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今月になって

ずいぶん気にならなくなってきてる

そう、色んなこと。
特に自分勝手に囚われていたモノごとに。

どこかのアンテナが過敏になっててよくもまあ神経に触れては疑念を生む。そんな繰り返しの中で少しずつ気づくこともなく流され続けていた日々が懐かしい

それくらい清々しさのようなものがここのところ滲みでてきたような気がする

この『気がする』って言葉をよく使うことにも着眼できてきた。僕はよくそんな気がするとか感覚的な言葉を使用するけれど確証は極めて低くあくまで自分の情報や体感からしか発信できないという前提を踏まえて言葉に落とし込むとするとこれが一番しっくりきてたからだ。

そう、自信がないが故の小さな呟きのような。あ、あくまで僕自信の話です。この言葉を使う人の誰かや特定の人に向けた言葉では決してありません。ただの自己分析なので不快な気持ちになった人はごめんなさいね。それは誤解ですよ。

今日も今日とてメモのようなnoteだ。
でも、思ったのは気分が少し良いメモ。
こんな気分で書けてるのはたぶん久しぶり。

どうしてだろうと思ったら。
受け入れることが増えたからで
正確には『受け入れれること』と『受け入れた』ことが増えたからなのであって
一歩視点を変えると
『手放すこと』と『捨てるべきと』判断できるようになったこと

自身を、軽くするのは。
誰かじゃなくて。
自分だったんだと

いつのまにか、求めた中で教わってこれたこと。
感謝云々言うつもりはないし
おすすめしたいわけじゃないけれど

僕は今
たぶん

けっこう色んなことや人に感謝したい。
ただ勝手にそういう気分なだけ。

読んでくれてありがとうございます。

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