迷いを抱えていることが多く、
今回もそういった内容の若者だった。

起業したり、いきなり辞めて行動に移し、フリーランスだかどうだかわからないような生き方をするパターンもイベントバー周りでは
多く見かけ、眺めているうちに煽られてる感じになり、何もしてないような気になって焦ることがある。
特に生き急いでいるわけではなかったが、現状このままでいいのかという漠然とした不安を抱いていたようだった。

えー、酔った記憶の中、こちらも漠然と答えた内容を書くと、
特に今の仕事に不満がないまでも辞める程ではないのなら、
続けながら、余暇の中で違う生き方を模索したらいいのではということと、せっかくイベントバー知ったのだから、
その中で出会いを見つけて、
いろいろ話を聞いて行動したらいいんじゃないかということを話し、
ゆっくりやってもいいでしょと言った気がする。

なお、この数日後に店長の手伝いをしてたスタッフと飲んだとき、
「めっちゃ説教してた」
と聞いた。いや、すごく否定もできないけど、聞こえが悪い。
たぶんそれなりのアドバイスはしてたはずだ。おそらく。きっと。
まぁ、アドバイスかどうかはともかく話を聴いてはいた。
酔ってようが傾聴はしていたはずだ。信じてくれ。

この日も店は賑わっていた、気がする。
普段は夜に店長のリモコンさんが頑張ってるけど、
昼や夜もお手伝いすることができるので、一度客として来ているなら
その辺りに興味があれば、お話をするのもいい。

ちなみにここで固定で入ってた人たちの一人は店長になり、もう一人は結婚している(店は無関係)ので、とても縁起がいい。
地元の人たちも普通に来て、常連だけの輪にならないので、
何かやりたい人はここで修行がてら行くのもおすすめ。

そして、閉店になった店を後にし、借りているシェアハウスに戻った。

はずが、気が付いたら、
深夜の駅前ロータリーで轢かれないように隅で寝ていた。

渋々、泊まる店を探すふりをしながら、外で寝られるスペースを探した。
まだ2月で寒さがあり、人だけではなく、寒さからもしのげるような場所を探し、
最終的には公園で猫を見つめながら滑り台に収まるようにして寝た。

(お前はそんなこと言って、深夜の野外で過ごすことになるんだぞ)

そして、よれよれになりながら帰宅。
現在住んでいるシェアハウスの前のシェアハウスで、
寝心地は精神的には最悪だったが、公園の滑り台よりは極上だった。

その後、荷物を確かめた後、忘れ物をしてることに気づき、
こもりに取りに。しかし、まだ荷物が足りない。
仕方なく、また終電を逃して降りてしまった駅へ再び飛んだ。
遺失物届を交番に出した。しかし、未だにそれは見つかってない。
交番に行った時点でどことなくその予感はしていたので、
さほどショックではなかったが。

ホームグラウンド、アンダーグラウンド

うっすら悲しみと後悔の中、
この日はmojaでバーテンダーをやる予定の日だったため、江古田に向かう。
終電を逃した先とは言え、せっかく来たので自分の財布で買えそうな手土産としてせんべいみたいなのを買った。

一応、この顛末を店長に話してみたが、あまりウケが良くなかったので、
もう会話に登場させるのは止めようと胸の中の本棚にしまっておいた。

mojaはがっつりイベントバーだ。担当が店長でない日は店長はいない。
もし担当が別で店長がいたら、それは店長ではなく、遊びに来た安い客だ。お金を交換しても身内で回してるだけになるので、
本当に安く、たまに騒ぐので、マジで客だったら蹴り出したくなる。
しかし、その様子がTwitterに上げられ、
「来ればよかった…!」と後悔させるほどの効果はあるので、
水商売を斡旋する広告トラックみたいなうるさい広告塔だと思えばいい。


本意気のイベントバーなので、本当に毎日違うことをやっている。
よく見ると毎週固定のように入っている、イベントもあるが、
気のせいだし、基本的には違う企画を毎日行われている。
(初見歓迎は店長の唯一の労働なので固定でやっている)

これだけいろいろなことをやっていて、
企画でこんがらがりそうな様子からモジャモジャの"moja"と名付けられた。

嘘だよ。

店名の由来が知りたければ、店長本人に会いに行ってください。
秒でわかります。あえて店で見てください。店に行くのです。

まぁ、たまに来ないし、いないけどね。
なので、初見歓迎がおすすめ。これもたまに違う人がやってるけど。

こことの付き合いも長くなった。結局、1年以上の付き合いとなった。
ということは「無職だ、バイトで生きてる」などと公言して1年以上になるわけだ。すっかりダメ人間として定着してしまってる。

社会の輪から外れて

自分の将来に不安を覚えながら、というよりもその不安な将来を過ごしている今。社会的には底辺に位置するけど、精神的には救われていて、正規雇用の時よりは満足して生きられている。

一時期は会社員という身分があり、
余裕の中から交流できている人たちをそこそこに恨めしくとらえていたが、
よくよく考えたら、一瞬であるが、そういった時期が自分にもあり、
その時はそういう友人や世間の人たちのことなど、考えてもいなかったはず。

そして、そんな環境にいながら、不満を覚え、離れていったのは自分だ。
後悔はないけど、今を見て恨むような筋はない。
結局、どんな生き方をするにせよ、不満の種は尽きないし、
今の幸せだってあるはずなのに、渦中にいるときには気づけない。
他人と幸福度を比べることはできないが、自分の生きてきた時間軸の中で、自分の尺度で自分がどのくらい幸せなのかわかるはずだ。

そして、今、間違いなく楽しいといえる人生の中にいると言い切れる。

組織の中の縦か横しかない繋がりに生きて、社交辞令の交流をして、
決まりきった業務を覚えてこなし、
イレギュラーに対応して理不尽な評価しか得られなくて、振り替えると多くもない手取りと薄い技能しかない。

楽しくもなく、濃くもない。その中から満足できることを探さなくてはならない。
砂漠で水滴を見つけて、口にして恵まれてると言い聞かせなければやっていけない生き方。

これが俺の組織にいた時の感覚だ。

だったら、社会と手を切って、
面白いか楽しいしか思えないような人生に生きた方がマシだった。
金もないし、食うものにも困るような恥しかない生活をしているけど、
労働の中に生きるよりは断然、人間をやっている。

これが言い訳になってしまっては全くもってよくはないのだが、
すっかりライターでやっていきたいという目標に近づけていない。
目の前の楽しいことをやって、将来がダメになってしまっている典型例だ。

だけど、過去に今を殺して、将来の糧にするような生き方も少しはやったし、考えたけど、自分にはどうしてもできなかった。
結果には結びつかないし、全然、糧にできるような能力もなかった。
ただただ忍耐の日々となってしまった。
そういうポンコツな10代、20代を経て、若者に交じって30代をやっている。

この年になれば、結婚もしていれば、子供もいるかもしれない。
管理職にだってなっていて、多くの後進を育て、地位を確立する。
次のステップは家族と一緒に安定して過ごし、
組織や地域のために何ができるか考えるような、
自分から社会へ目を向け始めるフェーズに突入している。
そういう年齢だし、それができるはずだ。

だが、俺はといえば、
未だに人のやっていることを眺めながらも特に動くことができずにいる。
自分の生活に精いっぱいで社会どころか人生すらままなっていない。
楽しいとは言え、そういったその日暮らしの現状を目にすると、
自分の周囲の世界に嫌悪感を抱いても仕方ないのかもしれない。

捨てたものが全て嫌だったわけでもなく、
今拾ったものも全て欲しているものではない。
しかし、認知の問題でもあり、よかったとも思えばよかったものなのだ。
感情の生き物でもあるから引け目を感じたり、
ネガティブになってしまうこともある。
それでも、振り替えると幾分かはいいことも多いので、
ダメなところがあるにせよ、全体的に見て、良いのではないだろうか。

不安定な身分で多くの人と接するような生き方をするとこのようなことを考える。
あまり考えすぎてしまうのなら極端に考えるようにしている。

今死んで、後悔はあるか。

そのように考える。後悔がたくさんありすぎれば、
本当にダメな生き方をしてるし、
少なければ、いい生き方をしているととらえる。

元々、単純な人間なのでいっぱい考えても訳が分からなくなるだけなので、
とりあえず、極論で判断して、いい人生と言い聞かせて納得している。
少なくとも砂漠の水滴で満足しようとしてる環境よりはだいぶマシだ。

始まって、続けてみて

1年前にイベントで立ち、まだ1日店長が揃えられず、
入るならこの時しかないと思っていた。
その矢先、無職になった時に「無職バーやりませんか!?」と聞かれたのが始まり。
これは本当に記憶が薄いけど、
この時はまだイベントなんてやったこともないし、
大体、フォロワー少なめ、
特技も何もない年増が一体何ができるのだろうと思い、
緊張はしていたはず。
あの頃は知ってる人といえば、その場で飲み仲間になり、
島に行くことになるまでになった人、
店長に、エデンでもバーテンを務めた人くらいだ。
(たぶん、登場する記憶は前後してるかもしれないが)

この後1年もすれば、30人くらいならすぐに思い浮かべられるほど、
知り合いや常連が増える
とは思いもよらなかったときだ。

もともとこのゆるいイベントバーでの立ち振る舞いは見て覚えてるので、
初めての人よりは落ち着いてできるけど、
本当にできるとは思っておらず、不安はあった。
それでも俺が出したのは貧乏生活で覚えたパスタとかそんなんだけどね。
後に焼きそばも出すけど、それ以前の話だ。
このときはビギナーズラックというか開店ラッシュがかかっていて、
お客さんが奇跡的に来た。6,000円は売り上げたが、
めちゃくちゃビールを飲むお客さんもいたので、非常に運に恵まれた。

それえが本当に幸運だとわかるの去年の9月くらいになってからだった。

告知もしてないし、何のスキルもない。
ただ無職という肩書のない肩書で立つだけ。
知り合いでも何でもなければ来るわけもない。
とりあえず、俺が図ったのは他のイベントバーにも顔出しまくって、
覚えてもらおう
ということ。

というか、単純に1年間の会社員時代に行けなかった悲しみを振り払うようにして行っただけなんだけどね。
いわば後付けで、出たとこ勝負でやってから考えるタイプなのでそこに戦略やら計画があるわけもなかった。
戦術とかもないので行ったらただ殴るだけ。
いや、店ではちゃんと殴らず、飲んで会話してたよ。

いよいよ、職だけではなく客も無になったことがある。
通算で3回だろうか。
そういう時、報告したら「無~~~!」って店長に言われた。
そりゃそうだ。
やはり、何のない人間が得られるのものなんてそんなものだ。
それを思い知った。

本当はnoteで業務日誌みたいな感じで個人情報をぼかして、
その店の様子を書こうかと思ってたのだけど、
後になるにつれ、思い出しながら書くことが増え、
結局10回目で止まってしまった。
当然、10回じゃきかない数をこなしたのだが、
もう数えるのが面倒なるくらいだ。誰かカレンダー見直して数えてほしい。

店では勤め先の話から地元の話、趣味の話に噂話など店に立たなければ聞けないような話をすべて聞いたのだけど、
バイトとバーの行き来の中で、すっかり記録できずにいた。
バイトが休みでもほかに飲みに行ったり、予定を立ててしまうので、
文章そのものを書くことができなかった。

こうして、ネタがたまる一方で、
現実ではただ動き回るだけで、何も形に残せずにいた。

ただ集客のノウハウは溜まっていった。
一か月前告知、2週間前告知、1週間切った時の告知、顔出す店の範囲や頻度に誘導の会話、客層の選択、
宣伝範囲の狭め方、内容の尖らせ度合い、他店とのイベント合わせ、土地柄による選択…など。
コレクターになるだけで、実践できず、フライヤーすら打たなかった。
唯一打ったフライヤーは自分の誕生日イベントくらいか。


しかも、前日に急に作ったやつ。
一世一代のイベントなのにちょっとなめてる。

しかし、こんなに永続的にやるつもりはなく、いい加減に1年もいたら、バーテン希望者続出するだろうと高をくくっていた。
近くのエデンはそうだし、神田エデンは話題性も相まって開店1か月もしないで予定は埋まり、現在もその状況だ。経営努力。


3月には前回のnoteの最後の方で紹介したおまえンちにも行った。

この時は大盛況で、多くの知り合いが駆け付けていた。
しかし、単価の安さにノーチャージというコスパの良さがすご過ぎて、
「こ、こんなに来ているのに会計が…」
という店側とお客側の驚きが出ていた。

基本的にこの辺りの起業はそうなんだけど、
儲けたいから仕事を始めるのではなく、
楽しくやりたいから始めるので、とても空気感はいい。
もちろん、
この空気を壊さないためには売り上げという燃料が必要になるわけだ。

元は飲食経営可能ではあったが、飲食店ではない店舗であり、
それを店長自らの手で居酒屋風の店へと改装した。
とてもこじんまりとして居心地がよく、地元の人たちもやってきて、
いつの間にか話が弾むような、まさに自分の家のようなお店である。

この後、その雰囲気を壊さず、苦心してこの店は生まれ変わり、
より攻められる店へと変化する。

新居へ

その前に、この日ではなかったと思うが、
ここのオーナーにより提案がでた。

新しくシェアハウスを運営するので住みませんか?とのことだった。
自分のところがすでにシェアハウスであったは、地獄の環境なうえ、
家賃も提案されたシェアハウスより高かったため、即決した。

もう2段ベッドの上で寝なくていい、
コインシャワーケチって水シャワーじゃなくなる、
下がフォークリフトが出入りする謎の製本業者じゃない、
ガスコンロでキッチン使っても邪魔にならない。

住環境が全て改善されるので、最高だった。
場所は北千住に移り、バイト先から遠くなるが、県を跨ぐわけでもなく、
一本で行けるのでそこは構わなかった。
シェアハウス暮らしの割には荷物が多いため、
荷物を小分けにして送る必要があった。

が、やはり金はかけたくはない。
何があっても引っ越し費用など0にしたかった。
そして、思い出して、シェアハウスの人に聞いた。

「すいません。そちらリアカーってありましたよね?借りられます??」

秋葉原から北千住への県ではないが区と川を跨ぐ引っ越しの往復が始まった。

当然、初めの内は引っ越しできる喜びで満ちていた。
だが、運べば運ぶほど空になっていく部屋の中。
1往復するたびに1年前の入居したばかりの姿に近づく。
自分が住んでいた気配が薄れ、どんどんとよそよそしさが出てくる。

住んでた当時は帰るたびに陰気臭くて、店で賑やかにやって帰ってくると、
その差にげんなりしてた。

朝は朝で2段ベッドから降りるのがおっくうだし、
閉塞感にあふれ、申し訳程度の1つの窓から採光される日差しだけで、
一切の爽やかさもなかった。玄関から出るとフォークリフトの作業音がして、心の落ち着いた環境とは無縁の場所から1日がスタートした。

煙管にはたばこの吸い殻が山になっており、
張り紙には大使館からゴミの苦情が出てると書いてある。
目の前には大手不動産管理のスタイリッシュなマンションがそびえ立つ。
かたやこちらは作業所の一角を住居化した粗末な建物。

身体的な住み心地の悪さと立場の低さを認識させられ、
精神的に追い詰めれる住まい。よかったのは立地の良さだけで、
飛び回る派遣バイトの時には集合場所に近くて助かったのだけは救いだった。

人の形をしたゴミ。
玄関を出てすぐに置いてある、乱雑で分別が不十分なゴミたちを見てふとそう思う。
ここは人間ゴミの集積所なのか。
近隣に迷惑をかけ、ゴミもろくに分別できず、
夜中には静かにすることもできなくて、十分な家賃も払えない。
そういった社会への貢献度が低い者たちが資本社会に捨てられる場所がこのシェアハウスだった。

それでも。それでも自分は生きていて、
感情があって、この最低で最高の部屋には思い出があった。
荷物が減るたびに思い出がなくなってくような気がして、
最後、何もなくなった部屋を見ながら、
無理やり、色々思い出した。

御茶ノ水に転属が決まったばかりの頃。
先行きと自分の能力に絶望を抱いた冬。
退職願いを告げた初夏。派遣バイトとイベントバーを駆け回る日々。

明るくはなかった。でも、確かに自分はその闇の中で生きていた。
たった一人の極小規模な戦争だった。ゲリラ戦ですらない。
生き残るためのサバイバルだった。
でも、社会には馴染めず、属すこともできなくて、
一人の自分に対し、社会は生きるための対価を請求する。
何とか凌ぎながら生きてきた。

部屋を空にする頃には黄昏時となり、引っ越しの終盤を彩っていた。
最後に何度も見つめ返した部屋には侘しさと虚しさだけが同居していた。


1日がかりで自力人力輸送による引っ越し作業を終えた。
朝から晩までかかった。
こうして振り返ると三日くらいかかったかのように思えるが、
実際は1日だった。それほどまでに長い1日だった。

地味にリアカーを都内で使うのは2度目の経験で、
人と一緒に箕輪からひばりヶ丘までリアカーを引いたことがある。
その経験が生かされる日が来るとは夢にも思わなかった。
常人なら絶対に生かしたくない経験だろう。
バイトもそうだが、何だか退職してから荷物を運んでばかりだ。

少ない方だと思っているが、
都内の路上で長距離のリアカー引きはトラブルが発生する。


職質の練習だったのだろう。ミニパトの婦警によるもので、どことなくたどたどしかった。
最後には敬礼され「お気をつけて」と言われた。引っ越しをリアカー引きながら警官に見送られるという貴重な体験をした。

本当はこの引っ越しもnoteに書きたかったのだが、
あまりの忙しさに書くことができなかった。
確かに他の記事は上げたが、
この体験だけはどうしても1日で片手間にかけるような内容ではなく、
つい書かずに半年ほどが過ぎてしまった。
なので、これから書くかもしれないので、
ここで気になった人は気長に待ってると記事になるかもしれないので。
これでもまだまだ書いてないことがあるので。

引っ越し先のシェアハウスは明け渡されてないため、
すでに運営されているシェアハウスに泊めてもらった。
とても賑やかで人の話し声が楽しかった。
引っ越しとバイトで疲れてさえいなければ、リビングの会話には同席したかった。

ここで自分でもびっくりするのが、シェアハウスの住民は知らなかったけど、来客の顔は知っていて、住民たちも一部は知っていた。
別のシェアハウスで、すでになくなってしまったエデンハウスという池袋の方にあった2軒あったシェアハウスも1軒の方は全員顔を知っていた。
ただ酒を飲んで話すだけの店に入り浸っていただけのはずが、
大きな人脈を築いていた。
こういう時に役に立つのが分かり、人のつながりに感動を覚えた。

ちなみにこの時泊めてもらったシェアハウスでは住民たちが
マグロを食べまくって、その後は城を買ったらどうなるかを話し、
翌朝、リビングではにはオーナーが肉を食いたいという理由で皿一面のミディアムな肉を食していた。
俺は一夜にして、クソ底辺貧困ゴミシェアハウスからとてつもなくリッチなシェアハウスに来てしまった。
何なら学歴も底辺をひっくり返したような構図であり、
前とは全てが真逆だった。
かといって、番組に出てくるような作られたドラマ感もなく、
生々しい悲惨な現状があるわけでもなかった。
希望も絶望もないけど、
ただそこに淡々とした吹き抜けた現実があった。生きている。

そして、色々とご迷惑をかけ、
明け渡し日に本来住むシェアハウスへ引っ越した。
そこもリアカーを使い、荷物を置きに行った。
大通りではなく、住宅街を行き来するだけなので、まだマシだった。
坂もなく、川を超えるために橋を渡るようなこともなかった。

商店街の人情味のあふれる感じは好きになった。
住むだけの土地ではなく、生活をするための地域だと思えた。
当時は寝泊りさえできれば関係なかったが、
仕事を辞めてからは部屋に滞在することも増えたので、
環境を重要視するようになっていた。というよりは、せざるを得なくなっていた。

仕事で心を捨てているとあまり気づかないが、
雑な環境にずっといると心が荒んでくる。
簡単なことでイライラしたり、何もなくても疲れたり、
やはりイライラしたり。心の余裕がなくなる感じがする。
そして、気持ちへの理解や精神に気遣った行動ができなくなる。
おそらく、人の精神について考えなくなるから精神に関する感覚が麻痺してくるんじゃないかと思う。
あくまで自分の感じたままについて思っただけなので、
そこに理屈があるわけではないが。

部屋は普通の相部屋で少し広めの部屋になった。大変ありがたい。

地域の環境もよく、昼間はファミリー層から高齢者の方が多く、猫も多い。


ただし、深夜の駅前は夜の住民による街に変化するので、
そこだけは油断しないようにしないと。

次へ

読んでいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。 ところでこの「さぽーと」って何ですかね?神が使う魔法かなんかですかね??良くわかりませんが、これ使う人は人間以上の徳がある人なんでしょうね。