【わたしが着物を着るようになったわけ】
noteにカテゴリーをつくるにあたり、外せない項目。
それは、着物に関すること、です。
●どうして着物を着るようになったのか
実は、着物に関しては「好きで好きでたまらない」というわけではありません。
アートやハーブのように「やりたくて仕方ない。やらずにはいられない」というアイテムではなく「何がなんでも着なくては!」という義務感で着ている気がします。
なぜかというと、わたしの手元にある着物は、母の形見なのです。
●20年前、母の形見の着物を受け取る
わたしが5歳の時に生き別れた母が、亡くなったのは20年前のこと。
その時に、形見分けとして、たくさんの着物を受け取りました。
それまでに着物を着た経験は、成人式の時と、結婚式の前撮りと、父親の葬儀の時(喪服)。その数回だけ。
正直、形見分けで着物をもらっても困りました。
着物って「着ると歩きにくいし、お腹が苦しい」というイメージしかなかったのです。
だからといって、着物を売ったり、着物を解いて何かにリメイクする気持ちにもなれません。
渡された着物や、着物の小物などから、
「いつか、子ども達に、この着物を渡そう」
と、母が準備をしていたことが分かったからです。
33年間、生き別れて暮らしていた母が、どれだけ子ども(わたしと妹)を思っていたのかが伝わってきました。
「まずは、全ての着物には袖を通そう。その上で、この着物たちを、どうするか考えよう」
と決めました。
それからは、結婚式に参列する時には着物を着付けていただいたり、着物に明るい友人に着物と帯の合わせ方を教えてもらったりして、なんとか着る機会を増やそうとしましたが、「全ての着物に袖を通す」というノルマを果たせずにいたのです。
●8年前、開催を始めた「着物でさんぽ」イベント
そんな時、
「よし、自分で着物を着れるようになろう!!」
と、一念発起するチャンスがやってきました。
2016年。呉市大崎下島御手洗において「着物でさんぽ」というイベントを、友人たちと一緒に開催することになったのです。
「着物でさんぽ」のイベントの回を重ねるうちに、着物への興味も湧き、「着物を普段着に」くらいに着こなすことができそうかな、と思っていた矢先、着物を着る気分になれない出来事が起こりました。
●西日本豪雨災害とコロナ禍
それは、2018年7月の西日本豪雨災害です。
広島県も大きな被害に遭いました。
わたしの住む地区も河川の決壊があり、断水も長く続き、国道の復旧にも時間がかかりました。
市内では地区がまるごと壊滅した場所もあり、重苦しい雰囲気が続いていました。
そして、追いかけるようにやってきたのが、2019年末〜2020年に始まったコロナ禍だったのです。
着物を着る気分にもなれず、イベントの自粛もともなって、「着物でさんぽ」イベントも自然消滅となりました。
今、振り返っても、あの期間は別空間を過ごしたように感じます。
●そして再び、着るべし着るべし着るべし
それから3年が過ぎ、2023年5月。
コロナが2類から5類に移行し、世の中にもイベント開催が増えてきました。
振り返れば、2018年の夏から着物から遠ざかっていましたが。
再び「着物を着てみよう」という気持ちが湧いてきて、去年の春は久しぶりに着物に袖を通して、大崎下島御手洗に遊びに行きました。
でも、これっきり、着物を着てお出かけしておりませんね(汗)。。
何しろ、去年は「ぎっくり背中」になったし。
夏は猛暑だったし。
秋が短か過ぎて着るチャンスがなかったし。
冬は寒過ぎて出かける気分じゃなかったし。
(着付けの自主練はしてたんですけどね)
って、おぃおぃ、やる気あるんかい!って感じですね(汗)
相変わらず「着物が好きで好きでたまらない」というわけではありませんが、義務感であれなんであれ「着てみよう」という気持ちは、とても強いのです。
母の形見の着物を着ることが、母の供養になる気がしているのかもしれません。
ということで、これは「決意表明」なのです。
今年は、着物を着てお出かけする機会を増やすぞ💕
着るべし、着るべし、着るべし!!!
そして、noteの「着物でお出かけ」のカテゴリーに記録を残してゆくぞ、と誓うのでした。
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風の谷ReLien
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