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ぼくらはいつも選ばれた言葉を渡し合う

岐路に立つことは人生でそれほどない。誰かが言ったみたいな言葉を書いても、きっと似たようなものから無意識のうえに引用しているだけだと思う。

雨音は大きくなっていく。
金曜日の夜ではないけれど、心躍ることがあった。会話を重ね、本音をぶつけることで再確認できたこともあった。熱量と冷量の感覚を画面越しに感じながらやっぱり変わらないなと思ったのはきっと選ばれた言葉によるもの。

声と顔それだけじゃなく、どこかに向かう姿勢とどこへ向かっているのかの着地点をぼんやりと眺める傍観者になれたことがわずかながらに自分自身への誉になったのかもしれない。

同じときを生きていても一人として同じ感覚ではいられない。視点姿勢目標感覚着眼点キリのない言葉と偏見が押し寄せるだけ。

ただ、わずかでも伝え合うことができたなら。不安も期待も予感も未来もあのときのリアルを生きているあなただからこそ感じ取ることができる最大のギフトだったのだと数十年後に語り合える日がもしもそのうちにくるのならそれはそれで僕らの勝利になるのではないのかと思う。誰と競うものではなく自分自身への。

おめでとうは言えない。今夜はまず、ありがとうを送りたい。

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